彼女のみた夢


 彼女の言動の何が気に入らなかったのか、凪にはわからなかった。

 ただ、目の前のリビングのソファから、全裸で身を起こした女と自分の彼氏を見て凪が激高しなかったことは確かだ。

 それが駄目だったのか。

「……いつも……いつもいつもいつも!」

 ひび割れた声で女が叫ぶ。

「あんたは私の欲しいものを奪っていくのよねっ!」

 自分を慕ってくれる後輩だと思っていたのだが違ったようだ。

「恋人を寝取られたのよ!? 何冷静ぶってんのよ! 喚いて泣いて懇願しなさいよ!? 私の方が綺麗なのにって、叫びなさいよ!」

 意味不明な言葉を告げて、女が迫って来る。その彼女に、何故か凪は酷く冷静になった。

 訪ねていった彼氏の部屋に、全裸の男女。これが意味することに気付かない凪ではないが、それでも。怒りよりも何よりも。

 自分はここに執着していなかったんだ、という思いが溢れた。

「なんとか言ったらどうなの!?」

 後輩の悲鳴が響き、凪は目を瞬く。それからふうっと溜息を吐いた。

「荷物は全部捨てて。いらない物ばかりだから」

「凪っ!?」

 今まで黙っていた全裸男が真っ青になって慌てふためいて声を上げる。それを無視して凪は後輩に視線を遣った。

「これで満足?」

 その瞬間。

 鬼の形相をした彼女が、凪を突き飛ばしてキッチンへと飛び込み、包丁を握ると喚き声をあげて凪に突進してきた。

 咄嗟のことに何の反応もできなかった凪の、その白いブラウスにすうっと、銀色の刃が吸い込まれて行き──…………。


 はっと目が覚めた。



(……名前……そう……平見さん)

 自分を刺殺した女の名前。

 二つ年下の可愛らしい女性だった。同じ部署で、周囲に「自分は有能で可愛いんです」アピールを事欠かない……。

(めんどくさい相手だった……)

 それでも何故か凪には懐いていて、悪い気はしなかったのだが。

(自分の仕事は中途半端で……でも大きな目立つ仕事がやりたくて、強引に割り込んできたり、他の子の仕事を奪ったりして……結局あの子自身の仕事は全部中途半端だったからいつも修正してたのよね……)

 それがバレて平見は課長にがっつり絞られ、凪はねぎらわれた。

(プライド高そうだったもんな……)

 ぼうっと見上げる天井は、自分が暮らしているマンションのそれでも、病院のそれでもない。その事実に呻き声が漏れた。

「リディア!?」

 はっきりいって何故ここに公爵閣下がいるのかわからなかった。しかも自分の呻き声に過敏に反応してベッドに身を乗り出してくるなんて晴天の霹靂だ。

「……閣下?」

 声が掠れた。見上げた彼はどこか……。

「お加減がすぐれないようですが?」

 思わずそう言えば、その灰色と青、金が混じった瞳が大きく大きく見開かれる。ぽかんとした間抜けな表情に、リディアは思わず吹き出す。

 その瞬間、からからに干からびていた喉が死に、咳き込むリディアをそっと抱き起したリアージュがすぐさま水の入ったコップを差し出す。受け取ってゆっくりと、喉を流れる心地よい冷たさにほっとする。

 ようやく一息ついたところで、リディアはじっとこちらを見つめるやつれた面差しに目を細めた。

「すごく……やつれてますね」

 そっと伸ばした指で、目にかかる前髪を払ってやる。たったそれだけの仕草だったがやたらと腕が重く、立ち上がるのも苦労しそうだなと遠い所で考えていると。

「──……当たり前だ」

 低く低く……震える声が言葉を紡ぐ。

「君の所為で寝不足だし食事も満足に取れなかったんだからな」

 かすかに怒気すら含んだ物言いに、少し驚く。

「………………なんで?」

 恐る恐る聞けば、ぎょっとしたようにリアージュが目を見張り、それから。

(……お、怒ってる?)

 ぞわりと全身が総毛だつような笑顔を見せられて、リディアは一瞬で理解した。なんだか知らないが彼は激怒している。

「……知りたいか?」

 ゆっくりと、甘い声が囁き彼がベッドに身を乗り出す。軋んだスプリングに、リディアは座ったまま後退り、そのまま逃げるようによろよろとベッドを這い出ようとする。

「先程、満足に食事もとれなかったと申されてましたよね? 私もなんだか……お、お腹が空いてきましたので、使用人を呼びましょう」

 身体は怠く動きは鈍い。もちろんお腹なんて空いていない。だが本能がこのままここに留まることを推奨しないのだから仕方ない。

 ぎしぎしと関節の痛む身体を無理やり動かして、リアージュが塞いでいるのと反対側からベッドを折り、床に足をついて立ち上がろうとした瞬間、すとん、と膝が頽れ床に座り込んでしまった。

「!?」

 ぎょっとする彼女の頭上から、猫なで声が響いてくる。

「リディ、無理に動くと体に障る」

(ひいいいいいいいいい)

 なんか聞きなれない愛称で呼ばれたけど、怖すぎる!

 片膝をベッドに乗せていたリアージュが更に枕元へとにじり寄ると、呼び鈴の紐を引いた。


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