第2話 崩壊のはじまり

 昇降口を出ると、背後に新国立競技場を背負うかたちになる。

 振り返った駆と日向の目に、もはや完全に黒煙に包まれた新国立の姿が映った。煙の出どころは、新国立と見て間違いないようだ。


 しかし、いったい誰が、何のため――

「――邪魔だ!」


 乱暴に背中を押され、駆の思考は強制的に中断された。

 背中を押したのは、生徒ではなく教師だった。名前をすぐ思い出せなかったが、確か数学の教師だ。メタルフレームの眼鏡の奥に、血走った目が見える。

「邪魔だと言ってるだろ‼」

 教師は再び叫ぶと、駆と日向の間を無理やり割って通り大股で進んで行く。

 生徒を引率している様子もない。

 もはや生徒より、我が身が大事ということか。


「行こう」

 気を取り直し駆が声をかけると、日向は小さくうなずく。

 ふたりとも、ぎこちない。まともに会話するのが、ほぼ一年ぶりだからだ。

 横目で互いを何となく確認しながら、無言のまま歩いた。

 周りの生徒にほとんど押し流されるかたちで、瞬く間に青山通りに出た。

 けたたましいクラクションが、そこかしこで鳴り響いている。消防や警察のサイレンもだ。

 渋谷方面も赤坂方面も、渋滞が始まっていた。理由に気づくのに、時間はかからなかった。


 信号が消えている。どうやら、停電も発生しているらしい。


 よく見れば、通り沿いの店舗の照明も軒並み消えていた。

 携帯を見る。相変わらず圏外だ。

 外苑前駅の地上出口にも、人が溢れ始めた。

 おそらく、銀座線が運転見合わせたのだろう。

 歩道にも人が増え始め、肩が頻繁にぶつかるようになった。

 すぐ横でトラックの運転手が怒鳴り声を上げる。

 駆は日向とはぐれないよう、常に彼女に意識を向けながら歩いた。

 表参道の交差点に近づいた辺りで、前方を歩く人の叫びにも似た声が響いた。


「渋谷が燃えてるぞ!」


 まさかと思いつつ、視線を渋谷方面に向ける。

 新国立同様、黒煙が渋谷の真新しいビル群から立ち昇っているのが見えた。

 振り返れば、新国立の黒煙も勢いを増している。

 人々の動きが一層慌ただしくなる。どこからか、子供の泣き声も聞こえる。

 動揺した人々が各々好き勝手に動き、歩道は大いに混乱し始めた。

 駆は今一度、日向を確認する。

 が、そこで違和感を覚えた。

 日向は何かを見て、足を止め固まっているように見えた。


「大丈夫か?」

 尋ねるも返事はない。

「おい、日向? 日向!」

 駆が二度声をかけると、日向はようやく駆を見た。

「行こ。駆くん、早く行こ」

 日向は怯えたように早口になり、足早に歩きだした。

 駆も急いで、その横に並ぶ。

「どうした?」

「なんでも、ない」

「こんな事態だからしょうがないよ。俺だって――」

「――ちがうの。多分、つけられてる」

 意外な返答に、駆も思わず聞き返す。

「つけられてる?」


「多分、ストーカーの人、ここ最近は見てなかったのに……」


「えっ? ストーカー?」

「去年から、時々後をつけられてたの。警察にも話して。きっと、あの人」

 よほど怖いのか、そうしゃべりながら日向の視線は揺れていた。

 まったく、こんなタイミングになんて奴だ! 

 いや……このタイミングだからこそ、なのか?

 駆は振り返った。しかし、人が多過ぎて誰がストーカーなのかわからない。

 が、長年の付き合いから、日向の不安はまちがいなく本物だと感じた。

 だから――


「――走ろう!」


 彼女の手を取ると、すぐ駆け出した。

 正直、駆自身も自分の行動に驚いていた。でも、間違ってないとも思った。

 これで誰がストーカーか、わかるかもしれない。

 日向も最初は驚いたものの、駆の意図を汲み、すぐにその手を握り返す。

 振り返ると、ふたりの動きに合わせたかのように急に動き出す人影があった。


 アイツか⁉ 


 よくは見えなかったが、その影に日向の言うストーカーの存在の確信を深めた。

 だから、思い切ってその選択をした。


 駆は日向の手を取ったまま、渋滞の青山通りをしはじめた。


 立ち往生していた車の間を縫うよう、ふたりは駆ける。

 途中、何回かクラクションを聞いたが、無事に六車線の横断に成功した。

 振り返ると、人影が追いかけてくる様子はない。車列が動き始めたからだろう。

 それでも止まらず、駆と日向は、走り続けた。

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