第30話 三大栄養素を知らない世界観


 領城に務める医者は、豚骨スープと向き合っていた。


「これが、悪魔が作った料理ですか」


「悪魔じゃなくて、フィルが作ったものだよ」


「失礼しました。しかし、これは……」


 美しく盛りつけされているが、臭いが凄まじい。豚の臭みと香辛料の香りが、鼻をしかめさせる。


「言いたいことは分かるよ。私も、この臭いは気になる。だが、食べてみると絶品なんだ。癖の強いチーズだと思って食べてご覧よ」


「癖の強いチーズですか……確かに、それなら……」


 医者は、ブルーチーズやヤギのチーズ、臭いの強いチーズを晩酌に楽しむのが好きだ。それを考えると抵抗が無くなる。豚臭いのは初めてだが……。


 医者が、スープを口に近づけると臭みが増す。それを我慢して口に入れると、とろり としたスープが舌に絡む。旨味と酸味と甘みが感じられ、喉を過ぎると油っぽさが口に残る。


「……老体には堪えますな」


 自分がもっと若ければ、おそらく気に入っていただろう。そう思いながら、キャベツを口に入れる。


 野菜らしい爽やかな香りが鼻を抜け、豚臭さを消し去ってくれる。そして、ほんのり甘く瑞々しいキャベツを噛む度に、口内が浄化されていく。


「ふむ。このスープとキャベツの相性は良いですな。思わずスプーンが進みそうです」


「遠慮なく食べてくれ。私のことは気にしなくていい」 


「いえ、胃がもたれそうなので、遠慮します」


 遠慮するが、胃がもたれるとしても食べ進めてしまいそうだ。まさに、悪魔の料理。


「そうかい?」と言いながら、医者の対面に座る領主が姿勢を正す。


「本題なんだけど……そのスープ、体に悪いらしいんだ」


「え!?」


 医者が口を抑える。


 飲んだ。飲んでしまった!なんて物を飲ませるんだ!

 

 領主に避難の目を向ける。


「アッハッハッハ!そう睨まないでくれ。フィルが言うには、塩と動物の油が体に悪いそうだ。このスープを少し飲んだくらいでは影響しないと言っていた。毎日 飲むのはダメらしいがね」


 医者は考える。


(たしかに油はダメかもしれません。歳をとる度に体が受け付けなくなっている。体が受け付けないだけで、体に影響が出たことはないが、多量に摂取すると体に悪そうだ。塩が体に悪いのは全く分かりませんが……)


「この後、詳しい話をフィルから聞くんだ。君にも一緒に聞いてほしい。知らない単語や理屈が多くてね……。だけど、医者の君なら分かるかもしれない。頼りにしてるよ」


「ご期待に応えられるよう努力します」


「ありがとう。助かるよ。ハカモリくんとフィルの準備が終われば、この部屋に来ることになっている。それまでゆっくりしていてくれ」


「はい」


「それと……そのスープ、食べないなら貰ってもいいかい?」


「ええ、どうぞ。老体には堪えますので……」


「ありがとう。なんだか癖になってしまってね」


 領主は、とても嬉しそうに豚骨スープを食べ始めた。


 食べながら、フィルが初めて料理を作ったこと、シルフィーの婚約がほぼ確定したことを話す。


 子供のようにはしゃぐ領主を、医者は微笑ましく見ていた。



 ……………………………………………………



 領主の話を聞いていると、シルフィーとハカモリが来た。

 シルフィーが、偉そうにどっかりソファーに座り、ハカモリの肩に腕を回している。さながら、女を侍らしている貴族のようだった。男女逆転しているが……。


「なんというか……男らしいね。シルフィーが……」


「あたしには、昔っから女らしさんてないだろ?あるとしても、体だけだ」


「そうか…………」


 開き直っているシルフィーに、返す言葉はなかった。


 さらに時間が過ぎ、フィルがフィオナに抱かれて部屋に入ってきた。


「疲れて眠ったようだから、説明はハカモリがしてちょうだい」


「あっ、はい!」


 ハカモリは慌てて姿勢を正すが、すぐさま肩を引かれ、シルフィーの脇に収まる。


「このまま話せ。この屋敷内なら上下関係なんてほぼないからな」


(いや、あるでしょ……)


 ハカモリは心の中でツッコんだ。少なくとも、領主の下には家臣がいる。


「まあ、気にしなくていいよ。礼儀作法は分からないだろう?楽にしてくれ」


「…………はい」


 フィルにハカモリの記憶があるように、ハカモリにはフィルの記憶がある。だから、礼儀作法は分かるが…………言い出せない。彼はコミュ難なのだ。


「さて、まずは塩の話から聞こうと思うが、どうして体に悪いのかね?」


「わかりません」


「「「………………」」」


 わからないのか?ハカモリは知ってるんじゃないのか?


 戸惑う領主たちに、補足説明をしていく。


「常識として、塩は体に悪いと言われていました。様々な病気の原因になるので…………まあ、体に悪いと……。どうして体に悪いかは、専門家でないと説明できないと思います」


「…………そうか」


 塩が体に悪い理由はお蔵入りになった。


「では、動物の油が体に悪いのはどうしてか、説明できるかい?」


「えっと……動物の油はベタベタしているので、血管に詰まります。血管に詰まって血が止まれば、血管が破け……破けて………………ん?」


 言葉が出なくなった。頭が真っ白になったというか、何を言ってるのか分からなくなったというか、言語能力が無くなったというか…………。

ハカモリは、たまにこうなる。


 途中で説明は止まったが、言おうとしていることは分かった。医者が口を開く。


「もしかして、頭の中の血管が破裂するのですかな?」


「あ、はい。頭と言わず、他の場所も……ありえます」


 領主と医者は顔を見合わせると頷く。


 これは重大な話だ。多くの民、そして、王族貴族を救う。何としても理解しなくてはいけない。



 この世界は、魔力が強ければ体が丈夫になり、病気にもかからない。圧倒的な魔力を持つ王族は、寿命がないとまで言われる。 

 しかし、死なない訳では無い。急に頭を抑え、苦しみ、死に至ることがある。死因は、脳の血管の破裂。 

 これは、呪いだと言われていた。王族が病にかかるわけが無いという理由で、疑われてもいなかった。

 

 もし、ハカモリの言葉が正しいならば、呪いではなく病気。予防も治療もできる可能性がある。


「もっと詳しく話せるかい?」


「いや……専門家では無いので……」


「そうか……」


 多くの人の命を救うであろう話は聞けなかった。しかし、ヒントは得られたと思う。あとは、研究するのみだ。

 しかし、研究するにしても、誰に指示を出せばいいか分からない。そもそも、医者が病気と気づかないものを、どう研究すればいいのだろう?


「君が言う専門家は医者かな?それとも、他に職業が?」


「えっと……医者と栄養士、研究者……だと思います」


「栄養士……?」


 領主は首を傾げた。


 言葉のニュアンスから、栄養に詳しい人だろうと推測できる。だが、詳しいの意味が分からない。

 

 食べれる物は栄養がある。元気になれるものはもっと栄養がある。そういう認識だ。

 だから、栄養に詳しいと言えば、料理人や商人だ。栄養士なんて職業は無い。


「栄養の多い食材を探す専門家がいるのかい?」


「……?いえ、いませんけど……?」


「じゃあ、栄養士は何をする人なんだい?」


「えーっと…………栄養管理……?」


「ふむ。つまり、献立を考えるということか?」


「…………まあ、そうですね」


 学校給食や病院食は、栄養士が献立を立てると聞いたことがあるような、ないような……。よく分からないけど肯定したハカモリだった。


「献立を考えるというと、料理長か……。確かに、栄養に詳しいだろうが……研究できるかな……?」


 一応考えてみるが、病気の研究が出来るとは思えなかった。


「あの、ネズミで実験してみるのはどうですか?通常のエサと、通常のエサに調べたい食品を混ぜたものを与えて、違いを調べるんです。それである程度どんな栄養があるのか分かると思います」


「動物実験か……」


 領主、フィオナ、シルフィー、医者が眉を顰める。現地人の反応がよろしくない。


「宗教的に、それは不味い」


「そんな実験をしていると知れれば、教会だけじゃなく、国民の反発も考えられるわ。神が許していないのだから、信徒である国民も許さないでしょうね」


「そもそも、余計に苦しませるものじゃない。害獣だろうと、必死に生きてるんだ。命を弄ばない。殺るなら苦しませず一瞬で。それが鉄則だ」


「やるとしても、人々の日々の食事を聞き出し、体調を調べるのが精一杯でしょうな」


「では、そのように調べるとして……さっきの話で気になったことがあるんだが、質問していいかい?」


「あっ、はい。大丈夫です」


「栄養って、種類があるのかい?」


「…………ん?」


 質問の意味がわからなかった。栄養の種類ってなんだと。


 栄養の認識の齟齬。それによって生まれるニュアンスの違い。あと、今の話の流れで、どうして種類の話になるのか。

質問の意図がわからず、ハカモリの頭が真っ白になった。理解しようとしても、混乱して全然理解できない。


「さっき言ってたじゃないか。どんな栄養があるか、ある程度わかるって。つまり、種類があるってことだろう?」


「あっ、そうですね。あります。えっと……熱やエネルギーになるもの、血や肉になるもの、体の調子を整えるものがあります」


「そんなものがあるのか……。言われてみれば、体の調子を整えるものはあるね。ホットワインは風邪の時に飲むとよく効くんだ」


「薬もそれにあたるのでしょうか?体の調子を整えますし」


「たぶん、そうだろうね。それより、エネルギーになるものと、血や肉になるものが分からないな。パンを食べていれば良いんじゃないかい?」


「えーっと……まあ、たぶん、大丈夫です……」


 卵が入ってるならタンパク質も取れるはずだ。入ってなくても……一部のタンパク質は含まれているかもしれない。


「なら、わざわざ分ける必要も無いだろう?」


「えーっと……」


 なんと説明すればいだろう?認識の違いは意外と厄介だ。


 何がわかって、何がわからないのか?わかるように説明するにはどうするか?

 色々考えて説明しても、相手の知識が足りてなかったり、間違えていれば伝わらない。最悪、こちらが間違っていると思われる。


 まあ、たしかにハカモリが間違えている可能性もあるが……そこら辺の議論もできないから、頭を抱えることになる。


 ハカモリの気が遠くなって、逃げ出したい衝動に駆られていると、医者から助け舟が来た。


「分類があるくらいですし、それぞれ含まれている量が違うのではないでしょうか?」


「あっ、はい!そうです!違います!」


肯定して即否定した、みたいな言い方になってしまった。


「どっちなんだい?合ってるのかい?間違ってるのかい?」


「あっ!合ってます!すいません!」


 度重なる答えに困る質問に、言語能力がおかしくなっているハカモリだった。


「ふむ。栄養の量が違うのか……例えば、パンだとどれくらい違う?」


「パンの種類や材料の原産地で変わりますが、パンはエネルギーになるものと言われています。なので、血や肉になるもの、体の調子を整えるものは少ないのではないかと……」


「つまり……基本的には、エネルギーになるもの。パンの種類や材料の原産地によっては、血や肉になるものにもなるのかい?」


「えーっと……わかりません……」


 栄養は、何の栄養が一番優れているかで分類分けされるのだ。

 極論を言うと、プロテインでパンを作れたら、それは血や肉になるものだと思われる。


 条件が広すぎて、答えに困る。色々調べないと答えが出ない。調べる資料なんてないが。


「そうか……専門家じゃないと分からないのかな?」


「そうですね。専門家の間でも意見が割れるかもしれませんが……」


「ああ、それはありそうだね。どこの世界でもそれは一緒か」


 定義、多面性、メリット、デメリット、技術力、工夫、その他にも色んな理由で意見が別れる。専門家ほど知識が豊富なら尚更だ。


「どの道、1から調べないといけないな。あやふやな知識を当てにはできない」


「すいません……」


「いや、発想は分かった。十分、参考になるよ。ありがとう」


 ろくな説明はできなかったが、なんとか説明会は終わった。

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