第23話 怒ると怖い


「ただいまー!」


 相川が玄関から声をかけると、バタバタ元気な足音が近づいてくる。


「兄ちゃんおかえりー!」


「おかえりー!」


 言いなながら、妹の優璃ゆりと弟のゆうが飛びついて圧し掛かる。


 二人合わせて九十キロぐらい。めっちゃ重い。中学の時の悠里は耐えきれずに押し潰されていた。だが、それは昔の話。

 中学の時からの習慣。帰る度に圧し掛かられていたら、さすがに耐えれるようになる。


 重心を調節して上半身の負担を減らし、脚の力で立つ。

 筋肉を鍛えただけではさすがに厳しい。だから、筋肉だけじゃなくて、体幹、体の使い方で持ち上げる。


 そのままリビングに向かう。


「学校はどうでしたか?お友達はできましたか?」


 優璃と祐は中学一年生。先日入学したばかりだ。

 兄として、妹弟まいていが上手くやっているか心配だ。


「できたよ!」


「お兄ちゃんはどうなの?」


「友達できましたよ〜」


 ソファーに腰を下ろして、スマホを取り出し、写真を表示させる。

 相川が獅童にキス顔を近ずけ、日向が片手を上げてジャンプで映り込んでいる写真。日向の手がちょうど相川の口の辺りを隠していて、相川が獅童にキスをしているようにしか見えない。


「…………浮気?」


 優璃の怒気を感じ取った祐が、悠里から離れて逃げた。


「違いますよ。これは、先輩が獅童さんを置いていった時の写真です。先輩の危機感を煽る必要があって、この構成にしたんです」


「だからって、チューするの?」


「してませんよ。そんなことしたら、先輩に叱られます」


 キスをしてなくても叱られたが、それは黙っておく。


「そもそも、お兄ちゃんには優璃がいますから。他に目移りなんてしません」


「むぅぅ……」


 優璃はむくれながら写真を消していく。そして、獅童と相川のツーショット写真まで全部消して。


「お兄ちゃん嫌い!」


「優璃!?」


 怒って自分の部屋に戻ってしまった。


「やってしまいました……」


 リビングで、ひとり落ち込む。

 露出騒ぎを起こしたり、獅童に弱みを握られたり、深山に怒られたり、やらかしてばかり。散々な一日だ。

 でも、まさか妹に嫌われるとは思っていなかった。


「……でも、これが兄離れというものなんでしょう」


 身近な兄弟、姉妹の話を聞く限り、相川兄弟は異常に仲がいい。普通じゃない。それが、普通の兄弟になる時が来たのだろう。


「はあ……尾田さんに教えて貰ったゲームをしますか」


 妹弟が兄離れして、悠里がそれを受け入れられない時のための保険。架空の妹弟で気を紛らわす。


 悠里の部屋は、優璃と祐の部屋の隣。

 少し前までは同じ部屋だったのだが、悠里が中学を卒業するあたりで急に避けられるようになり、追い出された。

 勝手に入ろうとすれば怒られる。まあ、鍵が設置されていて勝手に入れないのだが……。


 思春期なんだなと思いながら、自室になった部屋に戻ってゲームを起動する。


『ヴィーナス リトル シスターズ!』


 爆音が部屋に響いた。教室でダンスを踊って、そのままの音量だった。


 頭が真っ白になって固まる悠里。それに追い打ちをかけるように、スマホから音声が流れる。


『お兄ちゃん大好き!』


 ガン!!部屋の扉が殴られる。


「まさか……」


 扉の前に誰かいる?声をかけようとしてた?優璃じゃないよね?違うよね?


「大っっ嫌い!」


「待ってください優璃!これは違うんです!」


 優璃だった!声をかけようとしてくれていた!そのタイミングで『お兄ちゃん大好き!』。タイミングが悪い!


 浮気を疑われた後に、他の妹に浮気をしているような音声。火に油を注いだ。


 扉を開けるが、優璃はもう廊下に居ない。

 優璃の部屋の扉に齧り付いて声をかける。


「優璃!私の妹は優璃だけです!他の有象無象は興味ありません!」


 扉が少し開いて祐が顔を出す。祐の目は冷めきっていた。

 冷めきった目を向けられることはあまりない。普段とのギャップも相まって、怖い。


「祐……?」


 冷や汗を流しながら、恐る恐る声をかけた。

 冷めきった目を耐えながら言葉を探していると、低い声で祐から問いかけられる。


「じゃあ、さっきのは、なんなの?」


 さっきの。それは、ゲームの音声『お兄ちゃん大好き!』。

 

 冷や汗を流しながら、どう言い訳するか考え、相川は黙った。黙ってしまった。それは、不信感を煽るのに十分な沈黙だった。


「本当は、妹なら誰でもいいんだね」


「違います!」


「じゃあ、なんなのか言ってよ」


「それは……」


 言い淀んだら、祐の目がゴミを見るような目に変わる。

 言い訳を考えている場合じゃない。正直に言わないと、今度こそ拒絶される!


「もうすぐ祐たちがお兄ちゃん離れすると思って、クラスメイトに紹介してもらったんです!」


「………………」


 祐は何も言わない。無言で悠里を見つめている。

 

 正直怖い。先生に怒られている時の威圧を感じる。そして、理由を説明して先生が無言になれば、説明不足と思い余計なことを言ってしまうもので……。


「祐たちは思春期ですし、兄離れする時期になってもおかしくないと思って、寂しさを紛らわせるために、ゲーム好きなクラスメイトに教えてもらったんです」


「……お兄ちゃんは、僕達を信じてないの?」


 祐が寂しそうな顔をする。


「そんなことないですよ!信じています!」


 何も考えずに返事をした。祐の悲しい顔を見て、勢いで言ってしまった。


「じゃあ、なんで兄離れを考えるの?優璃はお兄ちゃんが浮気するはずないって信じてた。直ぐに仲直りしようとしたのに……」


「それは……」


 祐たちを攻めるようで言いたくない。でも、黙れば状況が良くならない。言い渋っている場合ではない。


「祐たちが一緒の部屋を嫌がって、別々の部屋になりましたし、鍵もかけて部屋に入れてくれませんし……最近、距離を感じるんです。除け者にされているようで……」


「それは……ごめん。お兄ちゃんが嫌いになった訳じゃないよ。ただ……」


 理由は教えてくれない。でも、今はそれで十分。


「私も、祐と優璃を嫌いになった訳じゃありません。寂しかったんです。祐たちが、お兄ちゃんから離れていくようで……」


 喧嘩をしても、気持ちを共有することで、絆を深めて仲直りしてきた。

 共感した相手を嫌いになる人なんていない。自分と同じ気持ちの人を責めれる人は、自分を責めれる人くらいだ。


「ごめんなさい……」


 祐が部屋から出てきて、悠里に抱きついた。


「お兄ちゃん……」


 優璃の声がして顔を上げれば、優璃が顔を覗かせていた。


「1つだけ、聞きたいんだけど……」


「1つと言わず、いくつでもいいですよ」


 悠里はほほ笑みかける。それに対して、優璃は浮かない顔で質問する。


「お兄ちゃんは……いつか私たちが、お兄ちゃんを嫌いになると思ってるの?」


「それは、さっきも言ったように、優里が私を避けるから……」


「でも、私たちが、お兄ちゃんを大好きなのは、分かっていたよね?」


「………………」


 それは分かっていた。今日だって、家に帰ると飛びついてきたのだ。嫌いになったとは思えない。


「本当に、私たちがお兄ちゃんを嫌いになると思っているの?」


「………………」


 思ってる。嫌いにならないとしても、今まで通りはありえない。だって、妹と恋人のお付き合いをしているのだ。

 獅童達との写真を見せた時、優璃が「浮気?」と聞いたのは比喩じゃない。そのままの意味。

 

 仲が良いとはいえ、今の関係はおかしい。それは、さすがに気づいている。むしろ、今のままでいいのか疑問に思いつつある。


「なんで黙ってるの?」


「いえ、これは、その……」


 言い淀んでいると、祐が悠里から離れる。


「「お兄ちゃん?」」


「ひぃっ!」


 息ぴったりの低い声。表情の消えた顔。

 可愛い妹達も、怒れば怖い。双子の威圧は共鳴し、悠里を恐怖で縛り上げる。


「「信じていたのに……」」


 そう言って二人が部屋に入り、鍵が閉まる。

 鍵の閉まるカチャリという音がやけに耳に残った。


「ど、どうしましょう……誰かに相談を……」


 獅童は論外。深山と相川に遊ばれている人が、良いアドバイスをするとは思えない。

 

 深山も論外。意外と真っ当な解決策を出すかもしれないが、変態に相談したくない。

 

 中学の知り合いは、告白を断った後に連絡が取れなくなった。伊藤牧いとうまきは今日の昼休みに連絡先を交換したが、真面目な彼が少し特殊な家庭環境の相談に乗れると思えない。


 残りは日向ひなたこころ、葉月健一はづきけんいち尾田おだ


 日向は……頭悪そうだから却下。


 葉月は……想像できない。保留。


 尾田は……意外と分かるかもしれない。ヴィーナス リトル シスターズを紹介するぐらいだ。兄弟の恋愛に詳しいかもしれない。


 力になってくれることを祈って、尾田に電話した。オタクに電話するとどうなるか知らずに……。

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