1-6
明くる
あるいは、龍玉を奪うのならば、いっそ彼の殺害は諦めてその身を鎖か何かで拘束してしまうほうが現実的なのではないだろうか。そうも考えたが、とはいえ、昨日
それよりも、なによりも――……なにか、そうするのは違うような気がしてしまっている。それでほんとうにいいのか、と、忸怩たる思いを噛むような想いで自問してしまっている己を、青嵐は自覚していた。
龍玉を得てここを去るならば、それは、天涯山主の命を
時間がない。
わかっているから、
せめて時だけでもあったならば、もっと違う選択肢が見えてくるのかもしれない。けれども、国都を離れる際、すでに
どうすればいい、と、
そのときだった。
「――青嵐……起きていますか?」
扉の向こうから落ち着いた静かな声が聞こえてきた。訊ねておいて、けれどもこちらの返事も待たずに扉を押し開け、天涯山主が姿を見せる。
あの後、いったい彼は眠ったのか、それともそのまま夜明かしをしたのか。あるいは、そも、彼に眠りは必要なのかどうか、と、不死の身の上をあまりにも静かに、諦めるかのように嘆いてみせた
昨日と変わらぬ白い
「〈青嵐〉、こちらへ」
呼ばれて、青嵐は、ち、と、舌打ちした。身体が勝手に動くというほどではないものの、
「なんだよ」
せめてもの抵抗に、不機嫌を
「これを」
天涯山主が差し出したのは、てのひらにすっかり収まる大きさのちいさな瓶だった。
「天涯山に湧く
そして人の世へ戻りなさい、と、かすかな微笑とともに手渡されて、青嵐は目を
「なん、で……」
「不老不死、あるいは不老長生を求める者の気持ちは、私には、わかりかねます。けれども……大切な者がいて、その人に尽くしたいという君のきもちは、なんとなくわかる気がする。それでも私は、天涯山主として、龍玉をあなたに渡すことはできません。――だから、せめてこれを」
昨日一日の
「行きなさい、〈青嵐〉。――……君の慕う相手ならば、たとえ君が私を殺し損ねて戻ったのだとしても、
その言葉に、青嵐ははっとした。
こちらを灰色の眸で見つめて薄っらと微笑む山主をじっと見返しつつ、手の中の小瓶を握り締める。この霊薬は、王命を遂行できずに帰還せざるを得ない青嵐の
「っ、君上にこれを届けたら、俺は必ずここへ戻る……!」
気付けば青嵐はそんなことを
天涯山主が、青嵐の発言に驚いたように目を丸くする。
けれども、一拍の後、彼は微笑してちいさく
「戻らなくていい。ここを去って、君は、大切な人の傍らで、かなう限りの時を共にしなさい。――……だいたい、戻る義理など、君にはないでしょうが」
最後、山主は、くすくす、と、声を立てて笑う。
「っ、でも……!」
「戻る必要はありません。私のことは気にせず、君の心のままに、君の王に……君の大切な相手に、最期のそのときまで、お仕えすればいいのです」
「っ、その、王が! アンタを殺せって命じたんだ! 俺に! だったら俺は、それを果たす! 何が何でも…………アンタの、ためにも……」
そんなふうに途切れ途切れに言葉を
思わず正面に立つ天涯山主の顔をまじまじと見ている。灰色の眸を、はたはた、と、こちらも驚いたように
「ありがとう。でも、君はもう行きなさい。そして、戻らなくてかまいませんよ……〈青嵐〉」
有無を言わさぬ言葉を置いて、天涯山主は
名も知らぬ相手の白く細い背中を、青嵐は
それでも、名を呼ぶ声に込められた呪の力が、こちらの意思とはうらはらに身体を動かす。青嵐は、くそ、と、毒づき、くちびるを噛みしめて、天涯山荘を後にせざるを得なかった。
*
その
その途端、もやもやと
青嵐は音のしたほうへと意識を傾けた。
誰かいる。おそらくは、複数だ。
こちらは誰かを付け
青嵐は我が得物である
そこには天涯山主が
そして、ふと、考える。あるいはこの水こそが、相手の狙いなのかもしれなかった。普通ならば人間が足を踏み入れることのかなわぬ秘境、天涯山。そこに湧く霊泉の、万病に効くという水が、いま青嵐の手に在るのだ。
き、と、青嵐が視線を鋭くした刹那だった。
相手の得物は
相手が纏うのは、黒地を基調に、
正面から受けた刃を力任せに弾き返し、青嵐はそのまま地を蹴って飛び上がった。木の幹を足場に方向を変え、斜め上から匕首を振り下ろす。これは
三十六計逃ぐるに
ぐる、ぐぅるる、と、仮面の下で奇妙な
そう考えて、けれども、首を振る。たとえばそれでこの包囲から抜け出せたとして、貴重な霊泉の水を失ってしまえば、凌王にも、そしてこれを与えてくれた天涯山主にも、申し訳がたたない。会わせる顔がない。
手放せない――……だが、それなら、どうすればいい。
そのとき青嵐の指は、ふと、もうひとつの感触に触れていた。
錦だ。それで、王から
青嵐は錦袋を掴み、中から
唱えよ、と、教えられていた呪文はごく短い。青嵐はすぅっと息を吸うと、力を籠めて口にした。
「――……
虚空へと高く投げあげられた呪符が、透き通るような蒼白い
白い焔の中から立ち現れ、見事な剣を振るった者――……それは、先程別れたばかりの、天涯山主その人だった。
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