満月から明朝

 現在、丑三つ刻。


 今夜は満月。それに、数十年ぶりに一番良く見える絶好の夜。


 ある人は月を見てうっとりしている。また別の人は、この月を眺めながら歩いている。そして、また別の人はほくそ笑んでいる。


 凛は、少し湿った土の上で目が覚めた。


 「痛っ……」


 後頭部に鋭い痛みが走る。それを堪えながら周辺を見る。辺りには木が生い茂っている。下は土。見る限り、恐らく森の中何だろうか。


 ―お母さんが心配する。連絡しなきゃ。


 そう思いポケットから携帯を出そうとするが、有るはずの携帯が見当たらない。どこかで無くしたんだろうか。そう考えただけで、途端に怖くなってくる。一体どうしてしまったんだろうか。


 ジャリッ……ズリッ……


 後ろから、足音がする。

 

 ―嘘。怖い、誰か……


 声を出してはいけない気がして、何も言えない。後ろに立つ誰かの影だけが見える。


 「……伊藤? なのか……?」


 「えっ……」


 少し低くて、掠れた声。


 「工藤君……?」


 「やっぱり伊藤か……お前、なんでここに居るんだ」


 私の好きな人が、目の前に居る。こんな時に。安心と嬉しさで涙が伝う。


 「え、なんで泣くんだ……俺なんかした?」


 「え、いや……そうじゃなくて……安心して」


 「は? 何だそれ……変な奴」


 純粋にそう思ったのだろうと分かる、真っ直ぐな瞳とその疑問。私は、きっとそういうところにも惹かれたんだろう。


 「いや、それより、ここを出るぞ。ここは……なんか変だ」


 「変って……」


 「兎に角、今は無駄口叩くな。早く行くぞ……立てるか?」


 差し出された手に、少しドキドキしながら立ち上がる。


 ―私、こんな時なのに何考えてるの……


 「何をしている? ここからは出られないぞ」


 工藤君の声ではない、誰かの声がした。

 

 「えっ」


 「おい、伊藤? どうした?」

 

 歩けない。歩こうにも、足が動かない。どうして。


 「何も考えるな……そのまま、この小僧を殺すんだ……」


 ねっとりとした声が、耳元でする。


 何故、この声には、逆らえない。


 「おい、おい! 伊藤!!」


 バシッ


 頬がジンジンする。それと同時に身体が動いた。


 「く……工藤君……私……」


 「くそっ……いいか、走るぞ!」


 腕を思いっ切り引っ張られ、走らされる。足元が悪い。何度か転びそうになる。その度、彼は後ろを振り向き「乗っ取られるな!」と言う。どうしてそう言うのかは分からないけど、彼はきっと何かを知っているのだと感じた。


 木々が邪魔している様に感じる。ここを通させないという、意思が伝わる気がする。


 「ハハハハハハッ!! 面白い。俺を拒めるかな?」


 何処か余裕そうな声が、今度は頭上から聞こえた。


 「伊藤! 上を見るな!! このまま真っ直ぐ向いてろ!」


 「ふんっ……気に入らん小僧だ……でも、それもこれまでよ……」


 目の前に、現れた。


 彼も立ち止まる。


 「ここまで運命に抗おうとする奴等は久しぶりに見たぞ」


 「チッ……あと少しだったのに……」


 は、人ではないのが一目瞭然だった。この時代では見ないような、西洋の貴族が着ているような黒一色の服。髪は白髪で、青年のような顔立ち。一際目立つのは、頭にある山羊のような黒い角。


 ―悪魔。


 これが一番しっくりきた。今日、綾に聞いた話が頭の中に浮かぶ。


 黒い糸。死ぬ運命。悪魔。


 まさか、工藤君とそういった運命だったのか。


 「お前等は、珍しい運命を持っているな。赤い糸と、黒い糸。どちらも強く結び付いている。こんなの数百年に一度見れるか見れないかだ」


 「……お前は、何者だ……」

 

 工藤君が、そう聞くと、それは高らかに笑った。


 「ふふっ……俺はお前等が言うところの悪魔さ」


 「じゃあ……噂の……」


 「はあ? 噂ねぇ……あれか、この前殺った彼奴等のかな? 現代も女は噂好きなんだな」


 うんざりした様に欠伸をしながら答える。


 「お前は……俺等を殺しに来たんだな……」


 「うん? 嗚呼、そうさ。話が早くて助かるよ。じゃあ、どっちが殺す?」


 笑顔でそう聞く悪魔に、寒気がする。本当に、死ぬしかないんだろうか。嫌だ。私は、まだ。


 工藤君は、何も言わずに私を背中に隠してくれる。その背中の温かさに安心する。


 「ふん、お前等が決められないなら俺が殺すっていう選択もあるが? 因みに、殺さないという選択肢は無いぞ……ただ、どちらかが、一方を殺せばその一方は助けてやっても良いが……? さぁ、どうする?」


 ―いや、嘘だ。此奴は絶対に、私達を殺す。どちらかを殺しても、生き残った方は此奴に殺される。それなら……いっそ……


 「……伊藤。お前は、どうしたい?」


 工藤君が、背中越しに聞いてくる。この声を聞くと、不思議と落ち着く。


 「わ、私は……工藤君を殺したくない。絶対に。」


 「そうか……俺もだ……おい、決めたぞ。お前の手で俺等を殺せ。それで……良い」

 

 「ほお? そうかそうか……くくっ、本当に面白い。分かった。殺してやろう。最後に2人で会話でもしとけ。それぐらいは待ってやろう」


 面白そうにこっちを見ながら、殺すのを今か今かと待っている。それでも気にせず、工藤君に話しかける。今しか、無い。


 「工藤君、あの……」


 「待て、言うな。俺から言う……伊藤凛」


 真剣な顔で、真っ直ぐな瞳で私の瞳を覗いてくる。今、お互いの瞳には、同じ景色が写っている。


 「お前の事が好きだ」


 涙が溢れる。こんなに嬉しいのに、悲しくて堪らない。どうして、こうなってしまったのか。そんなのわからない。でも、もう少し気持ちを伝えるのが早ければ良かった。


 「私も……私も好きです」


 「知ってたよ。ずっと……俺は、お前が知らないずっと前から」


 ズシャッ


 眼の前から、工藤くんが居なくなった。いや、

 

 「えっ……?」


 顔に、生臭くて、少し温かい液体がかかった。


 ゴロッ……グシャッ


 彼の頭と胴体が土の上に転がる。


 「あ……あ、いや、いやぁぁぁぁぁああ!!!! 工藤君!! 待って!! いやぁぁぁ!!」


 「くくっ……ふ、アハハハハハハッ!! 泣ける話だなぁ? やっと想いが通じた2人。それを遮る、悪戯な運命!! さぁ、お嬢さん? 次はアンタの番だ。直ぐに小僧と同じ場所に連れてってやるよ」


 彼の手をこれでもかと強く握る。せめて、同じ所に行ける様に。彼の顔を見る。彼の瞳は閉じていた。けれど、涙が頬を伝っていた。


 「蓮君……待っててね……来世は、きっと」


 グシャッ


 頭が宙に浮かぶ。彼女の身体は、彼の隣に崩れ落ちた。2人の手は固く結ばれ、左手の薬指には鮮やかな赤い糸と、黒い糸が結ばれていた。

 

 

 ●



 「そういえば……」


 手に付いた血を舐めながら、悪魔は呟く。


 「また同じだったな」


 ―こんな運命、中々見れるもんじゃない。赤い糸は運命の人を結ぶ糸。黒い糸は、お互いを同時に殺さなくてはいけない印の糸。同時に殺すなんて面倒だから、お互いを殺し合えば楽だと思ってこの方法を取り入れたが、毎回同じ相手同士で結ばれる糸でもない。これは、相当な運命ってやつが絡んでるな。特に小僧。彼奴には生まれてくるたびに、古い記憶を持たせてみたが、やはり選択は変えないか……何度こんな運命になっても、お互いを殺さず、殺される選択を選ぶとは。本当に面白い奴等だ。次も期待できそうだ。


 「アハハハハハッ!!」


 静かな森に悪魔の笑い声が木霊した。


 2人の亡骸は、森の中に埋められた。この森の中には、男女の白骨死体が何世紀にも渡って埋められ続けている。けれど、そんな事は誰も知らないまま。


 知っているのは、彼と悪魔だけ。


 

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黒い糸 四季秋葉 @new-wold

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