第2話 バイトの賄いが晩飯

夕方になってのことだ。俺は1年半、定休日以外は休まず遅刻早退をせず働いていたバイト先の中華飯屋を、クビになっていた。この3日ほど、俺が酔った状態でバイトをしていたのが理由だ。俺は断じて言う。夕方には酔いは醒めていたはずだ。

「それはお前の思い込みだろう? 呂律も回っていないし、ふらついていたんだ。注意しても耳を貸さなかっただろう?」

 店長の言い分だ。自分から辞めたいと言ったときには代わりの奴を探せとか辞めたくなる半年前に言えとか無茶を言うくせに、解雇となれば即刻辞めさせられる。

 俺は店長としばらく言い合いとなったが、俺のクビは確実になった。店の制服も返せという。

俺は1枚しかない制服のポロシャツ、今朝に洗濯をしてアイロンをかけて乾かしたポロシャツを店長に返した。

「おうい、イオグー。今夜も俺の焼鳥を喰えよなあ」

とQ界隈に最初に誘ってくれたベトナム人留学生のバイトの先パイ・ダット君が俺に声をかけてくれた。ダット君はQ界隈のセクシー鶏料理店でもバイトをしている。ダット君は県下のFラン大学に在籍している。

「今日はQ界隈に行くのを休むよ」

 俺は答える。

(これからの晩飯はどうしよう……)

 晩飯をバイトで済ますのは俺にとっては小学生の頃からの習いだ。


俺はちいさな頃、保護者に風俗嬢が多い無認可保育園に預けられていた。園側も風俗の世界に理解を示し、子どもを預かる時間に融通をつけてくれた。その保育園では小学校2年までの学童保育も兼ねていた。俺は親父と2人暮らしだ。

小学校3年以降、俺の放課後の居場所が消えた。殆どの同級生は塾やら習い事やらで放課後の時間を過ごしていた。小学校だが県下では部活も盛んで男なら野球部かサッカー部、女児生徒はバレーやソフトボールをやっている。音楽や和太鼓、競技かるたの文化部もある。

 親父はそういうことには無関心だった。俺は塾にも部活にも加わらず、親父から貰ったカネでおやつと夕飯と朝飯を工面しなければならなかった。大体1日あたり千円から千五百円程度でカネはまとめて貰う。

 小学生だった俺は始めの頃は放課後をイオンモールでぶらついて過ごした。同じような境遇の子らと集まって、ゲーム機を弄ったり、時には駄菓子や漫画本を万引きしたり、ショッピングモール内のベンチに座ってすることもなく通行人を見ていた。

 親父はそのうち、俺のバイト先を見つけてくれた。そこはいわゆるお菓子のデパートで、その家の子か孫が手伝っているという設定で店番のバイトをする。15歳未満の労働は禁じられているので、親父の名前で雇ってもらい、給与も親父の口座に入る。店側は俺をレジスター兼商品の棚揃え兼万引き予防の見張り役として店に置いてくれた。俺は万引きする側からそれを取り締まる側に出世した。

チロルチョコやクッピーラムネ、ココアシガレットのなどの駄菓子や、おばあさんに受けそうな、大きな袋に入った煎餅やカステラ菓子に取り囲まれながら、赤いエプロンと店の鉢巻きをつけた俺は、本当にさまになっていて、店主の孫か身内だと思われている。誰も俺が小学生バイトだと気付かない。店の本業は和菓子屋で、お菓子のデパートの隣で生和菓子を作って売っていた。

店が閉まる8時以降、俺は店を切り盛りする老夫婦と一緒に夕飯を喰わせて貰った。初老の夫妻が営む店で、おかずは野菜炒めや野菜の煮物が多かった。夫妻は俺にはこのおかずが物足りないだろうと思ってか、時々メンチカツや唐揚げを買ってきておかずに添えてくれた。

「お父さんは飲み屋をやっているんだってね。どこのお店かい?」

夫妻のどちらかが度々俺にその質問をした。

俺は「自分は子どもだから知らん」と言い通した。本当は親の仕事内容を何となく知っていたが、それは人に言えない仕事だと分かっていたからだ。

 俺は只飯を喰わせてもらうのが嫌で、三百円ほどのカネを払って飯を喰った。俺は箸の使い方が上手くない。せっかくのメンチカツも俺は、握り箸で喰った。夫妻は俺の箸使いをそれとなく注意したが、俺は聞かなかった。夫妻は俺の勉強のことも心配し、俺が家に帰っても親父が居ないのを知って、宿題を見てくれた。

俺は菓子屋で働いて、自然と掛け算や引き算を学んだ。6箱入りの段ボールが5つあると30箱。消費税込み1058円の値段で2008円のカネを支払われると釣銭は950円。3割引きの商品は元値に0・7掛けをする。俺は敬語の使い方も店で習った。「ありがとうございます」「いらっしゃいませ」「かしこまりました」「お伺いしましょう」etc……。客とトラブルになりそうなときは、奥に居る店の老婦人に対応を願った。

 俺は13歳の誕生日に、その菓子屋を退職させられた。ニキビが出来た、これから大柄になる子どもが店に立つのなら、世間は単なる孫の手伝いだとは思わないだろう。そういう理由だった。俺はこれから先どうなるのだろうと心配していたとき、親父は次のバイト先を見つけてくれた。

 この国の法律では

『13歳以上であれば親または後見人(親がいない場合は生活の面倒を見てくれている人)の同意書と、学校側の修学に支障がない旨の証明書を雇い主が管轄の行政官庁に提出し、その仕事が非工業的で、児童にとって健康、福祉に有害がなく、労働が軽度と判断されれば働く事が出来る』

となっている。

 今度のバイト先は鶏肉の唐揚げ屋だった。元は生の鶏肉屋だったが、次第に料理を面倒がる客が増え、唐揚げやローストチキンを扱うようになると売り上げが伸びたらしい。

「ちゃんとした子どもなんだろうねぇ。お釣りの計算は出来るのかい? 店のものを盗んだりしないかい?」

 鶏肉店の主人は心配した。

 店主の心配をよそに、鶏肉店では白の半纏と白の帽子を身につけて店に立った。唐揚げや竜田揚げを作り、鶏のマリネの作り方も覚えた。店では飯も炊き、唐揚げ弁当や鶏釜飯を売っていた。俺の仕事は夜8時までで、売れ残った弁当は半額で購入できた。菓子屋に勤めていたときは親父名義の口座にカネが支払われたが、今度は堂々と俺名義のカネになった。

 小学生のときもそうだったが、店は時々俺を休ませた。労働基準法というものがあって、俺はあまり働いてはいけないことになっているらしい。

 休みの日はランドセルなり学校の制服なり、生徒らしい服装で、吉野家や似たような丼屋へ行った。教科書を読みながらそういう店で飯を喰うと、大人は塾から塾へと行く、勉強で忙しい子だと誤解してくれた。

 俺のようなバイトを小学生の頃からしている奴なんて、大人は信じてくれないだろう。

 だがこれは本当の話だ。


 俺は元バイト先の店の横のゴミ置き場の傍に座って、次のバイト先をスマホで探した。飲食店で夕方6時頃から10時まで働かせてくれる、賄い飯のある飲食店を。

 仕事先が見つからないまま、俺は家に帰った。深夜なのになんと、親父とお袋が家にいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る