婚約発表舞踏会②
調べさせた範囲では怪しい動きはないし、屋敷にいる間も誰かと連絡を取る素振りはなかった。
オーガストと婚約したリディアと、今目の前にいる彼女がどうにも結びつかず、眉間に皺を寄せていると、彼女が溜息交じりに答えた。
「素敵な人だなって思ったんです。容姿も悪くないし、優しそうだし……実際、優しく慰めてくれたんです」
ほうっと甘い吐息と同時に囁かれて、リアージュはお腹の奥がかっと熱くなるような気がする。それがじわじわと身体の中心を焦がし、燃え広がっていく。
素早く周囲に目を走らせ、彼女を連れて舞踏室の端まで移動していく。やがてベンチや鉢植えの置かれた一角の奥に用意されたアルコーブへとリディアを引っ張り込むと留められていたカーテンを下ろした。
「公爵閣下?」
ソファが一つ置かれただけの狭いスペースへと連れ込まれたリディアが緊張に身を固くする。どこかにオーガストがいるのかと、カーテンの隙間から外を覗こうとする彼女を引き寄せて、自らの膝の上に横向きに座らせた。
「ちょっと!?」
布一枚隔てた向こうでは人々が礼儀正しく談笑している。それを横目に何をしているのだとリディアが眉を吊り上げるも、全く意に介さず真剣すぎる表情でリディアを見下ろした。
「慰めてくれたって? それはどうやって?」
冷静に、感情を殺して尋ねたつもりだが、言葉の端に身を焼く熱と同じものが滲む。驚いて目を丸くするリディアに、リアージュは更に顔を寄せた。
彼女の香水だろうか。ふわりと甘く、苦いチョコレートの奥に爽やかな果物の香りが混じっているような香り。今すぐ齧りつきたくなるようなそれに誘われて、リアージュは彼女の首もとへと顔を埋めた。
「リアージュ!」
慌てたように声を荒らげ、リディアが動ける範囲で身を捩る。顎の下辺りの柔らかな皮膚に鼻先を埋めた。
「こんなことも許したのか?」
すべらかな肌に唇を寄せて囁けば、びくりと彼女の身体が震えた。
「こんな真似! するのはあなたくらいです!」
ぽかりと背中を叩かれるが、リアージュは何故か彼女を離したくなかった。そっと首筋に口付ける。
「リアージュッ!」
はっきりとした拒絶のこもった鋭い声が彼女から漏れ出て、彼は何度か柔らかな肌をついばむように口付けたあと、ゆっくりと顔を上げた。
「ではどうやって君のその警戒心を解くような……慰め方をしたんだ?」
静かに尋ねれば、再び腕の中で彼女の身体が強張る。
「まさか……望まないのに身体を?」
「違いますッ!」
ぐいっと肩を押され、二人の間に隙間ができる。慌てて膝から下りたリディアが真っ赤な頬と耳を隠すように両手で押さえ、半眼でリアージュを睨み付けた。
「普通に親身になってあれこれ世話を焼いてくれただけです! お葬式の時に来て……自分が爵位を継いだなんて想像できない、あなたを追い出す気も、慣れ親しんだ地を奪うつもりもないって」
必死にショールを掻き合わせ、髪を撫でるリディアの胡散臭すぎる報告に、リアージュは思わず舌打ちする。
「そんなことで絆されたのか?」
「リアージュ……私は普通の伯爵令嬢だったのですよ? あなたの周囲にいるような、虎視眈々とオルダリア公爵の座を狙ってどうにか寝室に忍び込もうとする肉食系と一緒にしないでください」
苛立ちを込めた眼差しで睨まれて、リアージュは首を傾げた。
「君は自分の望みを叶えるために寝室に忍び込んだりしない、と?」
「当然です」
ふいっと顔を背け、ドレスの裾を引っ張って直しながらぶつぶつと呟く。
「公爵家の皆さんには女狐認定されてるようですけど、私は公爵様と結婚する気はありませんし、そもそも私が選ぶとしたら……」
ふっと、リディアのつぶやきが途絶える。きゅっと赤く塗られた唇を噛み締めるのを見て、リアージュは懲りずに彼女の肩を抱き寄せた。
「選ぶんだとしたら、なんだ?」
顔を覗き込みながら尋ねれば、暗く翳ったエメラルドの瞳にぶつかり、ぎくりとする。
「──……浮気相手を寝室に連れ込んで、恋人のいない間によろしくしてるような男意外ですね」
低く低く呟かれたリディアの台詞に、リアージュが目を見張る。
「……妙に具体的だな」
「そうですか?」
次の瞬間、振り返った彼女はキラキラした笑顔を見せた。
「どう考えてもそんな恋人、嫌でしょう? 一般論です」
にしてはずいぶんと感情がこもっていたような……。
(もしかしてオーガストには恋人が……?)
そこまで詳しくは調べていなかった。彼が伯爵家に来る前に何をしていたのか……早急に調べる必要があるなと、リディアの髪に指を巻きつけながら考えていると、不意に彼女が身を乗り出しカーテンの隙間から舞踏室を覗き込んだ。
そうして。
「いました! オーガスト!」
はっとして彼女の後ろから同じ隙間を覗けば、蒼ざめた表情で周囲を見渡し、歯ぎしりしそうな様子で歩く伯爵の姿が見えた。舞踏場を挟んで向こうの壁際を歩いている。
「作戦開始だな」
かすかに震えたリディアの肩をそっと撫で、リアージュはゆっくりとカーテンを持ち上げると素早く彼女と共に表に出る。
「わたしとハイランドがすぐ傍にいる」
言って、傍の植木の陰にリディアを引き込むと、無意識のうちに彼女の額にキスを落とした。
「奴に指一本触れさせないから安心しろ」
ぱっと手を持ち上げ、額を抑える彼女は耳まで真っ赤になっていた。こちらを見上げて揺れるリディアのエメラルドの瞳にリアージュは何故かぞくりと身体が震える気がした。
「リディア……」
「では行ってまいります」
のばした手が空を掴む。するりと身体を離し、身を翻した彼女が大股で通路を行くと、ガラス戸からテラスへ出ていく。それを見送り、リアージュはぎゅっと手を握り締めた。
(ここで決着がつけばいいんだが……)
腕を組み、冷たい眼差しで舞踏室を振り返れば、急ぎ足で彼女の方に向かうオーガストが目に飛び込んできた。
果たしてどうなるのか。
テラスへと向かう、焦った様子の男をリアージュはひっそりと追いかけた。
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