微妙な嫌がらせと直訴②


 薄暗いそこの先には階段があり、彼女はためらうことなく降りていく。やがて地下一階に辿り着くと、がやがやと話し声が聞こえる『使用人用食堂』の扉を開いた。

「こんな面倒な嫌がらせを繰り返すよりももっと建設的なことをした方がいいと思うのよね」

 唐突に彼らの日常を切り裂いて響いた、主の客人の声に、全員が入り口を振り返った。ぎょっと目を見張るお仕着せ姿のメイドや使用人をリディアはざっと見渡す。

 大きな木製のテーブル一番奥に、リディアの侍女を命じられたタイニーとナインがいて、二人が無表情で立ち上がった。

 全体的にひりつく……肌に痛い空気が流れる中、リディアがにっこりと笑って見せた。

「まぁ、そう敵意をむき出しにしないでよ。あなた達が私を信用できず、閣下の為に追い出したいと思っているのは十分理解していますから。ただあなた達は間違ってるわ」

 ぴくりと眉間が動く双子の侍女を見詰めながら、お腹の前で両手を組んだリディアが堂々と胸を張った。

「私だって一刻も早くここから抜け出したいんだから」

 ざわっと、目に見えない動揺が彼らの間を駆け抜けた。それをかき乱すようにリディアが続ける。

「ここで私から提案なのだけど、我々の不満を公爵閣下に直訴したいんですが、どうかしら?」






「却下だ」

 侍女二人を従えたリディアの直訴は一言で退けられた。

「なんでです!? 使用人たちは私を婚約者だと認めていませんし、私自身、ここでオルダリア公爵家の嫁に相応しいか相応しくないか、試されて留め置かれることに意味を見いだせていないのですが」

 くわっと目を見開いて声を荒らげ、リディアは私室の大きな執務机に座るリアージュに詰め寄る。ゆったりとした、座り心地のよさそうな椅子に身を預け、ひじ掛けに肘を付いて両手を組んでこちらを見上げる彼は非の打ち所の無い、悪魔のような笑みを浮かべた。

「君はわたしの婚約者で、婚約者が我がラムレイ家に相応しい立派な淑女になるべく教育するのは我らの務めだ。だから君はこの屋敷に留め置かれている。その何がおかしいと?」

 流れるように告げられる建前に、リディアは奥歯を噛み締めた。

 ちらっと後ろに控える侍女を見れば、二人とも苦虫を噛みつぶしたような顔で視線を落としていた。

「──……この屋敷の使用人はみな、私を閣下の妻候補とは認めておりません」

「何故使用人に認めさせる必要がある? わたしはこの屋敷の当主だ。わたしの一存で物事は決まる。君はわたしの婚約者で、ここで花嫁として当然の振る舞いを身に着ける。以上」

 きっぱりと言い切り、変わらぬ笑顔を貫くリアージュに、リディアはグーパンチをお見舞いしたくなった。だがぐっとこらえる。

「閣下」

「リア」

「…………リアージュ。私達の関係は世間一般の婚約者同士のようなロマンチックなものではないと把握しているのですが」

 ちらりと背後の二人を見て、低い声でそう呟けば、リアージュは片眉を上げるとゆっくりと立ち上がった。

 そのまま流れるようにリディアの腰に片手を回す。

「タイニー、ナイン、外してくれ」

「その前に! 使用人代表である二人の意見も聞いてください」

 その腕を両手で掴んで引き剥がし、リディアが目を三角にして凄んだ。彼女と視線を合わせ、軽く眉を上げると、リアージュは腰から手を離すことなく肩越しに二人を振り返った。

「五分で話せ」

 冷たく、触れたもの全てを切り裂くような命令に、ぴしっと二人が背筋を正す。

 先に口を開いたのはタイニーだった。

「閣下、ミス・リディアはコートニー伯爵がここ数日ずっと探していた、行方不明の婚約者で現在も彼女を返還するよう、伯爵から連日抗議が届いております」

 すっと、タイニーの眼差しがきつくなり、凍れる銀色の瞳がリディアを射貫く。

「新聞にも大々的に報道されておりました。自分の境遇を助けてくれた伯爵を捨てて、公爵に取り入った女狐だと」

(実際はあいつのほうが私の財産目当てだったんだけどね……)

 思わず半眼で溜息を吐く。そのリディアの腰を柔らかく撫でながら、リアージュが面白そうに目を細めた。

「それで?」

 冷ややかな声に、今度は姉のナインがゆっくりと続けた。

「自分を護ろうと申し出てくれた存在を捨て、閣下に色目を使っている時点で我々の心証は最悪ですわ。それなのに何故閣下はミス・リディアを婚約者として扱うのですか? 彼女は何か企んでいるのではないのですか?」

(企んで依頼を持ち掛けた先にいたのがたまたま爵閣下だっただけなのよね……)

 更に遠い目をするリディアに身を寄せ、額に頬を寄せたリアージュが甘い声で二人に訴えた。

「新聞報道を鵜呑みにするとは……いいかな、二人は盛大な誤解をしている」

(なんですと?)

 リディア自身初耳だ。両手で彼を押しやり、半眼でリアージュを見上げれば、彼はその薄明色の瞳をビー玉のようにきらきら輝かせて、告げる。

「リディアはコートニー伯爵から搾取されるのを嫌ってわたしの元に来たんだよ?」

(確かにそうですけど!?)

 間違ってない。遺言を書き返させ、じわじわ死んでいく呪いをかけてリディアを殺し、財産を横取りするのがオーガストの計画なのだ。だが今はまだオーガストとリディアは結婚もしていないため、現時点でリディアが死んでもオーガストには何の利益も生み出さない。

 ホテルではリディアを殺しかねない勢いで暴漢を送って来た意味がわからないが、ナイフをちらつかせて脅し、連れ帰るよう頼まれていたんじゃないかと、リディアは勝手に睨んでいた。

 そんなわじわと命を奪っていく方向で遺産を手に入れようと考える男に、搾取されていると言えば……なのだろう。主に命を。

「むしろ彼と別れられて諸手を上げて喜んでいる。なのに何故、簡単に奴が手だしできそうな場所にリディアを置いておかねばならない?」

 ふっと、真剣な眼差しでリディアを見詰め、自分の言葉に信ぴょう性を足そうとするリアージュに、彼女は苛立った。

 彼の行動はリディアを護るために行うわけではない。ただ円滑に物事を進めるために必要だというだけだ。リディアを屋敷に置いておけば自分の目が届くので管理しやすい……ただそれだけだ。

「そんな面倒な女性を何故、閣下が妻候補として選ばれたのかが納得いきません」

 タイニーが目を吊り上げて訴える。ナインもその綺麗なピンク色の唇を引き上げて笑うが、文字通りの笑顔にはどうしても見えなかった。

「リアージュ」

 二人の疑いに乗っかるつもりで、リディアは自分の腰に回された彼の腕に触れ、こちらを見下ろす彼に聖女のような笑みを浮かべた。

「お聞きになったように、この屋敷の者は、私を認めておりません。やはりここは私を解放するべきです。誰もが皆、公爵閣下の判断を疑っております。私は怪しげな女で、閣下を誑かし婚約者の座に収まっているに決まっていると」

 そんなリディアの発言に、彼は首を振る。

「君はわたしが、何の考えもなく同じレディに三回もワルツを申し込むと思うのかな?」

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