微妙な嫌がらせと直訴③


(それはあなたがブルーモーメントの一員だからでしょう!?)

 リディアを上手く操るためだけにワルツを申し込んだのだ。ただし三回はやりすぎだ。

「私が助けを求めていることに閣下が気付かれて……ご親切にもそれに応えてくださったからだと思っております」

 神妙な顔で告げ、ダメ押しを試みる。

「なのにこのように事態が大きくなってしまって……本当に申し訳ありません。私なら一人でも大丈夫ですので」

 両手を握り締めて訴えれば、ふむ、と考え込むように顎に手を当てて首を傾げた公爵が、「では」と口を開いた。

「問題はわたしとあなたの婚約がとてもじゃないが信じられない人間がいるからだと、そういうことなのだろう? 屋敷の皆もそう思っているのだな?」

 ちらりと侍女を振り返れば、二人ははっきりと頷いた。

「閣下がご自分で納得されたお相手なら」

「わたくし達は心から祝福をさせていただきますわ」

 交互に告げる双子に、リアージュが一つ頷く。ふっと口元に漂った笑みに、リディアは一瞬で嫌なものを感じた。

 これは負け筋だと脳の奥がアラートを鳴らす。それを払拭すべく、彼女はいい笑顔で早口に宣った。

「そうと決まれば、私は早々にここを立ち去るべきですわね! 今までご迷惑をおかけいたしました。もうこれ以上、閣下の未来の愛する花嫁様にご心配をおかけすることはありませんので……」

「何を言っている? 愛しい婚約者殿。わたしはあなたに身の危険が迫っていることを知っている。大事な婚約者を一人、解放するわけがないだろう。ああ、それとも今まで放っておいたことを怒っているのかな? なら申し訳ない」

 ぐいっと腰を抱き寄せ、伸し掛かるように顔を近寄せるリアージュから、リディアは必死に身を反らす。のけ反る彼女を笑顔で追い詰めながら、リアージュはその薄明色の瞳を獲物をいたぶって楽しむ捕食者のように楽し気に歪めた。

「明晩、ルーウェン伯爵家で舞踏会が行われます。そこであなたを正式に婚約者として紹介する予定です」

 きっぱりと告げられたその台詞に、リディアは全身の血が足元まで急降下するのを覚えた。

「……………………は?」

 低い声で思わず漏らせば、ひょいっとリディアを抱き上げたリアージュが目を見張る双子を視界に捉えた。

「そういうわけだ。ナイン、これからマダム・ジョイスが精鋭を引き連れてやってくるから対応を。タイニーは明日に向けて馬車の用意と我々の護衛を手配してくれ」

 言いながら、固まるリディアの額に口付ける。

「!?」

 びっくり仰天するリディアと、同じく固まる双子にリアージュは鉄壁の笑顔を見せた。

「抜かりなく準備するように」

 その一言に、短い放心から立ち直った二人が大股で部屋を出て行く。残されたリディアは自分の直訴があらぬ方向にスライドした事実に頭を抱えたくなった。

「私がいつ! あなたの愛する婚約者になったんですか!?」

「今、この瞬間だ」

 平然と答え、リアージュは彼女を連れて私室の奥へと向かった。天井までいくつかの階層になって並ぶ本棚の最奥に、大きなガラス窓とそれに面しておかれたベッドが目に飛び込んできた。

 そこに下ろされ、困惑する。

「あ……あの?」

「一週間ぶりだな」

「!?」

 両腕で抱きしめられてリディアは目を白黒させた。一体何をしているのだ、この男は。

「変わりはなかったか? 使用人たちが君を婚約者だと認めていないという話だが……」

 彼女の耳元で笑う男に、リディアはぐっと奥歯を噛み締めた。

「ええまあ、風変わりな嫌がらせを受けておりますので少なくとも歓迎はされてないかと」

「風変わりな嫌がらせ?」

 ゆっくりと彼の手が背中を撫でる。ぞわぞわしたものを堪えながら、リディアはぐいっとリアージュの胸を押すと、首を傾げる男に皮肉気に笑って見せた。

「ええ。おかげで退屈とは程遠い日々を過ごさせていただきました。といいますか、閣下。何を企んでるんです?」

 今、侍女二人は居ない。彼女たちがどの程度リディアとリアージュの契約を知っているのかわからないが、『婚約者とは愛ある人のこと』と熱弁していたように見える二人は恐らく知らないのだろう。

 兄のフィフスは知っているだろうが。

「我々の婚約が明日の舞踏会で正式に発表されるとなれば、コートニー伯爵は出てこざるを得ない。そこで君に何か仕掛けてくれば……」

 ぱっと両手を広げて嗤う男に、リディアは溜息を呑み込んだ。

 なるほど。そうなればいけ好かないオーガストを現行犯で捕まえることができる。

「そのための調整に忙しかった」

(ルーウェン伯爵は確か中立だったわ……)

 王党派、旧宰相派の要人が半分ずつ招待されているはずだ。その中で味方との結束を固め、コートニー伯爵の悪事から芋づる式に旧宰相派の動きを暴こうということか。

 だがそれならばこの間と同様にリディアを連れていけばいいだけで婚約を吹聴してまわる必要はない。

「──……公爵閣下、私との婚約について……どの程度の人間が真相を知っているのですか?」

 どこまで愛想笑いを振り撒けばいいのかと、そう考えて尋ねれば、リアージュは眉を上げた。

「フィフスと……あとはハイランド侯爵。それと王太子殿下だな」

 ハイランド侯爵。

 ブルーモーメントの支援者代表だと目されていた人物で、先の舞踏会には出席していなかった。

(王党派の偉い人がこの件を知っているってわけか……)

 リアージュたちが所属する王党派が掲げるのが王太子殿下で、対立する旧宰相派が持ち上げるのは第二皇子だ。彼は側室の子供であるが、側妃の祖父が今は亡き辣腕の宰相だったことから支持するものが多い。

(彼らの私腹を肥やす政策に辟易してる王党派が勢力拡大を目指していて……)

 そのメインイベントが黒の領地の討伐戦だ。

 もともと王党派は、聖女が現れた際、彼女を王太子妃として迎え入れ、彼女の後ろにいる星教会のランドルフ枢機卿の協力を得ようと計画していた。

(でもエトワールは……)

 王太子を選ばず、リアージュに惹かれてしまう。

「……どうした? 茹で卵でも丸のみしたような顔をして」

「息が詰まりそうな顔ということでしょうか」

 イケメンにきょとんとした顔で言われて苛立つ。ぐだぐだ権力争いについて考えたところで、その辺の未来はもう、リディアの知ったことではないのだ。さっさとオーガストを排除し、心臓に絡む白い手の願いを叶えた後、セカンドライフを楽しむ。それがリディアの願いであり、この男と本当に結婚する未来は不要だ。

「公爵閣下」

「リア」

「………………リアージュ」

 何度目になるかわからない不毛なやり取りをしながら、リディアはぐいっと彼に向って身を乗り出した。

「この婚約は、オーガストが排除されるのと同時にすぐに解消になるのですよね?」

 真剣なまなざしで薄明色の瞳を見上げれば、ちょっと目を見張った彼がにっこりと笑った。

「その時に君の頬の傷が完全に消えていれば、な」

 にこにこ笑うリアージュに、リディアは閉口する。

(もしかして……婚約発表でそれをネタにするつもりなのかしら……)

 顔に傷をつけてしまった責任を取ります、とか?

 絶対に嫌だ。

「リアージュ、間違っても私が顔の傷をタテに婚約を迫ったなんて言わないでくださいね!?」

 思わず念押しをすれば、彼はにやりと笑ってリディアの腕を取って立ち上がる。

「さ、そろそろ部屋に戻れ。明日に備えて準備が必要だろ?」

「婚約発表の詳細を教えてもらえませんか!? 何故三回ワルツを踊ることにしたのか、どんな理由を申し上げるつもりです!?」

 ぐいぐいと背中を押されて私室を移動する。その中で振り返りつつ必死に声を掛ければ大きな扉の外までリディアを押し返した男がいい笑顔を見せた。

「もちろん、愛しているからに決まっているだろう?」

「リアージュッ!」

 思わず怒鳴り返せば、目の前で扉が閉まる。直前に隙間から見た男の、完全に優位に立ったようなせせら笑いを見て、リディアは歯噛みした。

 あの男、もしかしてただ単に面白がっているだけなのでは!? と。

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