第十一話 俺の初恋の人はモリガンです
俺は今、マグロです。
ベッドの上で身じろぎ一つできないマグロです。
なぜならリディアが隣で気持ちよさそうに寝息をたててるから。
ポエムじゃない。現実だ。
事件は夜に起こった。
もうそろそろ寝ようかなってときに
リディアがノックもなしに入ってきた。
俺がまだ起きてるのを見るとあからさまに舌打ちして。
「そのデカいのはなんだ?」
「枕です。私、枕が変わると眠れないので」
「全てのサキュバスとインキュバスに謝れ。
あいつらがどんだけ人の枕で寝てると思ってんだ?
で、とりあえず聞いてやる。なんでそんなもん持ってきた?」
「気にせず寝てください。
こっちはこっちでやりますから」
「いや何をだよ。怖いわ。
お前のエリン様への執着、怖いわ。
前から思ってたんだけど、
お前らだけエリン様への態度がヘンじゃないか?」
「それは例えばどの辺が?」
「嫌な教師みたいに詰めてくんなよ。
何度かトーレの国民に会ったけどさ、
俺を本当の神様みたいに崇めてる。
それに比べてお前やクロムはなんか、親戚のめっちゃ可愛がってる子、
みたいな感じだろ? 度を越えてる部分はあるけど」
リディアがため息ついた。
キリンは意外と足が速いとかイタリアの猫はパスタ食べるとか、
そういう微妙な知識でマウント取れてる気になってるやつのため息だ。
彼女はベッドに枕を置き、
ランタンのグローブを外して火を吹き消した。
ああ、無駄にテキパキしてる。
どこから止めればいいのかわからん。
「窓、開けますね」
うお、リディアの目、赤く光ってる。
余計なとこちゃんと悪魔しやがって。怖いだろうが。
でもエリン様は暗いとなんにも見えない。
つくづくただの女の子だよな。
「あれは、私たちが少数の眷属と共にこの地に流れ着いたときでした……」
なんで窓開けたの?
なんで月明りの下で遠い目してんの?
わりとポテンシャル無駄遣いしてくんな。
「私たちはこの城を見つけ、中を探索していました。
兄さまは弱くて臆病ですし、他にも戦えるものはいなかったので、
私が一人で探索していたようなものですが」
「クロムって戦えないの?」
「普通には無理です。よわよわです」
「普通には?」
リディアは一瞬黙ってから咳払いする。
あーらら、口滑らせちゃって。
でもそんだけ俺にも気を許してくれてるってことかな。
「今、私とエリン様の話をしていますよ?」
「はい、すみません。続けてどうぞ」
「思えば最初から私はエリン様に導かれていました。
一直線にこの部屋にたどり着いた私は、
今あなたがそうしているように、
そのベッドに腰かけるエリン様を目にしたのです」
赤い目がらんらんと光って俺を見据えてる。
「一糸まとわぬその姿。
月明りに透き通ってしまうかのように輝く肌。
幼さを残して成熟した奇跡の身体に落ちかかった髪は、
その一本一本が世界の神秘を紡ぐかのよう。
私はそのとき初めて知ったのです……」
「おい、こっち来るな」
「……これが、生きるということだと」
「悪魔がそんな顔すんな。それは聖女のスキルだ」
「最初は全部、私が面倒をみました。
喋ることも食べることもできなくて、服を着せるのも私が。
この私が。
目が今と違ってちょっとトロンっとした感じで、
初めて私を見て笑ったときのこと、生涯忘れません」
なんとなくわかってきた。
ようするにリディアたちもエリン様が何なのか知らない。
そのなんだかよくわかんないのに守ってもらって
国とか言ってるわけだ。
うん、正気じゃない。
「それなのにですよ? 最近は触ると怒るし、くせえ、とか
近寄んなババアとか言うようになって。
前はあんなに聞き分けのいいエリン様だったのに」
「それ反抗期だ。こじらせると家出するぞ。
てか家出したのでは?」
「でもそんなこと言うエリン様が
キャンキャン鳴く子犬みたいでかわいくって。
余計にギュッとしちゃって、そしたらもう、
うふふ、噛みつくんです。
痛くなくて、ちょっと歯形が残るくらいの絶妙な加減というか、
甘噛み? ねえそれって私にだけ?
あ、これもうやんないとわかんないな。
噛みますね?」
「出てけ」
「ヤダーーーーーー」
「おま……バカ、急に叫ぶな。近所迷惑だろ」
「もう限界なんですよ。クッション丸めたのを
エリン様だと思って抱っこして寝るのももう限界。
足りない。私にはエリン様が足りてない」
「いらんわ、そんな凄惨なプライベート暴露」
「いいじゃないですか。
どうせあなたの身体じゃないんでしょう?
それならもう私のものみたいなもんでしょう?」
「い・や・だ。
今は俺の身体だ。お前の抱き枕になるなんてまっぴらだ」
「なんで? そっちが始めたことじゃないですか。
夜、寂しくて私のベッドにもぐりこんできたのはそっちでしょう」
「それは俺じゃねえ」
「今はあなたがエリン様でしょーが」
「もうお前、自分でも何言ってるかわかってねえだろ。
頼むから一人で寝かせてくれよ。
俺にもいろいろ事情があんだって」
「だいたいあなたこそ何ですか?
エリン様のこと何も知らないくせに、
エリン様の身体を独り占めして。
いいからおとなしくなさい。黙って天井見てればすぐに終わります」
「その言い方やめろ。
あ、こいつ、ほんとに力つよ……」
というわけで押し切られました。
肩は両腕でがっちりホールドされ、
下半身は足で挟まれてる。
鎖骨のくぼみにリディアの鼻が、
首と頬にリディアの額が押し付けられてる。
身動きできない。
体温と匂いだけでも心臓がヤバい。
指の一本でもリディアの、その、何というか……
まあそういうところに触れてしまったら俺は爆発する。
にしてもだ、俺がこんなにがっちがちに緊張してたらさ、
普通はリディアだって眠れないだろうに、
彼女はぐっすり眠ってる。
ついでに幸せそうににやけてる。
その寝顔を見てたら思ったよ。
こいつはこいつなりにエリン様が心配なんだ。
たとえ一瞬でも離れたくない。身体だけでもずっとそばで守りたい。
きっとそういうことなんだ。
といい感じにまとめても、緊張がほぐれるわけでもないんだけどね。
体感、十五分経過。
いつまでたっても匂いに慣れない。ずっといい匂いだ。
規則的な呼吸に合わせて額と髪が
俺の頬にこすれて愛撫されてるみたい。
なんの拷問だよ。
わかった、秘密なら話す。屈する。屈させろ。
「俺の初恋の人はモリガンです」
ほら、言ったよ。頼む、離れてくれ。
寝れねえ。こんなの朝までもたねえ。
と思ってたけど、ふいに眠気が襲ってきた。
やっぱり疲れてたんだろうな。当たり前だよ。
今まで感じたことのないすごい眠気だった。
眠眠打破でも太刀打ちできないな、これは。
両足を掴まれて温かい泥の中に引きずり込まれるような……
……あれ? でもこれってどこかで……
目が覚めたら白い天井に細長いLEDライト。
昼白色。
「また……知らない天井」
いや知ってるわ。
これ近所の総合病院の天井だ。
気分は最悪。
二日酔いと食中毒を束ねたような気持ち悪さ。
リディアは? トーレの国はどうなった?
俺は戻ってきたのか?
自分の身体がどうなっているか確かめたかったが、
管がいっぱい取り付けられていて起き上がれない。
ただ股間には俺の相棒の存在を確かに感じる。
元気だったか? いなくなって初めてわかる安心感だ。
あとなんだか腹のあたりが重いな。
俺、どう考えてもけが人だろ?
荷物とか置くなよ。
鼻に突っ込んである管が痛くて
抜こうとしたら右肩が痛んで動かせなかった。
連動するように左わき腹に鈍痛。
くそ、俺の身体に何があった?
落ち着け、ここ病院だ、ナースコールだ。
あのボタンみたいのを探そうと必死に目を動かし、
俺は身体の上の重さの原因を見つけた。
ベッドに突っ伏して誰か寝てる。
長い黒髪に俺の勤めてる高校の制服。
顔は見えないが、なんとなく知ってる気もする。
取り扱い注意リストに入ってるやつか?
目立つ外見で性格に難ありの女子生徒が大半だけど。
その中の一人が怪我して入院してる俺の側についてる?
本当に俺の身体に戻ってきたのか?
なあ、誰か教えてくれ。
これどういう状況?
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