第三話 この国の名は

 突如あらわれ、俺とピアースを混沌の渦に巻き込んだ犬と猫。

 やつらは互いにマウントの取り合いに必死で俺の言うことなど聞きもしない。

 暗黒の儀式と勘違いして祈りを唱え始める聖堂騎士。


 万事休すと思われたそのとき、俺の前に新たな力が示される。


「クロム様、大変です。見たことないのが来てます」


 ショタが投入されました。

 天使みたいな巻き毛にクリっとした目、元気いっぱいのチュニック姿。

 小学生高学年くらいの年齢だろうか。

 君の小さな角に、触りたい。


「騒がしいぞ、ストラ。エリン様の御前である。

それと、用件は具体的に伝えろと教えたはずだ」


 お前は四つん這いになるのやめてから言えな?

 リディアは素早く猫の真似をやめてる。プライドが勝った。


「は、はい。すみません。僕はよく知らないのですが、こう伝えろと。

『イーライ・デウ』が動いた、と」


「イーライ・デウ?」


 呑気に訊き返したのは俺だけだ。

 リディアはスカートをきつくつかみ、クロムは重苦しい息を吐いて立ち上がる。

 ちょっとヤバい感じ?


 事情がよくわかっていない俺に、やっぱり事情がよくわかってないストラがこっそり手を振る。

 なんか友達感覚だな。


「まさか貴様らの国が標的になるとはな。

エリンとの衝突は避けていたように感じたが、何か状況が変わったか?」


「しらじらしい。お前が暗殺騒ぎを起こしたタイミングでこれだぞ?

神が遣わしたなら狂気にもすがるか。狂信者はどっちだ」


「頭の中も犬か? あれは我々にとっても、いや、どの国にっても脅威。

それだけに標的にされないのがこの国の唯一の優位性であったのに、それも今日までか」


「『狂乱の天使』」

 二人の会話がわかってるふりをするのも辛くなってきた俺に、リディアがそっと耳打ちする。


「神が怪物どもを駆逐するために遣わしたのですが、あの狂った天使には人と悪魔の区別もつかなかったんです。以来、唐突に現れては目につく生き物を虐殺して姿を消す、というのを繰り返しています」


 すげー厄介じゃん。超凶悪なマングースじゃん。神様なにやってんのよ。

 でもなんで教えてくれたの?

 俺がエリン様じゃないってわかってて、それでも助けてくれてる?


「あなたが誰かは知りませんが、このまま戦えば死にますよ」


 警告だった。

 死にたくなければエリン様を返せってか?

 できればそうしてるよ。


「え? 俺が、あ、いやエリン様が戦うの? あんたより小さい女の子だぜ?

なんかこう、象徴とかじゃないのかよ」


 リディアの瞳孔が開いてる。

 しかもブツブツと何か言ってる。


「やっぱりエリン様じゃなかった……しかもエリン様を侮辱した……身体がエリン様じゃなかったら今すぐ殺すのに……」


 いろいろやらかしちゃった感はあるが、今はそれどころじゃない。

 リディアの言う通り、狂乱の天使と戦うなんて無理だ。


 だってエリン様の身体、普通だもん。なんかすごいパワーとか、神々しいオーラとか、極振りのステとかチートなスキルとかないってこれ、絶対。


「エリンちゃん、大丈夫だよね? エリンちゃんがやっつけるんだよね」


 犬と騎士の話を聞いて不安になったのか、ストラが俺のマントをつまんで泣きそうな顔で見上げてる。

 かわいい。かわいい、けど……いま、ちゃん付けで呼ばなかった?


「大丈夫ですよ。エリン様は無敵です。傍若無人で極悪非道です」


 リディア、それ強さの表現じゃなくね?


「「エリン様はさいつよ」」


 二人で声を揃えているときのリディアは一度でいいから俺に、本当の俺にそういう顔を向けてほしい慈愛に満ちた笑顔だ。


「さ、持ち場に戻りなさい。しっかり働いたら、またノネットを作ってあげます」


「ほんと? みんなの分もね。それじゃリディ、エリンちゃん、がんばって」


 俺たちは走り去っていくストラに手を振って見送る。

 かわいい。耳と尻尾つけたい。


「俺にもノネット焼いてほしいな、リディ?」


「しっかり働いたら焼いてあげますよ、エリンちゃん」


 ちょっと仲良くなれた気がするのは俺の頭がバグってるからか?

 犬と騎士がいつの間にやらテーブルに地図を描いて最終防衛ラインの相談をしているように見えるのは俺の頭がショートしてるからか?


「なんだその目は? 俺だってあの天使に見つかったら殺されるんだ。

知恵くらい貸すさ」


「たいしたことない知恵だ。

こんなに下げてはエリン様が倒れることを前提としているようではないか」


「最悪を想定しろと言ってる。

貴様が部隊の構成を教えればもう少しまともな戦術がとれる」


「暗殺者から間者に転向か? 忙しい騎士だ」


 ダメだこいつら。

「もういいから避難の準備でもしとけ。狂乱の天使ってのは災害みたいなもんだろ。

災害とは戦うな。逃げろ」


 そうだよ、俺も逃げよう。戦闘中のどさくさにまぎれて。

 二人からちょっと離れてリディアを呼び寄せる。


「なんです? 私も一応戦闘員ですので準備があるのですが」


「あのさ、その戦闘員? 戦えるやつってどれくらいいる?」


 リディアはピアースの様子をうかがい、俺をテラスの端まで連れていく。

 水の色は暗いけど湖は本当に綺麗だ。名所って言っていい。


「戦えるものはほとんどいません。私たちは戦闘には向かない種族なので。

武具を持って並んで立ってるのがせいぜいでしょう」


「おい、てことはこの国ってほんとに──」

「ええ、エリン様のお力によってのみ保たれています」


 あれ? これ俺が逃げた瞬間、国が終わるやつ?

 国家基盤、脆弱すぎだろ。


「わかりますよ。そもそもここは国なんかじゃないんです。

ゲヘナ……地獄のことですが、そこから追われ、地上にも居場所のないものたちが自然と流れついただけです。

この城だって最初の所有者が死んでからは人間たちが囚人を死ぬまで閉じ込めておくのに使っていました」


「こんな綺麗なのに?」


「ただの森と湖しかないありふれた景色、価値などありません」


 あるよ。少なくとも日本にはこんな景色、数えるくらいしかない。


「ちなみにここから逃げて、行く場所とかある?」


 リディアはつい気が緩んだみたいに小さく笑った。

 何も知らない発言がジョークとして機能したみたい。


「この辺りは主要な都市からも遠く、開拓する意味もありません。

ですからこの湖の先に広がる森林は手つかずで、名前すらない。

今は怪物どもが支配する暗黒の領域です」


 リディアはさらに森の向こうを指さす。


「その先には世界の壁のように連なるモロス山脈。

これを越えられたものはいません。さて、あなたならどこに逃げますか?」


「ああ、わかったからいじめないでくれよ」


「別にいじめてません、この国の紹介をしただけです。

ようこそ、と言っておきましょうか。

この国の名は『ウルティマ・トーレ』。意味は──」


 リディアは俺に顔を向け、唇をゆっくりと、その感触を想像させずにおかないように艶めかしく動かした。

 悪魔らしいね。

 人の想像力を使って首を絞めるんだ。


 ウルティマ・トーレ。



 最果ての地。

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