1-8

「ちがいません」

 再び、今度はどこか自嘲するかのような口調で、亜深あしんは口にした。

 ――龍玉を破壊すれば、お前は、不死ではなくなる。そうだろう?

 りょう王が続けた言葉にも、ええ、と、素直に頷く。その遣り取りを聴いた青嵐せいらんは、わずかに、息を呑んでいた。

 なぜ、と、思う。青嵐の目には、亜深が自らの不死の身の上を――朋友ともに先立たれ、己だけがこの世に留まりつづけねばならないことを――心の底から嘆いているように見えた。けれども、いまの話を聴くに、彼は自分が不死から解き放たれる方法すべを、朋友の訪いを待つまでもなく、もとより知っていたように思われる。

「アンタ、なんで……?」

 それで青嵐は、つい、そう口走っていた。

「龍玉を壊せば不死でなくなるってんなら、とっとと、そうすれば良かったんじゃないのかよ」

 龍玉はずっと天涯山主、すなわち亜深の手の内にあったはずだ。壊そうと思えば、いつでも出来たのではないのだろうか。不死からの解放を彼が切に願っていたのならば、亜深はなぜ、それをしようとしなかったのだろう。

「壊せないのか、龍玉は……?」

 破壊方法がないのだろうか。亜深がそれをしなかった理由をそう想像した青嵐だったが、案に反して彼は、どうでしょうか、と、わずかに首を傾げた。それにあわせて、艶やかな黒髪が、さら、と、肩から滑り落ちる。

「破壊自体は、本気でなそうとすれば、可能だったのかもしれません」

「なら、なぜ」

 なぜそうしようとしなかった、と、青嵐が問うと、亜深はどこか切なそうに口許をゆるめた。

「龍玉はね、青嵐、私の身の内にあるんです」

「……え?」

「私のこの身に宿る、霊力そのものの塊のようなもの。それが、龍玉と呼ばれるものの正体。その破壊は、莫大な霊力の、この世への解放を意味する」

「それが……?」

「龍玉に宿る力はね、雲上天の方々すら扱いかねたほどのものだといいます。どうすることも出来ず、相殺するために考え出された苦肉の策が、私……もし龍玉の霊力が解き放たれてしまえば、もしかすると、この中原など、ひとたまりもなく吹き飛んでしまうかもしれなのですよ? ――それがわかっていて、それでも、身勝手な望みのために、破壊することが出来たと……?」

 ほう、と、嘆息するように言われて、青嵐は息を呑んだ。

 では彼は、中原を護るために、ひとり、その身に大いなる悲しみと孤独とを背負い続けているということではないか。青嵐は知らず、てのひらをきつく握り締めていた。

「龍玉を、安全に壊す、方法は……?」

 絞り出すように問うと、亜深はゆるく首を横に振った。ない、と、いうことか。それとも、わからない、と、いうのか。せめて後者であればよい、と、青嵐は眉を顰め、ぎりり、と、奥歯を噛みしめた。

 わからないだけだというなら、その方法を、探し求めればいいのだ。彼の朋友であった凌王に代わり、今度は青嵐がそれをする。主である凌王が、かつて亜深との間に交わした約束を、青嵐が引き継げばいいのだと思った。凌王が青嵐を亜深のもとへ遣わしたのも、きっと、そうした意図があってのことだったのだろう。

 ――それこそ……。

 そのとき、ふいに、老王が言った。

 ――その方法ほうこそ、そなただ……青嵐。

「お、れ……?」

 青嵐は目を瞠り、ゆらゆらと揺らめく、幻の主を見詰めた。

 ――先程、言ったろう? 生涯をかけて掴んだわずかな手掛かり、それが、そなただと。

 老王は、ふ、と、口許をゆるめたが、青嵐はただただ目を瞬いた。亜深もまた、朋友の言葉の奥に込められた意味を探るかのように、じっと、凌王のほうを見詰めている。

 けれどもやがて、何かに気付いたかのように、ああ、と、息を吐いた。

「それで……」

 なにやら得心したように、そう口にする。

「天涯のぎょくを始末するは地涯の主」

「なんだ、それ?」

「言い伝えです。私も深い意味までは知らない。ただ、そう聴いたことがあるというだけ」

 ――やはりお前は知っていたのだな、亜深。

 凌王が、呆れて嘆息するように言った。教えてくれていればことはもっと早く済んだのに、と、そう恨み言を口にするような調子だった。

 亜深は、ちら、と、眉を顰める。これは、朋友に対しての申し訳なさの表れのようだった。

「それで? その地涯と俺とは、どう関係するんだ?」

 話が見えなくて、青嵐は先を急かした。亜深が灰色の眸をこちらに向ける。

「景明が、君をこそ私のところへ寄越した理由わけ……そして、先程、君が地鬼ちきに襲撃された理由」

「だから、なんなんだよ、それは? 地鬼がなんだってんだ?」

 何が何だかわからない青嵐が、勿体ぶらずに早く教えろ、と、亜深の顔を睨むように見返す。すると相手は、灰色の眸を眇めて、ふ、と、息をついた。

「地鬼が中原に姿を見せるのは、地涯谷主の力が弱まっているため……すなわち、谷主の代替わりが近い証です。そして、青嵐……君はおそらく、次代谷主の候補なのでしょう。どういう手段かは知らないが、龍玉を始末できるとされる者の、ね。だから君は、景明によって、私のもとへ遣わされてきた。そして、だから君は地鬼に襲われた。――そういうことですね、景明」

 亜深が凌王にたしかめるように語りかける。

 ――言っておくが、はじめから知っていて、この子を拾ったのではないぞ。 老王は、ふう、と、息を吐くようにして頷いた。

「地涯、谷主……俺が?」

 青嵐は呆然と呟いた。

 雲上天と中原とを分ける天涯山の主、天涯山主と対をなす、もうひとりの世界の守護者。地鬼の蠢く沙沙ささ下地がちとの境にある地涯谷を護る、そこの主。

 亜深や凌王が何を言っているのか、青嵐にはまるでわからない。否、言葉が難しくて理解できなかったわけでは、もちろんなかった。ただ、相手の発した文言は、青嵐にとってまるで現実味を伴わないものなのだ。孤児で、国の暗部組織の一員でしかない自分が、世界を分ける地を守護する存在の候補だなどと、冗談でも聴かされている気にしかならない。

 そんな青嵐をよそに、青嵐を拾った当の王は、目を細めて青嵐を見ていた。皺深い顔の、静かなその眸は、でたらめを口にしているようには思えない。

 ――天涯の玉を始末するは地涯の主。亜深を不死にしているのが龍玉だと気付いて以来、それを何とかする方法を、俺は探し続けた。辿り着いたのは、そんな、わずかな言い伝えばかりだったが……それからは、地涯谷主についても調べたよ。そして、やがて気が付いた。我がかたわらにはべる子供が、次の谷主になる資格のある子だということに。

 運命だと思った、と、老王は笑う。そうすると目尻に皺が寄って、その顔をひどく穏やかな、やさしいものに見せた。身寄りのない、汚い子供だった自分に、彼の人が手を伸べてくれた遠い昔を、青嵐は思い出した。

 ――青嵐。我が、大切な養い子よ。我が朋友ともを、彼との遠い日の約束を、そなたに託す。どうか、亜深を不死の孤独から救ってやってくれ。

 頼むぞ、と、そう告げたあと、凌王は亜深のほうへと視線を向ける。

 ――亜深……我が、大切な朋友ともよ。地涯谷へ辿り着くまでの道程の間、俺の大事な養い子を、どうか、守ってやってはくれまいか。

 頼めるか、と、凌王はゆっくりと訊ねた。

「ええ……ほかならぬあなたの頼みですから、景明」

 ほう、と、吐息するような亜深の答えを受けて、ありがとう、と、老王は目を眇めた。

 勝手に話を進めるな、と、青嵐は思う。思うが、ここまでに並べ立てられた言葉が衝撃的過ぎて、舌が縺れ、うまく反論することができなかった。

 ――俺はもう、かねばならん。

 やがて老王は、長く吐息しつつ口にした。

 ――すまんな、亜深。ひと足先に黄泉こうせんへ赴いて、そこでお前を待つとしよう。今度は、俺のほうが……どれだけ長い時になろうが、いつまでも、待っている。そして、いつかお前もこちらへ来たら、そのときは……また、共にわしてくれるだろう? なあ、我が朋友とも、亜深。

 凌王がそう語りかけると、亜深は灰色の目をゆったりと細めつつ、ふ、と、口許に微笑を刻んで頷いた。それを見た王は、ほう、と、安堵めいた息を吐いた。

 そのときだった。高い山の向こうから、さぁあぁん、と、一迅の風が吹き寄せてくる。

 きらきらしい光の泡が、世界にち満ちていた。そして、その淡淡とした光の中に、老王の姿はけるように消えようとしている。

「君上……っ!」

 まってくれ、と、引き留めようとするかのように、青嵐は絞り出すように王を呼んだ。けれども、王の姿が空気に滲んでいくのは止められない。老王は最後に、ちら、と、こちらを見た。

 その眼差しは、春の陽だまりのように、あたたかくやさしい。

 王の姿はやがて、光の泡沫うたかたとなって消えていった。青嵐も亜深も、しばし黙って、ぼう、と、ほうけたように凌王の幻が融けた空間を見詰めたままでいた。



「さて」

 どれだけ時が経ったろう。天涯山主はそう言って、青嵐を見た。

「立ちなさい、青嵐。さっそく出立しましょうか」

 声をかけられ、はっとした青嵐は亜深を見返した。相手が灰色の目を眇めて、薄っすらと微笑んでいるのが目に入った刹那、奇妙な衝動が湧き起こって、きゅ、と、唇を噛んでいる。

 次の瞬間、青嵐は素早く動いて、亜深の喉元に匕首ひしゅを突きつけていた。

「……青嵐?」

 くびやいばを添えられてもひるみも動じもしない亜深が、ただ、どういうつもりだ、とでもいうふうに、青嵐の黒眸こくぼうを静かに見返してくる。青嵐は眉根を寄せて、ち、と、鋭い舌打ちをしていた。

「俺は」

 低くうなるような声音で相手に告げる。

「俺は君上から、アンタの殺害を命じらた。遺命なんだ。何が何でも、絶対に、果たしてやるからな……!」

 青嵐は言いながら、亜深の首筋に殊更ことさらゆっくりと匕首の切っ先をわせた。こちらのやいばの動きを追うようにして、柔く白いはだに、すぅっと、ごく細く、赤い線が走る。が、その傷は見る間にふさがって、すぐにもとのなめらかな白い膚に戻っていた。

 痛みはなくはないだろうに、亜深は表情ひとつ動かさない。それを見た青嵐はまた、ち、と、ひとつ舌打って、匕首を下ろした。

「絶対に、だからな!」

 幼子が地団駄じだんだ踏むときのような調子で、勢いよく吐き出す息とともに再び告げると、そこでようやく亜深は、くく、と、喉を鳴らした。横目にちらりとそんな相手の表情をうかがった青嵐は、いかにも不快げに、眉間にしわを寄せる。

「なんだよ」

「いえ……さすが、景明に育てられただけはあるな、と」

「はあ?」

「おひとよし」

 言って、ふわりと口のをゆるめた。その灰色の目がまた、すぅっとやわらかくすがまっている。

「っ、うるせぇ!」

 青嵐は悪態をく。けれども亜深は気にしたふうもなく、くすくす、と、袖を口許に当てて、可笑しそうに声を立てた。

「ふふ、では、私も朋友ともとの約束に従って、君を地涯谷まで無事に送り届けることに力を尽くしましょう。なにしろ君は、景明が生涯をかけて私に遺してくれた希望、なのですから」

 亜深は静かに息をいた。

「地涯谷主の代替わり、か……百数十年に一度とされていますが、その度に、沙沙下地からは地鬼が湧く。次の谷主になるべき者を葬り去るためです。新たに地涯谷を守護する者が立つことがなければ、沙沙下地と中原を、地鬼は自由に行き来できるようになりますから。――彼らはこれからも、君の命を狙い続けるでしょう」

 これから先、自分が見舞われるであろう困難について聞かされ、青嵐は黙った。そんなこちらを慮るように、亜深は、大丈夫です、と、口にする。

「君のことは、私が必ず護り抜きましょう。景明と約束しましたから」

 やわらかく微笑みながらそんなことを言われて、なんだよそれ、と、青嵐は思った。

「天涯山……不在にしてもいいのかよ?」

「まあ、しばらくなら。陣は張っていますし、君や景明みたいに私の陣に入り込むようなやからは、滅多とあるものではないですしね」

 大丈夫でしょう、と、そう言う相手に、青嵐は眉を顰めた。

「なんだよ、俺や君上が変だってのか」

 不満げに口を曲げてみせたものの、相手は、まあそういうことです、と、しれっと言う。反抗するのも莫迦らしくなって、青嵐はただ、はんっ、と、鼻を鳴らした。

「何度でも言うけどな。大事な主の遺命なんだ……俺は絶対、アンタを殺す」

 ぼそ、と、そんな言葉を繰り返す。一拍、灰色の目を瞠った亜深は、その後で、ふ、と、すこしだけ目を細めた。

「お願いします。そうしてもらえるよう、私は君を、地涯谷まで護りましょう。――大事な朋友からの、頼まれごとでもありますし」

 さぁあぁん、と、すこしばかり強い風が吹いてくる。亜深がそれに気を引かれるたように顔を上げた。

 彼の長い烏羽玉ぬばたまの黒髪を、白い道袍きものそですそを、風がやさしくなぶっていく。吹き来る風のその向こうは、遠く、凌国だ――……灰色の眸をすがめる亜深は、知己ともの治めたその国を、遙かに眺めるかのようだった。

「――さ。準備を整えて、さっそく出立するとしますか」

 やがて相手は青嵐を見てそう言った。

「あ、そうだ。私の荷造り手伝ってくださいね、青嵐」

「あ? なんで俺が」

「だって、私、旅慣れていませんし。君が手伝ってくれたほうが、きっと早く済む。――ね、お願いできますよね、〈青嵐〉?」

 呪を籠めて名を呼ばれ、う、と、青嵐は呻いた。卑怯だぞ、と、亜深を睨むが、相手はにこやかに笑っている。

「っ、くそったれ!」

 相手の笑顔を見据えつつ眉根を寄せ、青嵐はてた。くつくつくつ、と、可笑しげに喉を鳴らす亜深とのこの先の道程が思い遣られる。

「俺で遊ぶなっ!」

 言ってはみるが、聞き入れてもらえる気は、欠片ほどもしなかった。


―一章 天涯の剣(了)―

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