進軍


 潜んでいるのならおびき出せばいい。的はこちらにあるのだから。

 そう王太子に説明したリアージュは、次の平定地へと騎士団を進めていた。

 場所は深い谷で、今回の同行者は数日前に毒サソリによる攻撃をその身に受けたエトワールともう一人男性の神星官、彼女を癒すために来た治療師、魔術師、そしてリディアである。

 魔法で防御が張られた馬車に乗ったリディアは窓にかかった覆いの隙間から外を眺めた。砦のある場所から開けた土地を川沿いに進んでいくと、段々崖が目立つようになる。道幅が狭くなり、崖の上に張り出した木々の灰色の葉と時折風に舞う雪で辺りは薄墨色に沈んでいた。

 この谷の奥の森に、ダイアウルフがいるという。

 主城での作戦会議で、ダイアウルフが頻繁に現れる場所があり、出現頻度から何者かが作為的に魔物を生み出しているのではないか、という話が出た。毒サソリが唐突に現れたことからも、今回の討伐戦に魔物が使う呪いを扱える呪術師が絡んでいることが想定されたので、ダイアウルフもその連中の仕業ではないかと結論が出たのだ。

 そこがリディアたちオルダリア騎士団が向かう谷である。

(原作でもオーガストはダイアウルフを使っていたから……間違いなくここにいる)

 緊張から手の指先が冷たくなり、きゅっと掌に握り込みながらリディアは徐々に濃くなる灰色の景色に目を凝らした。

 すぐそばを、赤いマントに黒い甲冑の騎士が馬を進めている。リアージュだ。

(彼を狙ってくるのか……それとも)

 何故ここにあるのか謎の馬車を狙ってくるのか。じっと後ろ姿を見つめていると、不意に彼が振り返った。はっとして頭を引っ込め、覆いを下ろす。

(なんで気付くかな!?)

 急に跳ね上がった心拍数を誤魔化すように胸に手を当てて深呼吸をしていると、「どうかされましたか?」と隣に座るナインが声を掛けてきた。

「あ、いえ……」

 誤魔化すように笑うと、彼女は綺麗な銀色の瞳をすっと細め頬に手を当てて首を傾げた。

「お顔の色が悪いようですし……やはり砦にいらしたほうがよかったのではありませんか?」

 彼女の視線が頭のてっぺんから爪先まで走り、リディアは力なく笑う。

 今、彼女が着ているのはナインやタイニーと同じ黒い詰襟型の制服にマントだ。双子や他の騎士達がみな、青いマントをしている中で、リディアだけがリアージュと同じ赤いマントをしている。履いているものはスカートではなくズボンだが、足首や太もも、お尻が見えるのが嫌だとリアージュが言うので上着の後ろ身頃が膝裏まで、ブーツは膝丈といういで立ちだ。麦藁色の髪はサイドを編み上げたポニーテールで頭を振るたびに鞭のようにしなるのが少し面白かった。

 そんな勇ましい格好でありながら、顔色が悪いのは……仕方ないだろう。

「一応は私が作戦の要なので……」

 自分で提案しておきながら、一体どこからオーガストが現れるのかわからない。奴が呪術師を雇っているのなら、武装した集団に護衛されていたとしても命を落とす可能性は高いのだ。そのために、ナインが傍にいるのだが……彼女は自分の側の窓から外を眺め、すこし不服そうに零した。

「この馬車の防御魔法は物理、魔法両方防ぐものです。よって……中にいる私も少し感覚を遮断されるんですよね」

 誰かがダイレクトにこの馬車を襲おうとした時に、中から対象を護る任に付くナインはその発動に気付くのが遅れる恐れがある。かすかに窓枠を指先で叩きながら外を確認するナインに、リディアは申し訳なくなる。

「ずいぶんとご迷惑を……」

 思わずそう告げると、顔を上げたナインが銀色の瞳をくるりと回した。

「いえ、お嬢様が悪いわけでは。公爵閣下の最愛の人を狙うコートニー伯爵が諸悪の権化ですので」

 まったくもってその通りだが。

 複雑な顔で黙り込むリディアに、ナインは明るく告げる。

「それにこちらにはミス・エトワールがいらっしゃいますし」

 尊敬したような口調に、リディアはどきりとなる。顔を上げれば再びナインが窓から外を眺めており、リディアも彼女が何を見ているのかと隣から身を乗り出した。白いマントに白のローブを着た可愛らしい女性が馬に乗って周囲と談笑している。これからダイアウルフとの戦闘が待ち構えているというのに非常にリラックスした雰囲気だ。

「……可愛いですよね、ミス・エトワール」

 思わずそう言えば、ナインがほうっと溜息を吐く。

「彼女がいると騎士団の空気が和みますね」

「神星官としても優秀なのでしょうか?」

 思わず尋ねると、ナインがきらりと瞳を輝かせてリディアを見た。

「毒サソリの尾による攻撃を受けましたが、最初に魔物に気付いたのはミス・エトワールでした。彼女の警告のお陰で我々の被害が無かったので。彼女の魔力探知能力は一級品です」

 手放しに褒めるナインに、リディアは複雑な顔で頷いた。

「では彼女は公爵閣下の命を救っただけではなくて、オルダリア騎士団の恩人でもあるのですね」

「はい。今回は彼女によるオーガストの探知に期待しております」

 きらきらした眼差しでエトワールを見つめるナインに、リディアは口を閉ざす。仕方ない。彼女は聖女でヒロインだ。自分は脇役なのだからここで大人しくしているべきなのだろう。

 そんなことを考えていると赤いマントが目の端に写り、はっとして視線を動かせば、リアージュが自分の馬をエトワールに近寄せるのが見えた。

 歓談する輪にリアージュが加わり、皆が尊敬のまなざしで彼を見上げる。熱心に何かを訪ねる彼に、ピンク色の頬をしたエトワールがはきはきと答えているのがよくわかった。

(……本気で婚約破棄後のことを考えた方がいいかなぁ)

 そっと元の席に戻り、自分の側の窓の覆いを開けて外を眺める。広々とした草原は姿を消し、断崖の下に砂利が敷かれた河原が姿を現していた。徐々に川幅も道幅も狭くなるなか、騎士団は一列になっていく。馬車は後方へと追いやられ、先頭をいく赤いマントは見えなくなった。


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