1-3

玄人くろうとの刺客だというなら、もう少し慎重に、標的のことを調べてから動くべきでしたよね。まあ、あなたまだ若いみたいですし、くちばしの黄色い、経験不足のひよっこなら、仕方ないかもしれませんけれど」

 天涯てんがい山主さんしゅがにこにこと笑いながら言う。一度、正房おもやの奥へと引っ込んで着替えを済ませてきたらしい彼は、いまやすっかりもとの――まみれでない――白装束に戻っていた。どうやら彼は白い道袍きものばかり、何枚も持っているらしい。

 青嵐せいらんの攻撃のせいで、血で汚れて、穴が空いてしまったもとの道袍はといえば、いま、まさにその青嵐の手の中にあった。中庭にある井戸のかたわらに大きなたらいを据えて、青嵐はいま、青空の下、一心に洗濯にはげんでいる――……否、意に反して励まされている、と、そう言ったほうが正しいだろう。

 血糊ちのりを落とすために道袍きものをじゃぶじゃぶと水につけてこすりながら、青嵐は苦虫をつぶしたような表情をしていた。それもこれも、いま隣で、こちらの作業をいかにも可笑おかしそうに見ている相手に、〈名〉を奪われてしまったからである。

「ちょっと。そんなに乱暴にしたら、生地がいたんでしまうでしょう? もうちょっと丁寧に」

 山主はこちらの手つきに文句をつける。青嵐はそんな相手を、き、と、鋭くにらみつけた。

「うるさい! 黙れ! だいたい俺はアンタを殺しに来たんだぞ!」

 なんで洗濯なぞさせられなければならないのだ、と、そう悪態あくたいいたが、青嵐が本気の殺意をにじませてすごんだところで、相手はわずかばかりのひるみものぞかせたりはしなかった。ただ目をすがめてうっすらと微笑むばかりである。

「残念ながら、私を殺すことなど、誰にも不可能です。――あなたもさっき、それは身をもって理解したでしょう?」

 調べが足りませんでしたね、と、天涯山主は笑いながら、くすん、と、肩をすくめてみせた。

 青嵐は、ち、と、舌打ちをする。とはいえ、相手の言う通りといえば、そういう面も確かにあった。

 昨夜ゆうべと先程と、青嵐は二度に渡って目の前のこの青年に――どれだけ生きているか知らないが、少なくとも見た目には青嵐とさほど変わらぬ年若い青年だ――致命傷となるべき傷を負わせていた。だが、普通なら生きているはずのない深手をものともせず、いま天涯山主は平然とここに立っている。にこにこしている。

 不老不死――……天涯山主というのがそういうものだと、青嵐は欠片かけらも聴かされていなかった。また、そうした情報は、巷間にも、これといって流れてはいなかったと思う。

「その……天涯山主ってのは代々、アンタと同じなのか?」

 青嵐は訊ねてみる。

 すると、こと、と、怪訝けげんそうに小首を傾けた山主は、代々とは、と、そう問うた。

「少なくとも、私の記憶の限りにおいて、先代などいませんが」

 天涯山主は、またしてもこちらを驚愕きょうがくさせるようなことを、しれっとのたまう。

「天地人の開闢かいびゃく以来、ずっと、天涯山の主は、私ひとり……他にはいないはずです。まあ、あまりにも昔のこと過ぎて、記憶はかすんでいますけれどもね」

 青嵐は返す言葉を失って、思わず相手をまじまじと見据えた。

 天涯山を守護する者を、代々、天涯山主と呼称するのだ、と、世人よひとはそう語る。だが、そも、その伝承すらが誤りだったわけだ。

 天涯山主は、代替わりなど、ただの一度もしてはいない。

 だが考えてみれば――この青年が、真実、老いず、死にもしないというのなら――それも当然のことだった。そも、代を重ねる必要がないではないか。

 青嵐はきゅっと眉根を寄せた。あまりにも根本的な情報を、己は掴めていなかったわけだ。調べが足りない、と、天涯山主にわらわれても、まさにその通りだと恥じ入るよりほかなかった。

 とはいえ、己の情報収集不足の未熟を、ただただ相手に指摘されるがままに認めるのも、なんとはなしに業腹だ。

「……今回はちょっと、時間がなかっただけだ」

 それで青嵐は結局、ぼそ、と、そんな言い訳をした。

 すると天涯山主は、ああ、と、得心したように息をく。

りょう王は、そういえば、もう随分とご高齢でしたね」

 そう言われて、青嵐は、ふと、すすぎの手を止めた。

 天寿も近い高齢――……凌の国主は、もはや明日の命をも危ぶまれる状況だった。だからこそ青嵐は、一刻も早く復命せねばならないのだ。

 それなのになぜ、自分はいま、暗殺を命じられた標的のはずの男の道袍きものを洗濯させられてなどいるのだろうか。

 急がねば、と、おもう。早く天涯山主を仕止めて、龍玉をこの手に得ねば、と、じりりとした焦りが胸に湧いた。

 こんなことをしている間にも、我が王の命の灯火ともしびはかなく消え失せてしまうかもしれないのだ。あるいは、もしかしたらもう、と、不吉な想像をしてしまい、青嵐は思わず、ぐ、と、手の中の道袍きものを力を籠めて掴んでいた。道袍きものみにくしわが寄る。

 その刹那、ふう、と、静かな息が聞こえた。

 己でないなら、もちろんそれは、天涯山主のいたものだ。

「心配せずとも、凌王はまだご存命でしょう」

 いまのところはね、と、まるで青嵐の心を読んだかのように山主は言った。

「中原の王の崩御ほうぎょがあれば、天涯山ここでは、そうとわかります。雲上天が弔鐘ちょうしょうを鳴らしますから」

 国主の交代などに際しては、人智の外の現象によってそれがしらされるのだ、と、山主はそう教えてくれた。

「だから安心して……次は、お掃除をお願いしますね。――ほら、あそこの石畳。昨夜ゆうべ君が私の首を掻き斬ったりするから、血溜まりが出来て、汚れてしまっているでしょう? きれいにきよめてください」

「っ、はあ?!」

 なんで俺がそんなことを、と、言いかけるが、それよりも先に天涯山主がにこりと笑った。

「いいですね? 〈青嵐〉」

 莞爾かんじとした笑顔とともにまたしても名を呼ばれて、青嵐は、ぐ、と、詰まった。あらがう気力が、奇妙にえる。

「……っ、わかったよ! やればいいんだろうが、やれば!」

 自棄やけまじりに乱暴に吐き捨てた。

 そして青嵐が中庭をきよめ、きよめるその間、ちら、と、横目に見遣るたび、中庭と正房おもやとをつなぐ短いきざはしに腰掛けた天涯山主のぼんやりとした顔が見えていた。

 とはいえ相手は、なにも掃除に励む青嵐の様子を見守っていたわけではない。そのことは、青嵐の視線にさとく気がつくたびに、相手がこちらに一瞥いちべつをくれ、えて厭味いやみったらしく極上の笑みを見せてくることからもわかった。

 けれども、またすぐに、山主は、ぼう、と、遠いどこかへ視線を投げてしまうのだ――……庭の先にある門のほうへと顔を向けている相手の姿は、まるで、いまだ来たらぬ誰かのおとないを待ちびるかのようだった。

 そんなことを考えて、なにをくだらない、と、青嵐は首を振って、己の益体やくたいもない思考をいて追い払った。

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