彼のみた現実


「使用人なら今来るだろう」

 立ち上がり、リアージュがへたり込んで動けないリディアを抱き上げると再び彼女をベッドに下ろした。

 そのまま彼女の隣に寝そべるから。

「な……なにしてるんです?」

 肩肘を突いて横向きに上半身を起こしたリアージュは、そっとリディアの手を取り手の甲を親指で撫でたり、頬に手を当てて指を滑らせたりする。思わず引き攣った声で尋ねれば。

「君が倒れてから五日たった」

「え?」

 するっとこめかみのあたりを撫でられて、リディアの身体を震えが走る。だがそれは触れられたことに対してのものではなく。

「五日!?」

 そんなに長く意識を失っていたとは。

 驚愕に見開かれたエメラルドの瞳を見下ろすリアージュのそれが、かすかに揺らぐ。それから、げんなりしたようにふーっと長い溜息を吐くと、彼女の鼻をつまんで見せた。

「!?」

「君は本当に……彼から呪いを受けているだけなのか?」

 彼の長い睫毛が伏せられ、薄明色の瞳が翳る。きゅっと鼻をつまむ手を振り払い、リディアは頬を膨らませて正面を向いた。

「わかりませんよ、そんなの」

「本当に?」

 今度は頬をくすぐられる。

「公爵閣下」

 身を捩って咎めるように隣にいる存在を見れば。

「リアだ」

 何度目だ、このやり取り。

「リアージュ。本当にオーガスト以外に心当たりはありません」

 きっぱりとそう告げると、じっとこちらを見下ろす瞳にほのかに心配が浮かんだ。

「では……倒れた原因がはっきりするまで屋敷に閉じ込めておかねばいけないな」

(なんでそうなる!?)

 青ざめて口をパクパクさせていると、手を伸ばしたリアージュがぎゅっと、リディアの身体を抱き締めた。

「ま、待ってくださいリアージュ! わ、わわ、私五日もお風呂に入ってないんですけど!?」

 ぐりぐりと何故か柔らかな首筋に額をこすり当てられて、リディアが耳まで真っ赤になった。辞めて欲しい本当に。綺麗好きな現代日本人なのだ、こっちは!

「リアージュッ!」

 必死に彼の腕を押しのけ、もがいている最中に、ノックの音がした。リディアが拒絶を伝える前に、「入れ」とリアージュが我が物顔で応え、血の気が引くリディアの目の前で寝室の扉が開いた。

「風呂の準備と食事を用意してくれ」

 顔を上げたリアージュが晴れ晴れとした笑顔で告げ、その場に揃い踏みした侍女と護衛は一瞬で状況を把握し、無言で頷くとあっという間に扉を閉めた。

(絶対オカシナ風に思われたッ!)

 消えてなくなりたい。

 両手で顔を覆い、涙目になるリディアを無視し、リアージュはにこにこ笑って彼女を離すとゆっくりと起き上がった。

「まだ力が戻ってないようだからゆっくり休め」

 そっと身を屈め、額に口付ける。そうしてここ五日の意趣返しをしたような笑みを浮かべてリアージュは去っていった。

 後に残されたリディアはしばらく呆然と天井を見上げた後、額に手を当て思いっきりごしごしとこするのだった。



 ◆◇◆



 リディアの寝室を後にしたリアージュは扉に背を預けると天井を見上げて溜息を吐く。それから傍に控えるフィフスに視線を落とした。

「コートニー伯爵とあの場にいた人間の精査はどうなってる?」

 固い命令口調に、フィフスがその場に跪いた。

「伯爵に関してはミス・セルティアの事務弁護士に相変わらず接触しているようで、こちらから保護を申し出てます」

「そうか」

 脳裏に灰色の髪を乱しながらも銀色の眼鏡のフレームをぎらぎらさせていた、頑固一徹そうな弁護士の姿が蘇る。彼ならどんな圧力にも屈しないだろう。

「舞踏会の方は?」

「ハイランド侯爵のお話では男爵は何も覚えていないということです。それとナインの分析によりミス・セルティアに掛けられている呪いはじわじわと対象を殺すようなものではないということです」

「どんなものかわかるか?」

 ドアから身を離し、廊下を歩きながら尋ねる。

「努力しますと」

「……リディアの意識を奪ったのはその呪いが原因か?」

「恐らくは」

「……では呪いの件と引き続き招待客の精査を」

 短く答え、フィフスがその場を離れて行く。その姿を視界の端に捉えながら、リアージュは廊下に並ぶ大きな窓から外を眺めた。

 じわりと、胸の内に黒い染みのような何かが滲んでくる。

 自分の腕の中でぐったりと横たわる存在に感じたのは、無力感だった。全てが後手に回っている気がするのは、彼女がまだなにか……隠していることがあるからなのか。

 窓の外、広がる空には高く伸びる純白の入道雲が。ゆっくりと近づくそれににわか雨の気配を感じながらリアージュは唇を噛んだ。

 彼女の依頼はオーガストの破滅だ。だが、彼はまだしつこく……リディアを狙っている。それなのに何故、彼女が命を落としかねないような……意識を喪失するような呪いをかけたのか。

(──……まさか本当に、オーガストとは別の存在がリディアを狙っているのか……?)

 だが何のために?

 苛立ちが込み上げてきて、リアージュは奥歯を噛み締めた。黒の領地での討伐戦は約一か月半後に迫っている。それまでにコートニー伯爵と呪術師とのつながりが見つからなければ、予定通り二週間後にリディアとの婚約式を済ませるつもりだ。

 そうなった時、後がないコートニー伯爵がどう出るのか。

(奴の財政状況は芳しくない。爵位を継ぐ前の借金を早々に返したいはずだろう)

 一番簡単な現状を打開する方法はリディアに接近し、彼女と結婚を取り付けることだろ。

 それを狙っての舞踏会での挑発だったが……。

 残り二週間、彼女に出歩いてもらい、なりふり構わず接触してくる伯爵を捕らえる。その件に関してはリディアも納得しているはずだ。

 なのに、じわりと腹の奥に溜まる暗い感情は何なのか。リアージュは自然と廊下の先、閉じた扉を見つめた。婚約式の準備は派手に行うため格好の的になるだろう。

 ぐっと両手を握り締めて再び廊下を歩きだす。黒の領地での討伐戦は何としても成功させる必要がある。何故ならその地でまだ……やるべきことがあるのだから。

 だが今はもう少し。

 ガラスにぽつりと雨粒があたり、今日は雨だからと言い訳をして、彼はここ数日と同じように登城を控え、自分の私室へと戻った。やっと心からの睡眠がとれると無意識のうちに考えながら。

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