第31話 恋の芽生え


 相川悠里あいかわゆうりは、自分の席に着いて、将来のことを考えていた。


(日向さんと結婚もいいですよね〜。日向さんなら妹を任せられますし、私も義兄弟きょうだいとして愛情を向けられそうです)


 手元にあるメモ用紙の、『日向さんと結婚』の項目に赤丸を付ける。


 日向ひなたこころ。天真爛漫で、弾ける笑顔が魅力的な男の子。可愛らしい顔立ちをしており、小柄で小動物的な印象もある。


 無邪気で可愛らしいところが妹に似ていて、女の子だったら自分が付き合っても良かったと思っていたりする。


(次は、平井さん)


 平井百合ひらいゆり。相川と同じ学級委員で、頼りになるお姉さん的な存在。


(あまりパッとしませんが、不思議と落ち着くんですよね〜。甘えられると言いますか……私にお姉さんが居たらあんな感じなのでしょうか?)


 深山ふかやまに叱られている時、間に入って庇ってくれた。その後も、自分には思いつかないような提案をしてくれた。平井の笑顔を見ていると安心できて、心の重りを和らげてくれた。

 傍に居ると安心して、頼ってしまうような魅力。まさに、年上のお姉さんのようだった。


(平井さんになら、弟を任せられます。しかし、平井さんは尾田さんが好きで……私も……う〜ん……)


 お姉さんのような存在。もっと一緒に居たいような、初めての気持ち。妹弟まいてい以外に感じるのは、初めてで、少し戸惑いがある。


 弟を任せられる唯一の存在。同時に、誰にも渡したくないような人。誰にも渡したくないが、平井の気持ちを考えると、尾田と平井が結ばれるべきで……。


「ううう…………どうしたら良いんでしょう…………」


 相川は机に突っ伏した。


 初めて感じる独占欲。心に広がるモヤモヤ。譲りたいけど、渡したくない。激しく衝突する矛盾した感情。


 辛くて、切なくて、甘くて、幸せ。喜怒哀楽が全て詰まったような心の内。自分でも訳が分からなくて泣いてしまいそう。


 机に突っ伏したまま起き上がれない。殻に籠るように、腕で頭を囲う。


「大丈夫?」


 頭上から、心配するような声が降ってきた。


 腕の囲いはそのままに、モゾモゾと顔を上げると、心配そうな日向と目が合った。

 日向は屈んでおり、机から顔を覗かせるようにしている。小動物みたいで可愛らしい。


 その可愛らしい仕草にホッコリして、思わず微笑んでしまう相川。


「大丈夫ですよ。心配は要りません」


 体を起こして、気丈に振る舞う。


 本当は大丈夫では無いが、日向の顔を見て少し元気が出た。


「本当に大丈夫?少し顔が暗いよ」


「大丈夫です。少し考え事をしてて……」


 そう言って、相川がメモ用紙に視線を落とす。それを追って、日向もメモ用紙を覗き込んで――


「え……?」


 ――固まった。


 真っ先に目に飛び込んだ赤丸。そこに書かれた『日向と結婚』。


(私が結婚?相川くんと?)


 心臓が跳ねて、胸がキュンとした。


「どうしようか悩んでて……」


 相川は、平井のことで悩んでいる。しかし日向は、『日向と結婚』について悩んでいると思った。『平井と結婚』の項目には、気づいてすらいない。


(悩むよね……男同士で結婚なんて……私は良いけど……って!?いやいやいや!良くない!!男同士だなんて無理だよ!!)


 咄嗟に頭を振って、考えたことを追いやろうとした。でも、それを相川が止めた。


「また目が回りますよ」


 そう言って、相川が微笑んだ。


「ふぁあああ……」


 顔は相川の手で包み込まれていて、制服の袖からは花のような香りが漂ってくる。


 目の前には、笑みを浮かべる相川。少し影のある笑みが少し色っぽくて、変な気持ちにさせてくる。

 顔を逸らしたいけど、顔を抑えられて動かせない。目を逸らしたいけど、色っぽい表情に目が釘付けになる。


 どうしようもなく顔が緩んだ。そして、その顔を相川にしっかり見られた。それが、特大の羞恥に変わっていき……。


「ちょっと、トイレ!!!」


 日向は逃げ出した。とても、耐え切れるものでは無かった。


 日向は、恋心も下心も知らなかった。しかし昨日、深山による獅童への愛情表現を何度も見た事によって、女性というものを強く意識させらた。今の日向の心は、とても敏感だった。男の相川にも反応してしまう程に。


 そんな日向が微笑ましくて、去っていく姿を、相川は見つめていた。


(本当に、弟のようです。可愛らしい……)


 小動物的な日向にほっこりする。だが、自分から逃げいく姿が妹たちに重なり少し寂しい。


 相川が黄昏ていると、今度は平井がやって来た。


「調子はどうですか?」


「行き詰ってます」


 暗い表情の相川を見て、そうだろうなと思った。


 そもそも、平井が来たのは、友達が「励ましてこい」と強制したからだ。それくらい落ち込んで見えた。行き詰まっているのは、簡単に想像出来る。


 ということで、予め用意していたアドバイスを授ける。


「一度考えない時間を作ってみてください。ひらめきを大事にしましょう」


「ひらめきですか……」


 ひらめこうと、相川が再び考え出す。


「ですから、考えないでください。考えてひらめくのなら、既にひらめいてるはずです」


「考えずに感じろと……?」


「それは違います。感じるのではなく、アイデアが降りてくるのを待つんです」


「アーティストの様なことを言いますね……」


 作曲をする人が言ってるイメージがある。作曲をしない相川には分からない感覚で、どんなものか再び考えてしまう。


「考えないでください……。それより、今できることをしましょう」


「今できること……?」


「はい。そうです」


 平井は、相川の心に寄り添うように微笑んだ。


「日向さんを追いかけるんです」


 そして、あわよくば付き合ってしまえ。そんな邪な心の声を隠して、相川の背中を押す。


「いえ、今はそっとしておきます。私の美貌にあてられてしまったようなので」


「あ、はい」


 ギザったらしく言う相川によって、平井が真顔になった。そういえば、こういう奴だったと。


「それより、聞きたいことがあるのですが……」


 相川がメモ用紙を平井に見せる。そして、赤丸を付けられた『日向さんと結婚』が目に飛び込んだ。


「ほう……!」


 平井の目がキラッキラ輝く。


「実は、弟を平井さんに任せたいと思ったんです」


「…………え?」


 日向と相川の結婚じゃないのか?男同士での恋愛について、腐女子の先輩である自分に聞きたいことがあるんじゃないのか?


 平井は、戸惑いながらメモ用紙に目を走らせて、『平井と結婚』の項目を見つけた。

 平井が愕然としていると、相川が声を抑えながら歯切れ悪く言葉を紡ぐ。


「ですが、その……好きな人が、いるじゃないですか?」


「いませんが?」


 いまだに、平井が尾田に片思いしていると思っている。そんな相川に、平井は徹底抗戦の構えをとった。

 何を言われても論破してやる。と、身構える平井に、相川は歯切れ悪く言葉を紡ぐ。

 

「私は、平井さんが幸せになって欲しいと、思っています。平井さんが幸せになれるなら、それで良いと、思っています。ただ……その……私は平井さんを姉のように思っていて……」


「今すぐ、その思いを改めなさい!」


 平井は相川から一歩距離を取り、自身の腕を抱く。


 シスコン同級生に姉のように思われてるとか、怖気が走る。

 具体的には、ストーカー野郎から「元彼女に似てる」って言われるとか、メンヘラが自分を意識し始めたみたいな、貞操と生命の危機を感じた。


 そんな平井を気にせず、相川が話を続ける。


「平井さんの幸せを思うなら、好きな人と結ばれるべきです。ですが、大切な弟を任せられるのは、平井さんしか思い浮かびません……。ですが、私は……姉を取られるようで、寂しく思います……」


 だから、私を姉と思うのはやなさい!そう叫びたかったが、止めた。

 今の相川に平井の言葉は届かない。自分語りで精一杯の様子だった。だから、自分語りが終わるまで待つしかないのだ。


「こんな気持ちは初めてなんです。どうしたらいいか分からなくて……その事で頭がいっぱいで……考えずに、ひらめきを待つのができそうにありません。……私は、どうしたら良いのでしょうか?」


(知るかッ!!!)


 平井は心の中で叫んだ。

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