1-4

 結局一日中こき使われ、とっぷりと暮れた頃、青嵐せいらんくりやにいた。

 腹が減っていたのでは出来るいくさもかなわない。今日の労働の対価として多少の食糧を黙って失敬したところでばちはあたるまい、と、その辺りにあった豆や干し肉を勝手に使って、しるものを作ったところである。それを、これまた適当に拝借はいしゃくしたわんに盛ってすすっていると、そこへふと、天涯てんがい山主さんしゅがやってきた。

 白い姿が見えた途端、げ、と、思わず本音がれる。椀を手にしたままで、いかにもいやそうな顔をしてしまったこちらに、山主はといえば、心外だ、と、いうふうな表情を見せた。

「おや、なんです、その顔は?」

「……べつに」

「別にという表情じゃありませんよね」

 笑って、こと、と、小首を傾けるのに合わせ、長い黒髪が一筋、肩からこぼれ落ちた。灰色の眸がからかうように青嵐を見詰めたが、青嵐は、むすっとくちびるを引き結んだまま黙っていた。

 なんとなれば、こちらとしては、暗殺の標的である相手に――不用意に名乗ってしまった己が悪いとはいえ――良いようにもてあそばれているのだ。当然、不機嫌のひとつやふたつくらい、あらわにもしたくなるというものだった。

 しかし、そんな青嵐の態度などどこ吹く風の天涯山主は、そのままくりやの中に入ってくる。かまどの傍へ寄ると、しるものを煮た鍋を、いかにも興味津々というふうに覗き込んだ。

「おいしそうな、いいにおい……ねえ、私もいただいてもかまいませんか?」

 微笑しながら、鍋を指さす。

 青嵐は、厭だね、と、意地悪く答えつつ、つんと顔を背けた。

「なんでですか? だってこれ、もとはうちの食材でしょう」

 山主が不満げに言った。

「でも作ったのは俺だ」

 だから食わせるかどうかは俺が決めていい、と、理屈りくつにもならぬ無理な理屈を述べ立てたところで、青嵐は不意にあることを思いついた。

 片頬をゆがめると、黒眸こくぼうを相手に向ける。

「どうしても食いたいなら、交換条件だ」

「はあ」

「アンタの名を言えよ。そしたら食わせてやってもいい」

 にや、と、笑ってやったら、天涯山主はかすかに目をみはった。それから、長い睫の縁取るそれを、はたはた、と、二、三度ゆるやかにまたたいてみせる。

「〈青嵐〉」

「……っ!」

「私にも食べさせてくださいますよね、〈青嵐〉?」

 またしても精神こころに目に見えぬ捕縛を受けて、卑怯ひきょうだぞ、と、青嵐はうなった。

 眉をひそめて天涯山主をにらえたが、相手はしれっと涼しい顔をしている。その表情はあたかも迂闊うかつに名乗るそちらが悪いとでも言っているようで、ますます小面憎かった。

「っ、殺す……!」

 穏やかならざる言葉を口にしつつ、青嵐は山主の喉元をねらった。が、手にあるのがたま杓子じゃくしでは恰好かっこうがつくものではない。くすくす笑う山主を前に、く、と、喉の奥で低くうめいて、青嵐は玉杓子を自棄やけ気味ぎみしるものの鍋の中へと突っ込んだ。

 悔し紛れに中味を乱暴にからくってみたとき、ふと、疑問を抱く――……刃物による攻撃はまるで効果がなかったが、果たして、この青年に毒は効くのだろうか。

 思い付くが早いか、青嵐は我がふところに手を入れていた。取り出したのは、ごくちいさな瓢箪ひょうたん型の器だ。その中には幾粒かのちいさな丸薬が収められている。

 器を振って薬をてのひらの上に出すと、青嵐はそれらを天涯山主の目前で、これみよがしにしるものの中に投入してやった。ぐるりと鍋の中味を掻きまぜ、それから椀によそってやる。

「ほれ……飲め」

 お望みのものだ、と、青嵐は椀にさじを添えて、山主に差し出した。

 こちらがしるものに混入させたのが毒薬かそれに類するものであろうとは、もちろん、こちらの正体を知る天涯山主には、容易に予測がついたに違いない。だからいっそ、これは意趣返しも兼ねていた。

 毒入りとわかり切っているしるものを前に、いったい、この青年はどうするだろうか。青嵐は意地悪く口角を引き上げて、天涯山主の反応をじっとうかがっていた。

 山主は灰色の眸で青嵐を見ると、やれやれ、と、そんな表情をする。しるものの椀を受け取ると、中味を匙ですくって、躊躇ちゅうちょなく薄いくちびるをそれに寄せた。

 ひと口、ふた口、と、相手は平然としるものを食べる。嚥下するのが、白い喉の動きでわかった。

 けれども、更にもうひと掬いを口の中に入れたとき、ぐふ、と、えずくような不自然な音が聞こえる。

 青嵐がしるものに混ぜたのは、即効性の猛毒だった。しかも致死量を遙かに超えている。普通なら、口にすればすぐにももがき苦しんで絶命に到るはずだが、山主は苦しげに眉を寄せこそするものの、倒れ込むようなことはなかった。

 ただ、けほ、ごほ、と、せるようなせきがひとしきり続き、気づけば、相手の口の端を暗褐色の血が一筋、伝いこぼれている。

 毒は、まるで効かないわけではないらしい。

 とはいえ、相手に死をもたらすことは、やはり不可能ということなのだろう。青嵐がそう判断する間もまだ、相手はしるものを食べ続けていた。

 痛み苦しみをこらえる苦悶くもんの表情をしながらも、ひと匙、ふた匙と口にする姿を見ていると――……青嵐の胸には、ふと、奇妙な苛立ちめいたものが募ってきた。

 毒入りとわかって、なぜ食べる。しかも、口にすれば苦痛があるにも関わらず、と、己で毒薬を混ぜておいて、そのくせ青嵐は、目の前の青年がいま取っている行動に対して無性に腹を立てていた。

「っ、やめろ……っ!」

 ついには、天涯山主の手から、椀を弾き飛ばしている。

「なにをするんですか……勿体もったいない」

 山主は溜め息を吐き、青嵐の行動をそんなふうにとがめた。

「なんで……!」

 毒入りだぞ、食えば苦しむくせに、と、眉を寄せて青嵐は問い詰める。

「まあ、別に死にませんし」

 天涯山主はしれっと言って、くすん、と、肩を竦めた。

「それに……誰かが作ったものを口にするのは何十年振りだろうって思ったら、なんとなく」

 そう言ったときのすがまった灰色のが居たまれなくて、青嵐は、くそ、と、何にともなく毒づいていた。

「……作り直す」

 青嵐は山主に背を向けて言う。鍋に手をかけ、中味を捨てようとすると、慌てたように相手がこちらの腕を掴んできた。

「いいですよ。毒でも死ぬわけではないのですし、それを食べますから」

 捨てなくてかまわない、と、そう言う天涯山主に、青嵐はひとつ、き、と、きつい眼差まなざしを向けた。

「作り直すっつってんだろ……!」

 意地を張るように言って、山主を無理やりくりやから追い出した。

 かまちのところまで押し出されながら、驚くような、戸惑うような、そんな表情をしていた相手は、青嵐を見上げ、ちら、と、苦笑する。

「君は、もしかして……おひとよしというやつですね?」

 蜘蛛ちしゅの刺客とは思えない、と、揶揄やゆするように言われたのには、黙れ、と、短い悪態をひと言れておいた。

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