第19話 愛の力


 愛はどんな障害も乗り越えられるのだろうか?


 勉強だったら可能性がある。


 愛情ホルモン、オキシトシン。

 好きな人との対話や接触で分泌されるこのホルモンは、記憶力が向上する効果がある。

 

 単純に覚えるだけなら、きっと何とかなる。


 勉強以外の実践的なことを覚えれば、障害の打破も可能だろう。


 だが、何でも出来るわけではない。


「なんで降年できないんですか!?校長の権限は何のためにあるんですか!?」


「少なくとも、不当な降年を防ぐためだと思うな……」


 深山深夜ふかやまみやは校長にカスハラしていた。


 いくら愛があっても、正当性のないカスタマーハラスメントが許されていいはずがない。



 


「獅童さん、彼女が注目の的ですよ」


「言うな」


 嫌な注目のされ方だ。そんな彼女をもつ彼氏として、恥ずかしく思う。


「止めなくていいんですか?彼氏として」


「行きたくない……」


 彼氏だってバレたくない。


「獅童さんでも弱音を吐くんですね」


 鋼のメンタルだと思っていた。


「私でも、アレは関わりたくない」


「そうなんですか?愛する彼女の一面ですよね?」


「人様に迷惑をかける一面は愛せない」


「ハッキリ言いますね。ボイスレコーダーが回っているのに……」


「聞かれても問題ない。さすがに、許容出来ないからな」


「ほう?許容できない?止めに行く?ビシッと言ってくる?」


 行くよな?相川は、目を見て問いかける。


「…………行けばいいのだろ!」


「いってらっしゃーい」


 深夜への生贄は捧げた。あとは、落ち着くのを祈るばかりだ。


「1人で大丈夫かな?」


 成り行きを見守っていた日向が心配する。


「日向さん。触らぬミヤに祟なしと言って、獅童家では暴走中の先輩からは逃げるのが鉄則で……どこ見てるんですか?」


 獅童を追っていたはずの視線が、スーッとズレていく。


「獅童くんが、違うところに行ってる」


「え?どこです?」


 日向の見てる方向を見るが、それっぽい人は見当たらない。

 

 そこへ、深山がやって来る。


「アイちゃーん。マコちゃんは〜?」


「先輩を止めに行ったはずです。見ませんでしたか?」


「見てないよ」


「じゃあ、逃げましたね。関わりたくないと言ってましたし……」


「あははは。マコちゃんがそんなこと言うはずないじゃん」


「では、なぜ逃げたのでしょう?」


「…………私を嫌いになったのかな……はあ……」


 心当たりはある。態度が素っ気ないのだ。

 そのあと甘い言葉を吐くから気のせいだと思っていた。思っていたが……避けられれば勘違いとも言ってられない。


「獅童さんは、先輩が急に離れたから悲しい顔をしていましたよ」


 撮影していた〝しょんぼり獅童〟を見せる。


「ああ、マコちゃん、こんな顔して……」


 悲しみと興奮が混ざった感情で、深山がスライドしていく。


「ああ、慰めて上げたい。この顔を歪ませて……はあ、はあ……」


「……先輩?」


 悲しむと思ったら興奮しだした。


 深山の特殊性は知っているが、特殊故に、言動を読み取るのが難しい。


 ずっと黙っていた日向は、そっと場を離れる。変態の近くには居づらかったから。

 ただ、深山に色気を感じるとか、見ていると変な気持ちになるとか、そういう理由もなくも無い。


 日向の離脱に気づかないぐらい、相川が困惑している間も、深山は〝しょんぼり獅童〟を観賞する。


 そして、〝しょんぼり獅童〟から〝相川の彼女面ツーショット〟に切り替わる。


「アイちゃん。随分楽しそうだね?」


「先輩が獅童さんを捨てていくから、どうなるか教えてあげようと思ったんです」


 そのために撮った。深山が怒っているのに気づかないで、相川はドヤる。


「捨ててないんだけど?勝手に取らないでくれる?」


「これに懲りたら、獅童さんを悲しませないように、バイバイぐらいは言って離れることです」


 良いこと言った!相川は自画自賛する。深山の怒りに気づかずに……。


「アイちゃん。ちょっと話そうか」


「え?ちょっ、先輩?痛いです。肩が、ゴリラ並みの――」


「――あ゙あ゙?」


「ひいっ!」


 相川は肩を人質に取られ、体育館隅に連れて行かれる。


 体育館隅で肩は開放されたが、本体は解放されない。

 肩を抑えながら正座していた。


「随分と、好き勝手にやってくれたじゃない?せっかく、マコちゃんの顔で良い気持ちになっていたのに……」


「先輩?」


「私が寝取られ趣味になったらどうしてくれるの?」


「え?知らない……」


 あの写真が深山の嫉妬を買ったのは分かった。やっと分かった。

 だが、深山の性癖は知らない。というか、理解できない。


「マコちゃんは私だけのもので、私はマコちゃんだけのものなのに!」


 だから何なのだ?何を聞かされているのだ?


「えっと、ドンマイ?」


「はあ?誰のせいだと思ってるの?」


「え?先輩の特殊性癖のせい……」


「黙らっしゃい!」


 しばらく相川を睨み、写真に視線を戻す。


「この映り込んでいる女は何?やけに距離が近いじゃない。しかも可愛いし」


「それは、私の友達です」


「アイちゃんの友達?変人じゃない……」


「私の友達で変人は獅童さんと先輩ぐらいですよ」


「黙らっしゃい!」


 しばらく相川を睨み、口を開く。


「この女さっき一緒にいた人よね?」


「はい。友達ですから」


「そんなに友達を強調されると逆に怪しいんだけど……。やっぱり無理に後年するべきかな……」


 一度は引いたが、恋敵がいるとなれば話は別。これは引けない戦いだ。


「大丈夫ですよ。なんせ、妹達が綺麗にメイクしてくれますから!女であろうと、私以外に目移りすることなんて、天地がひっくり返ってもありえません!」


「くうっ!アイちゃんが一番の強敵だったか……!」


 味方だと思っていたのに!


 思わぬ伏兵に戦慄する。


 深山は知っている。相川に告白する男子が、後を立たないことを。

 男も惚れる美男子。それが相川悠里なのだ。


 獅童が女に取られることは無いだろう。隣の相川に尻込みして近づけないから。

 しかし、相川なら獅童を取る事ができる!


 正座でドヤる相川と見下ろしながら尻込む深山の睨み合いが始まった。


 両者一歩も引かず、深山が「なんでマコちゃん以外の人見つめてるんだろう?」とバカバカしくなってきた頃、藤本がやって来た。


「深山、そろそろ教室に戻れ」


「先生!やっぱり降年します!」


「できるわけないだろう」


 校長が却下した時点で不可だ。


「じゃあ、マコちゃんとアイちゃんを別のクラスにしてください!」


「できるわけないだろう」


 生徒の一存で変えられては、たまらない。


「じゃあ、せめて!アイちゃんとこの女をマコちゃんに近づけないでください!」


 深山はスマホの画面を見せる。

 そこには、獅童にキスしようとする相川と、手でキスを隠すように手を伸ばして写る日向が映っていた。


「なんで近づけたくないんだ?」


「マコちゃんが取られるから!」


 取られるか?いや、そういう素振りはなかった。


「……大丈夫だろ。男だし」


「え?男?」


 目を細めて画面を見つめる。男と言われれば男に見え……いや、女。


「相川は妹好きで、もう一人の子の恋愛対象は女性らしい」


「恋愛対象が女なら……いやいやいや!」


 深山にとっては、性別の問題じゃない。


「可愛い子がマコちゃんの隣にいるのがダメなの!」


「なんでだ?お前たちは、この上なく仲睦まじいのだろう?」


 それは、生徒指導室で獅童が言っていたことだ。


「そうだけど、アイちゃんは男女関係なく虜にするし、この子も絶対、男女関係なく虜にするの!」


「だとしても、獅童が虜になることはありえない。獅童は相川の事を真剣に考えていた。これは、相川を正すという正義感だろう。そういった正義感を持つ者は、自分自身も正さないと気が済まない。不倫や浮気なんて論外だ」


 どの程度自分を正すかは個人差があるが、獅童は厳しいぐらい正すと思う。

 口調や態度は酷いが、他は……前言撤回。あまり正さないかもしれない。


「先生。不倫とか浮気じゃないんです。別れ話をされるかもしれないってことなんです」


「ああ、それはあるかもしれないな」


「うがああああああ!」


 深山が頭を抱えてのたうち回る。


「はっきり言って、深山は重い。降年は獅童が望んでいることなのか?」


「…………望んでないです」


「自分の望んでいないことを押し付けられると、嫌気がさすもんだ。獅童の心を繋ぎ止めておきたいなら、皆が憧れる人になるといい。深山が誰かに奪われると思えば、獅童は深山を逃がさないよう、今より積極的なアピールをするようになるだろう」


「今より熱烈なスキンシップ……」


 それは言ってない。だが、否定するよりも、大盛りに盛って話を作った方が早く教室に戻ってくれるだろう。

 藤本は畳み掛ける。


「獅童は武闘家だろう?競技をやっている人は、勝ちたがる傾向が強い。勝つために技術を磨いているからな。獅童は、誰にも負けないよう努力するだろう。深山はどうだ?今より魅力のある彼女になって誰にも渡さないと、思わないか?努力せずに、今の我儘放題でいいのか?」


「……………………」


 深山は真顔で考えている。冷静になっているのか、妄想しているのか、判断ができない。


「愛があれば何でもできる。それだけの力がある。獅童の目を釘付けにするのも、深山ならできるよな?心配している暇があるなら、自分を磨け。それが、この学校ですることだ。さあ、教室に戻って、クラスメイトか先生に相談してこい」


「分かりました」


 深山が大人しく教室に帰っていく。

 

 普段騒がしい奴が、急に大人しくなると怖いが、何とか言いくるめられた。

 

 藤本は安堵の息を吐く。

 「こういう人はこうだ」という心理は、大衆的なもので、個人のものではない。

 獅童個人の心理を持ち出されたら、未だにゴネていただろう。


「さあ、相川さんも列に並びましょう。もうすぐ五限目が始まります」


 


 愛はどんな障害も乗り越えられるという。

 

 学年の壁なんて余裕だろう。

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