母親の過去を辿る手紙 返信
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高瀬 奏様
ご丁寧なお手紙をありがとうございます。そして返事が遅くなってしまったこと、申し訳なく思っております。また千重子さんの訃報を知り、驚きととも深く悲しみを感じております。遅くなってしまいましたが、心よりのお悔やみを申し上げます。
奏さんは『和顔愛語』の茶掛が千恵子さんに渡ったいきさつをお知りになりたいとのことでしたね。ずいぶんと昔の話になりますから記憶があやふやなところもありましょうが、思い出せる限り誠実にお話ししたいと思います。
私とあなたのお母さま、千恵子さんが知り合ったのは、あの大きな戦争が終わった後のことでした。その時にはすでに千恵子さんは結婚されており、お腹の中にはあなたがおりました。千恵子さんは戦争に行ったご主人の無事を願い、幾度となく私のところにきておりました。
私もまた人付き合いが苦手な性分でしたが、元来明るい性格の千恵子さんはわたしを古くからの友人のように接してくれました。私にとって、時折の出会いのひと時はそれはそれは楽しいものでした。そんな状態が数年は続いたでしょうか。戦争は終わりましたが、千恵子さんのご主人は結局戻りませんでした。生きているのか亡くなったのか、それも分からぬままに、千恵子さんの前から消えてしまったのです。
それからの千恵子さんの生活は大変厳しいものでした。それはあなたの記憶にもまだ残っているかもしれません。あの時代、女手一つで子供を育ててゆくのは本当に大変だったろうと思います。私としても彼女の支えになりたいとの思いはあったものの、それはかなわぬ願いだったのです。私にできることと言えば、私が抱えているたった一つの言葉『和顔愛語』を彼女に送ることだけでした。
そのことを私はずいぶんと悔やんできました。彼女のためにもっとできることがあったのではないかと。彼女が私にかけてくれた優しさに対し、私は何の恩返しもできていなかったと。そのことをずっと悔やんできました。
ですが、あなたの手紙を読んで、私の後悔もまた消えていきました。あの言葉がきっと千恵子さんを支えてくれただろうこと。きっと千恵子さんは最後まで優しい笑顔を絶やさない人だったろうこと。彼女が私に向けてくれた優しさと穏やかさは、きっと誰にも等しく降り注いだろうこと。あなたの手紙を読んでそれがわかりました。
きっと奏さんもまた千恵子さんのように優しい人だと思います。私もまたもうじきこの世を去りますが、最後の最後に、手紙を通してあなたに会えたことは幸せでした。私に手紙を書いてくれたこと、心からのお礼を申し上げます。
あの茶掛はあなたが持っていてくださると嬉しいです。
最後になりますが、あなたにも千恵子さんに送った同じ言葉を捧げます。
和顔愛語
あなたがいつまでも穏やかな笑みを浮かべていられますように。
妻野神
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オレは手紙を書き終えると、往信と並べてフヨウちゃんに広げて見せた。
と。フヨウちゃんがちょっと首を傾げた。
「カラウリしゃん、最後の名前がちょっと違う見たいれす。こっちは四文字の名前だけど、手紙の最後は三文字れす」
「よく気づいたね。妻野嘉美さんにあてた手紙だけど、相手の本当の名前は妻野神っていうんだ。道祖神っていってね、神様の名前なんだよ」
「神しゃま?」
「そう。たぶん千恵子さんは神様を見ることができる人だったんだよ。でね、宛先の住所をネットで調べてみたらね、そこにはマンションが建ってたんだけど、数年前までそこには石像を祀った小さな祠があったそうなんだよ」
ま。ガーゴイルマップで検索をかければ、今や一瞬で大抵のことがわかってしまう。便利な時代になったものだと、しみじみ思う。こんな情報ですら、写真付きで手に入るのだから。
「ほこら?」
「神様の住んでる『おうち』のことだよ。妻野神さんはそこに祀られていた神様で、千恵子さんは旦那さんの帰還をその道祖神にお祈りしていたんだ。でね、その道祖神には『和顔愛語』って言葉が彫られていた」
おそらくその茶掛は千恵子さんが書いたものだろう。そして祠がマンション建設のために取り壊されることを知り、なんとかその言葉をかつて仲良くなった神様に返したいと願ったのだろう。自分が妻野神のおかげで幸せに暮らしています、ということを伝えたいと思ったんじゃないかな。
でも、もちろん奏さんはそんなことは知らない。
きっと今も返信を待っているかもしれない。
「フヨウちゃんにお願いがあるってのはさ、この手紙を両方吸い取ってほしいんだ」
いつもなら、返信の手紙を吸い込むことで、往信を成仏させている。
でも今回は往信も返信も成仏させることが必要なのだ。
というのも、奏さんもまたすでにこの世の人ではないからだ。
幸か不幸か、そんな情報もガーゴイルですぐに入手出来てしまうのだ。
「できるかい?」
「あい」
フヨウちゃんは小さな口をすぼめ、それから大きく息を吸い込んだ。
同時に手紙から文字だけがフワフワと浮かび上がり、それはスルスルとフヨウちゃんの口の中に吸い込まれていった。同時に手紙がぼんやりと発光し、実態を失って空気の中に溶けていった……
「ごちそうさまれした」
すべてを吸い込んでフヨウちゃんはニッコリと笑った。
「ありがとう、フヨウちゃん。これでオレたちの仕事は終わった……」
「どうしたんれすか、カラウリしゃん?」
「フヨウちゃん、卵焼き美味しかった?」
「あい。とてもおいしかったれす」
「お味噌汁は?」
「おいしかったれす!」
「オレといて楽しかった?」
「あい! カラウリしゃん、大好きれす」
「オレもだよ。フヨウちゃん、頑張ったね」
「あい。モジもいっぱい覚えました!」
そしてオレの実体もまた消えようとしていた。
たぶん神様の領域に踏み込んだのが原因だ。
ただこれはフヨウちゃんにとっていいことでもあるのだ。
「フヨウちゃん、前に約束したよね、フヨウちゃんにお手紙書くよ」
「あい! あたしもカラウリしゃんにお返事書きますっ!」
オレたちには分かってた。
これが別れの時だって。
フヨウちゃんにもちゃんと分かってた。
だから泣いてた。
オレも泣いてた。
でもこうなるほかなかったのだ。
これで手紙の怨念を吸い続ける妖怪の宿命から解放されるのだから。
さようなら、フヨウちゃん。
元気でいてね。
和顔愛語、最後にぴったり言葉だったね。
「フヨウちゃん、いつまでも笑顔でいてね」
「あい……」
「ほら、泣かないの」
「あい……」
「さよならだね」
「あい、あい……やっぱりカラウリしゃん、行っちゃヤダっ! 行かないでぇ! あたしをおいてかないでぇぇ!」
最後の瞬間、フヨウちゃんが泣きながら手を伸ばした。
オレも最後の瞬間手を伸ばしたけれど、すでに実体を失ったオレの手は、フヨウちゃんの小さな手をすり抜けたのだった……
~ かしこ ~
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