第10話 灰塵

 日向の父、佐藤太郎は、愕然とした。


 自宅マンションが全焼し、灰燼と化していたからだ。

 非常線の中には、折れ重なった黒焦げの鉄筋だけがあった。

 今なお、焦げ臭い匂いが鼻をつく。


 三鷹にある勤め先の大学から四時間以上歩き、ようやくたどり着いた。

 それだけに、この光景には言葉が出なかった。


 と、目の前を消防服が横切った。

 太郎は、思わず声をかけた。

「あの、すみません!」

「急いでいますので、失礼します」

 消防士は早口で告げると、そのまま進もうとする。

 その背中に、すがるように太郎は声をかけた。


「ここの住人なんです! 誰か、その、被害者はいたんでしょうか?」


 最も気になっていたことだった。

 この火事に娘が巻き込まれたか、否か。

 消防士は、立ち止まり振り返るとやはり早口で告げた。

 その顔は、煤と汗でほとんど真っ黒だった。


「こちらには、被害者はいなかったと思われます。まだこの周辺だけでも鎮火していない火災が沢山あるんです。最終的な現場検証は、その消火後になると思います。ですので――」

「――断定はできない、と」

「そういうことです」

「わかりました。お忙しいところ、ありがとうございました」

 消防士は本当に急いでいたようで、一礼するとすぐに駆けていった。

 確かに帰る途中にも、そこかしこで火の手を見た。消防士たちは、休む間もないだろう。


 今の話なら、きっと日向は大丈夫だとは思うが、やはり確証がほしい。

 相変わらず、携帯はつながらない。大学で一瞬だけ繋がったのみだ。

 その時に急いで打ったメッセージには、既読が付いていた。

 だから、その時点までは、つまり少なくとも午前十時半までは日向は生きていたはずだ。


 ――逃げろ、できるだけ遠くへ。


 そう打ったのには、理由があった。

 日向には、物理的にここ東京から離れ、できるだけ遠くへ逃げてほしかった。

 なぜなら、この有事はただの爆破テロではないと直感的に感じていたからだ。

 今回の事変は、おそらくあの恐れていた――


 ――ん?


 思考していたところで、太郎は視界が捉えた違和感に気づいた。

 焼け跡の右手前。駐輪場だ。

 この駐輪場は、マンションから花壇を隔て独立してあったため火災を免れたようだった。


 だから、自転車もバイクも燃えることなく、その場に残っていた。

 が、一台分だけぽっかりと空間が空いていた。

 その空間にあるべき原付きがないことに、太郎は気づいたのだ。


 太郎は周りを確認した。消防士や警察の姿はない。よし、今なら行ける。

 太郎は素早く非常線の下をくぐると、まっすぐ駐輪場へ駆け足で向かった。

 そして、太郎は地面の一点に目を止めた。


 ――生きてます。逃げます。駆、日向


 そう書かれたノートの切れ端が、植木鉢によって固定されていた。

 太郎は、幼い頃から知っている日向の幼馴染の少年の顔を思い浮かべた。

 駆くん、ありがとう。

 いつも日向に良くしてくれて。彼が一緒なら、ひとまず安心だ。

 太郎の口角は、自然と上がった。

 

「佐藤教授……いや、森園教授、ですね?」

 

 背後からの聞き覚えのない低い声が聞こえた。

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