第四話 目が覚めたらいきなり銃を渡されて戦場へ行けと言われたようなもんだよ
準備のために居室に戻るとリディアが誤解がないようにと、
やや言い訳がましく説明を始めた。
エリン様が戦場に露出の高い服を着ていくのを望んだという。
肌を晒して敵の刃を恐れぬ勇猛を示し、
味方を鼓舞するためだ。
ほーん、ケルト人的なやつですかね。
裸で戦場に出たとか。
あいつら頭おかしい、ドルイドに騙されてるよー
てローマの偉い人が書いてたような。
「ですので私はエリン様の要望に従ったまで。
決してエリン様の身体を使って
自分の欲望を満たしていたわけではありません」
「わかったよ、そういうことにしといてやる。
で、これはなんのつもりなの?」
「あなたが怖いって言うからでしょう。一応の防具です」
リディアはコルセットのようなもので俺の胴体を締め上げ、
肩から胸までを覆う胸当てを着せてくれた。
どちらも動物の皮を加工したものだが、
深い黒が美しく、まだ生きているかのように温かい。
「背中はがら空きだけどな」
「エリン様は敵に背など向けません」
「だから、俺はエリン様じゃない。
日本っていう国から来た普通の──」
「お前が誰かなどどうでもいい。
本当にエリン様は戻ってこられないのですか?」
「わかんねえよ。
少なくとも自分がいつどうやってこうなったかは何も覚えてない。
なあ、ほんとに俺が戦うの?」
「そうしてもらうしかありません。
私たちが天使に向かっても戦いにすらならない。
この国の全員が死ぬまでに十分もかからないでしょう」
「俺なんか数秒だと思うよ」
リディアはいきなり俺の首筋に鼻をつけ、思い切り息を吸いこむ。
猫吸いならぬ、エリン吸いだ。
「長い時間をかけてエリン様の香りに混ぜ込んだ私の体臭……
へへ、これヤバ……
あ、いえ、この匂いは何をもってしても偽装できません。
この身体は間違いなくエリン様です」
「戦えるって?」
「身体は」
あとは俺次第ってか?
俺をなめるなよ。
ケンカどころかスポーツだってやったことない。
体育のサッカーでは棒立ちでボールが来ないことを祈ってた男だぞ。
「じゃあせめてエリン様がどうやって戦ってたか教えてくれるか?」
「さあ?」
「さあ……て見たことねえのかよ」
「いえ、ありますが、いつも軽く手を振ったり
地面を踏みしめたりするだけで敵は壊滅するので」
「とんだ無双武将じゃねえか。KTとかに訴えられるぞ」
「何を言っているのかわかりませんが、迎えが来たようです。
それではご武運を、エリン様」
冷淡な態度で俺を突き放したリディアはドアも開けてくれない。
俺が自分で居室のドアを開けようとしたら、気づいてしまった。
むちゃくちゃ手が震えてる。
そりゃそうか。
目が覚めたらいきなり銃を渡されて戦場に行けと言われたようなもんだ。
こっちに来て以来、頭の中が妙にさめてて
教室で授業してるのと同じような感覚がずっと続いてた。
クスリみたいなもんなんだろうな。
そろそろ切れてきた。
泣きわめいてうずくまってしまえたら、どんなに楽だったろう。
でも、見かねてドアを開けてくれたリディアの手が、
俺と同じように震えてるのを見てしまったから、
できなかった。
城の建っている島は城壁で囲まれ、
その中に街も入ってる感じだ。
住居や商店に使われてる建物も有事にはすべてが戦闘用の施設になる。
ちょっと小さいけどモンサンミシェルに似てる。
行きたかったんだ、モンサンミシェル。
夢がかなったみたいで嬉しいね。
俺はクロムと配下の人たちに囲まれて
プチモンサンミシェルを下っていく。
槍と鎖帷子で武装した人たちが十人くらいずつまとまっているが、
確かにみんなヒョロっとしてて頼りない。女も混じってる。
現代日本人のほうがまだ様になるんじゃないか?
ただ、すごい緊張感だ。
唾を飲み込んだだけで喉が痛くて、
身体が冷たいとこと熱いとこがあって汗が気持ち悪くて、
じっとしてるのが苦痛。
わかるよ、いま俺もそうだから。
誰かが我慢しきれなくて、泣き出す代わりにエリンの名を叫ぶ。
そうするとバカみたいな大合唱だ。
希望と絶望がないまぜになったすがるような目で見られると、
心臓がバクバクいって破裂しそうになった。
城門から出て橋を渡ると城内とはだいぶ様子が違う。
木造、土塀、藁葺。
大きな布をかぶせただけのテントみたいなのもある。
文明レベルが一段下がってる。
中央の大きな通りで俺を見送るのはクロムたちとは違う人種だ。
普通の人間、毛むくじゃらのよくわかんないの、
背は低いけどがっしりした肌の浅黒い連中。
いろんなところから逃げてきた感じだな。
クロムたちは彼らをあまり快く思っていないようだ。
目も合わせない、声もかけない、配下で俺を隠して見えないようにする。
仲良くしようよ。
で、最後は広い麦畑。
見渡す限り、だ。ライ麦だったら走ってたね。
水路も張り巡らされているし、
風に小さく身を震わせる若芽は測ったように均等に並んでいる。
クロムたちは戦闘には向かないが、
こういうのは得意なのかもしれない。
「エリン様、私たちはここまでです」
麦畑が途切れたところでクロムが申し訳なさそうに言った。
いや仕方ないよ、相手があれじゃあねえ。
「あれが狂乱の天使?」
「いえ、あれが『イーライ・デウ』
神があの狂った天使に与えた最終決戦兵器です」
まだ距離があるのに見上げるほど高いところに頭がある。
曲線と角度をつけた装甲で隙間なく覆われた……覆われた
……中身なくない?
超でかい動く鎧。
俺が欲しかった神々しいオーラ付き。
一定範囲の種族・悪魔に6000%の継続ダメージって感じのやつ。
メインウエポンは両手ハンマー。
ふざけんなよ、あんなのとどうやって戦うんだよ。
しかも、足元に動く鎧のミニチュアがぞろぞろいるぞ。
「作戦は?」
「残念ながら何も。
記述によればあの鎧はどんな攻撃も通さず、
ハンマーの一撃は山をも砕くとか」
逃げてえぇ~~。
ヤバい、呼吸できない、涙出てきた。
クロムを振り返ると自信たっぷりにうなずく。
負けるなんて微塵も思ってない。
他の配下たちを振り返ると自信たっぷりに二回うなずく。
勝った後のことしか考えてない。
これ、あれだ。
ベルトコンベヤーに載せて運ばれる、
えーと、あの何かだ。も、出てこないわ。
俺はちょっと背中を丸めてとぼとぼと歩き始める。
これじゃただの家出少女だよ。
戦うのは社会の無関心だよ。
「俺をここに連れてきた神様? 大魔術師?
もうエリン様本人でもいいからさ、今だよ?
出てきて贈られたスキルの説明とか、あるんじゃないの?
一見ショボくてもいいんだ。石投げとかさ。
大丈夫、賢い俺が使えば最強になるから。そういうふうにできてるから。
カモン、スキル」
ちょっと立ち止まって待ってみたけど世界は俺を無視した。
ただのしかばねのようだ。
「何をぶつぶつ言ってるんですか?
みんな見てるんですよ、シャキッとしなさい」
「だって、リディ~~、無理だよ、詰んだよこれ」
「愛称で呼ぶな。
大丈夫、私が一緒に戦ってあげますから。
私が時間を稼いでいる間に、
エリン様の身体の使い方を覚えてください」
「リディ~、お前がいてくれてよかった~、
今のその恰好、すげえ好き」
髪を後ろでまとめ、エリン様とお揃いの胸当てにアームガード。
ズボンに着替え、指先から肘くらいの長さの小剣を二本、腰に差している。
おお、二刀流。強キャラの予感。
マジで好き。
こんな状況でって思うかもしれないけど、
俺は彼女に触りたかった。
髪をまとめて露わになったうなじに口をつけて
彼女の匂いに包まれたかった。
たぶんこれが死の予感だ。
逃れようと、必死に生を求めてる。
「エリン様はさ、あのサイズにも勝てるの?」
「サイズなんて関係ありません。
山を砕く一撃? 真の破壊を知らぬ、凡人の妄想ですね。
エリン様の力は想像の及ぶところではないのです」
「見たことある? 真の破壊ってやつ」
「ありません」
「ないのかよ、お前の妄想じゃねえか」
「はい、妄想です。ないよりマシでしょ?」
「まあね、歩けるようになったし、お前でもいないよりマシだ。
その、なんていうか……来てくれてありがとう」
「今さらですか」
笑ってくれた。
皮膚が焼け焦げ始めてるのに。
肺に穴があいたみたいな呼吸してるのに。
俺を勇気づけるために笑ってくれた。
人間ってのは不思議なもんで、
側に自分より苦しんでる人がいると、自分の苦痛ってのが後回しになるんだな。
誰でもそうなのかな?
そうじゃないなら、これが俺のスキルってことにしとこう。
スキル『自分のことは後回し』
俺は走り出してた。
一人で。
慣れないヒールで途中何度も転びそうになりながら、
リディアが追いかけてこれないように全力で。
後ろのことばかり気にしてたから
イーライ・デウが近づいてきているのに気づかなくて、
もう見上げても顔が見えなくなっていた。
慌てて軽く手を振ってみる。
しかし何も起こらなかった。
ヒールで地面を蹴ってみる。
しかし何も起こらなかった。
うーん、MP足りないのかな?
イーライ・デウがハンマーを振り上げると風圧で地面がめくれ、
俺は仰向けに倒れていた。
高層ビルが倒壊する下にいたら、ちょうどこんな感じかな。
視界を覆う圧倒的な質量に、心が先に潰れる。
逃げることなんてできなくて、
防げるわけもないのに両手を前に突き出して。
顔が歪んじゃって口が閉じないんだ。
でも、悲鳴をあげることすらできないんだ。
すごく長く感じる、でもたぶん一瞬の後、
月のない夜の空みたいな真っ黒な色が俺の身体にへばりついた。
スキル『自分のことは後回し』
効果・後で絶対に後悔する。
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