第32話 平井の受難


 平井百合ひらいゆりは、引き攣りそうな顔を整えて、平静を取り繕おうとしていた。


 相川悠里あいかわゆうりからの、告白のような相談。


 ――平井さんを姉のように思っていて……。

 ――平井さんの幸せを幸せを思うなら、好きな人と結ばれるべきです。

 ――姉をとられるようで、寂しく思います。

 ――こんな気持ちは初めてなんです。どうしたらいいか分からなくて……その事で頭がいっぱいで……。

 ――私は、どうしたら良いのでしょうか?


 近所の男の子が、姉と慕っていた人に恋をして、でも恋とは分からずモヤモヤして、姉に助けを求めるような、そんなシュチュエーション。

 初心なショタに恋を教えるという、オタク垂涎のシュチュエーションで、萌えないわけが無い。しかし、そのシュチュエーション通りならの話だ。


(どうして、昨日、知り合ったクラスメイトのシスコン男子から姉と言われて、恋を恋と気づかないで「この気持ち何?」みたいなことを聞かれないといけないんですか……?)


 可愛いショタかロリに言われるなら最高なのに、よりにもよってシスコンで女装家で露出狂騒ぎを起こした変態に言われるなんて……。


 平井は自分の不運を呪った。


(恋を自覚させるのは、私の提案です。将来を思い描くことで、理想の女性像を確立させ、恋愛感情を芽生えさせる。そう仕向けました。私が悪いです。私が悪いですけど……どうして!よりにもよって、私なんですか!?)


 相川は顔がいい。女っぽい顔をしているけど、GLもいける平井には関係ない。容姿はいいのだ。でも、中身がダメだ。完全に恋愛対象外。変態に好かれたくない。


 平井は自分の不運を呪った。


(しかも、私が見たくないって言ったメモ用紙を見せてくるし……私も、無意識に見てしまったし……)


 相川のやりたいことを書くように命じたメモ用紙。度々たびたび見せようとする相川に、断固拒否の姿勢を示していた。なのに見せられた。

 しかも、『平井と結婚』と書かれている。『普通、本人に見せるか?』案件だ。見せるどころか、相談までされたし、頭を抱えるしかない。


「あの……どういう気持ちなのかだけでも教えてくれませんか?」


(心底、嫌な気持ちだよ!……はあ。私の気持ちではなくて、相川さんの気持ちですよね……恋と教える訳にもいきませんし、どう誤魔化したものか……)


 恋と自覚すれば、言い寄ってくるかもしれないのだ。シスコン露出狂変態野郎に言い寄られたくない。


 平井は、口元に手を当てて考える。恋と似ていて、全く別の感情は何か?


(恋心に含まれているのは……愛情、愛欲、独占欲……それと、嫉妬でしょうか?それに当てはまる、恋以外の事象……そんなのあるんでしょうか?)


 一瞬、『推し』という単語が頭を過ぎるが、切り捨てた。相川に推されたくない。


 平井が悩んでいると、平井の友達がやって来た。


「百合ちゃんが悩むなんて珍しいね。そんなに深刻な話?」


「ええ、まあ……」


 平井の今後を左右するであろう、深刻な話だ。


「そうなんだー。どれどれ……」


 深刻な話の中心と思われる、メモ用紙を覗き込む。そして、赤丸で囲まれた『日向と結婚』が目に飛び込む。


「……確かに深刻だね。百合ちゃんと日向くんが結婚……」


「いえ、私と日向さんではありません」


「私の妹と日向さんが結婚したら良いな、という話です」


「ああ、そういうことね。じゃあ、百合ちゃんは関係な…………ん?」


『平井と結婚』と書かれているのも見つけた。


「えっと、百合ちゃんと誰が結婚?」


「私の弟です。大切な弟を任せられるのは、平井さんしかいなくて……でも、平井さんの気持ちもあるので、どうしたものかと……」


「それは、日向くんにも当てはまると思うんだけど……ちょっとだけ百合ちゃん貰うね」


 平井が友達に連れられ、相川から離れる。


「相川くんって、けっこう危ない感じ?」


「危ないというか、子供ですね。無知というか、初心というか……まあ、危うさはありますね」


「だよねー……」


 言葉では言い表せないような狂気を感じた。正直怖い。


「ていうか、相川さんって平井さんのこと好きなんじゃない?平井さんと弟の結婚は嫌そうだったし」


「しかも、平井さん話していた時、ちょっと表情が柔らかかったし」


「あー!わかる!あれ絶対、惚れてるよね!」


 平井を置いて、友達が盛り上がる。


「平井さんどうするの?」


「相川さんって悪い人では無さそうだし、ワンチャンありなんじゃない?」


「あんな格好してるけど、本当はイケメンだったりして」


 好き勝手に言う友達に、平井はため息をついた。まるで分かっていない。


「よく考えてください。シスコンですよ?私より妹と弟を大切にするに決まっています。それに昨日、トイレでアレを見せつけていたそうじゃないですか?」


「男子なんて、皆そんなもんだって」


「私は『そんなもの』程度の男子は嫌です。はあ……王子様のような人は居ないでしょうか?」


「平井さん乙女だね……」


 項垂れる平井に、友達が温かい視線を送る。


「まあ、百合ちゃんは私のものだから、相川くんに渡す気は無いんだけど……けっきょく、相川くんの話ってなんだったの?」


 独占欲を見せる中学校からの友人が問いかけた。


「私のことが好きらしんですけど、相川さんはそれに気づいてないようで……『これはどんな気持ちなのか』と、聞かれました」


「それは……なんというか……」


「本人に聞いちゃうんだ……」


「相川さんって馬鹿なのかな?」


 散々な言われようである。


「それで悩んでいたのか……百合ちゃん大丈夫?」


「ええ。大丈夫です。たった今、上手い返事を思いつきました」


 友達と話していたら、アイデアがひらめいた。天から降ってきた。もはや天啓だろう。


 そんなことを思いながら、相川のもとへ戻る。


「相川さん。先程の質問、答えがでましたよ」


「本当ですか?」


「はい。相川さんが私へ向ける感情は――」


 愛情と独占欲と嫉妬が混ざる関係。それは――


「――友情です」


「友情?」


 相川にはピンと来なかった。


「私には沢山たくさん友達がいましたが、こんな気持ちになったことはありませんが……?」


「それは、性格の相性やタイミングが悪かったのでしょう。友達が、相川さんを取り合ったことはありませんか?」


「それは…………あります」


 相川は人気者だった。故に、取り合いになったし、友達同士で嫉妬してることもあった。


「相川さんは、取り合いを側から、取り合いを側になったんです」


「なるほど!そうだったんですね!」


 相川は、悩みが晴れたようなスッキリした顔をしていた。

 これには、平井も思わず笑みが浮かぶ。上手く騙されてくれたと。


「友達というのは、距離感が重要です。特に、男女なのですから、程々の関係でいましょう」


「はい!わかりました!」


 相川が素直に頷く。これで、休み時間の度に絡まれることは無いだろう。


「それでは、私はこれで……」


「あ、はい。ありがとうございました、平井さん!」


「いえ、クラスメイトなのですから、気にしないでください」


 友達だと思ってない。暗にそう伝える。

 伝わったか分からないが、気づいても面倒なので、それ以上は主張しない。


 肩の荷が降りたとばかりに、ルンルン♪しながら友達のもとに戻る平井は気づいていない。

 結果的に、『友達からお付き合いしましょう』みたいな形になったことを。


 そして、もうひとつ。


 程々の関係とはいえ、相川がいだく男女の友情が成立するのか?という問題にも気づいていなかった。

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