夜の中


 愛していない、ね。

 その一言に何故か苛立ち、リアージュは肘掛に身を凭れかけたまま閉じた扉をじっと見つめていた。彼女が言ったことは正しい。もともとワルツを三回、申し込んだのだってリディアを試した色合いが濃い部分もある。

 ふうっと溜息を吐いてずるずるとソファに身体を沈めていく。完全に横になりぼんやり天井を見上げていると、誰かが近づいてくるのがわかった。

「で? 様子は?」

 何もかもすっ飛ばして尋ねれば、気を付けの姿勢でソファの後ろに立ったフィフスが苦々し気に答えた。

「ミス・エトワールの毒は治療師のお陰で完治。毒サソリがあの場にいたことについては目くらましの魔法陣が一か所、張られていた形跡があるとナインからの報告です」

「……俺を狙ったものか?」

 すっと目を細めて告げれば、「恐らく」と腹心が答える。

 一体何のために?

(旧宰相派か……それともオーガストか……はたまた両方か)

 リディアの持ってきた話によれば、黒い羊は旧宰相派に取り入るために魔物の強化に手を染めたということだが……。

(毒サソリは強化されていたとは思えない……)

 それでもリアージュが討伐戦に失敗し、戦死か大怪我を負えば王党派のダメージになる。それだけは避けたい。

「──……リディアの警護を厳重に。あと、早急に魔法陣の解析とオーガストの行方を探り出せ」

「は」

 短く答えてフィフスは踵を返して待機場所へと戻っていく。それを見送った後、リアージュは目を閉じた。

 リディアを殺そうとした人物の特定は未だできていない。舞踏会という比較的招待客や使用人が限定される場所で起きたことだというのに、彼女を昏倒させた原因もはっきりしていないのだ。

(狙いは一体何なんだ……)

 じわりと心の奥底に滲む、不安にも似た感情。それに名前を付けると坂を転がるように自分の感情が制御できなくなる気がする。

 溜息を堪え、リアージュは持ち上げた腕を目の上に乗せた。討伐戦の成否が今後の王党派の行方に関わって来る。だからこそ不安分子は取り除きたかったのに。

 今の自分の脳裏を占めているのが、先程見たリディアの、まるで嫉妬しているかのような表情と、なのに愛していないと言い切った様子ばかりで嫌になる。

 うんざりして起き上がった彼は、大股で共用スペースを後にする。向かった先は砦の内側にある鍛錬場で。だいぶ夜も更けたというのに、リアージュは剣を手に訓練を始めた。

 そうでもしないと、閉じた扉の先に何かを訴えに行きそうだったのである。




 ◆◇◆




 毒サソリで狙うべき相手はオルダリア公爵で、ほぼ間違いないタイミングで奴を結界から出すことに成功した。ただそれを……神星官が邪魔をした。

 きりきりと親指の爪を噛みながら、オーガストは青を通り越して黒くなった顔色で次の手を考える。

 オルダリア公爵を殺害しなければ、爵位も金も手に入らない。

 確かに無謀な賭けだと思う。公爵はこの国の誰よりも腕が立ち、向かう所敵なしの存在だ。その彼を殺そうとするなら……やはり中程度の魔物を放ったくらいではダメなのだ。

 深い夜のとばりが森を包み込む中、いらいらと泥に汚れた雪が解け残る大地を踏みしめて歩き回る。

(今が絶好のチャンスなんだ……魔物がうようよしている今が……)

「ねぇ、そこのあなた」

 不意に声を掛けられオーガストはぎょっとして足を止めた。勢いよく振り返れば、そこに闇夜の中にぼんやりと白く浮かぶローブが見えた。袖と裾がひらひらと風に舞い、キラキラした銀色の雫を零している。

 星教会のローブだと、遅まきながら気づいた時には、その人物は顔を隠したままオーガストの目と鼻の先まで来ていた。

「あなた、聖女を探しているんでしょう?」

 唐突に、自分が思ってもいない単語を示されて、オーガストが目を瞬く。

 否定を口にしようとした瞬間、ローブの縁から覗く唇がにっと横に引き上げられた。そこから低い低い声が漏れ出てくる。

「まあ……たとえ違うのだとしても、あなたがやったことは観ていたから知ってるわ」

 一瞬で、身体中の血が足元へと叩き落とされる。かすかに震えた彼の手を取り、ローブの女はゆっくりと……呪う様に告げた。

「それにわたくしも一枚噛ませてくださいな」

 こて、と首を傾げ楽しそうに告げられる。彼女の肩口から柔らかな珊瑚色の髪が零れた。それからオーガストは目を逸らせられなかった。気付けば一つ頷き、彼女が求めるままに手を伸ばす。

「……では、これを使って必ずや公爵様を引きつけて。あとはわたくしがちゃんとしてあげるから」

 にこっと微笑む神星官から手渡されたのは、真っ黒な闇が閉じ込められた小瓶で。

「上手くやってくださいな」

 軽やかに告げた彼女が、ゆっくりと伸ばした手の人差し指でオーガストの額を突いた。

 たったそれだけで、彼は白目をむいてその場に昏倒する。無様に頽れたその身体をまたぎ、女はゆっくりと湿って冷たく凍る大地を踏んで去っていく。

 歌う様に、聖女の出現はもうすぐだと囁きながら。


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