第125話 新しい生活 ⑵

「滝沢、今日はいつもよりちょっと遅かったね?」

「うん、サークル見学行ってた」


 遠藤さんが目を見開いてバタバタと台所から歩いてきた。私の両肩ががしっと掴まれる。

 

「サークル入るの?」

「蘭華と入ろうかって話になった」

 

 遠藤さんはなんとも言えない顔をして、「んー」と唸った後に少し唇をとんがらせていた。


「山本さんと一緒かぁ。山本さんとはどんな感じ?」

「普通だよ」

「へー。明日さ買い物付き合ってよ」

 

 遠藤さんはいつも突然だ。しかし、この変化球にもだいぶ慣れたのはきっと彼女と一緒にいる時間が長いからなのだろう。なんだかんだ遠藤さんに出会ってから二年近く経っている。

 

「いいよ」

「嬉しい。滝沢と初デ……」

「ん?」


 遠藤さんは何かを言いかけて口を噤んでしまう。聞き返しても頭を左右に振るばかりでなにも答えてくれなくなってしまった。



 高校三年生の冬に私が遠藤さんに告白して付き合うことになった。未だに遠藤さんと付き合っているということに実感がない。

 

 遠藤さんが彼女……。


 受験や引越しでバタバタと大学生になり、遠藤さんとゆっくり出かけるなんてことも出来ずに同棲が始まった。やっとこの生活にも慣れてきたので、近くのショッピングモールをゆっくり回るのもいいかもしれない。


 遠藤さんとの生活は上手くいっていると個人的には思っている。お互いに部屋があり、それ以外の台所やお風呂は好きなタイミングで各々使っている。生活する上で最低限必要な約束も二人で決めた。

 

 掃除、食事関係は当番制にしているけど遠藤さんの方が料理が得意なので遠藤さんは料理、私は掃除が多めになっている。全て任せっきりという訳ではなくて、私が頑張って作る時もある。


 朝起きたら遠藤さんのお父さんとお母さんにお線香を上げるのも二人で決めた約束にしている。

 

 お金関係は私は親から生活に困らないくらいの仕送りがされていて、それを遠藤さんに渡して管理してもらっている。一人暮らしをずっとしていた遠藤さんに任せる方が何かと効率がいいからだ。


 この生活になってから二週間近く経っているが、今のところ大きな問題はない。


 これだけ聞くと私の方がなんか得な生活になっている気がするけど、遠藤さんはそれでもかまわないと一緒に暮らしてくれている。


 遠藤さんの大学の方が家に近いからか、いつも遠藤さんの方が家に先にいて、私のことを迎えてくれる。


 家に帰ると「ただいま」と言えて、「おかえり」が返ってくるのこの生活には未だに慣れない。ただ、高校生の頃よりも確実に息苦しくないことは確かだった。


「遠藤さん、一週間おつかれ」


 私は帰り道で買ったマカロンの入った紙袋を片付けが終って、なにもないテーブルの上に乗せた。


「これなに?」

「甘いの食べたかったから……」

 

 本当は遠藤さんに喜んで欲しくて買ってきた。そんなことを正直に言えるわけもなく、私はそれらしい理由を並べる。私の悩みなんて全く気にしていない遠藤さんはガサガサと袋を開けて目を輝かせていた。

 

「かわいい。食べるのもったいない」

「お菓子なんだから食べないと意味無いでしょ」

「滝沢はどれがいいの?」

「キャラメル、ピスタージュ、シトロン、フランボワーズだって。遠藤さんが好きなの選びなよ」

 

 遠藤さんはまた「んー」と唸って顎に手を置いて悩んでいる。その少し幼い様子を見て私の頬は少し緩んでいたと思う。食べたいのなら私はいらないから全部食べてもいいのにと思った。


「ピスタージュとフランボワーズにする。滝沢ってさ、行動がイケメンだよね」

 

 何を言っているのかわけが分からないので、彼女を無視して私はキャラメルのマカロンを口に運んだ。

 

 甘い……。


 甘いけど、疲れた体にはちょうどいいくらいの甘さだ。


「一口ちょーだい」

「なくなっちゃうじゃん」

「私のも少しあげるから」

 

 遠藤さんは勝手に私のキャラメルのマカロンをひとかじりした。

 

「甘いけど、めっちゃおいしくない?」

「うん」

 

 遠藤さんは途中まで食べているフランボワーズをちょいちょいとこちらに向けるのでそのまま彼女のマカロンをひとかじりする。口の中には甘味と酸味が広がり、不思議な感覚になった。

 

「なんか大人な味だね」

「滝沢は絶対好きじゃないと思った。意外と舌が子供だもんね」

「むかつく……」


 むかつくけれど、遠藤さんとのこの何気ない会話が幸せだ。高校の頃はこんなに遠藤さんと仲良くなるなんて想像もつかなかった。まさか、一緒に暮らすなんてもっと想像もつかなかった。


 遠藤さんもこの間サークルの見学に行ったと言っていたが入るかまでは聞いていなかったことを思い出して、私は残りのマカロンも口に運びながら彼女に問いかける。


「遠藤さんはサークル入るの?」

「んー迷ってる。バイトもしたいし。ただ、舞に一緒にバスケのサークル入ろうって言われてるんだよね。そうすると帰り少し遅くなっちゃうから迷ってる。まあ、バイトしてもどっちみち遅いんだけどね」

 

 遠藤さんがバイトやサークルを始めると、帰りが遅いのかと思うと少しだけ胸がもやもやした。


 遠藤さんと舞は同じ大学になって、今も一緒に行動しているらしい。大学でも遠藤さんと一緒に居れる舞のことが少し羨ましいと思った。


「サークル入らないの?」

「んー迷う。滝沢との時間少なくなるの嫌だし……」

 

 私の事なんて気にしなければいいのに、遠藤さんのその言葉が少し嬉しかった。


「滝沢はなんのサークルはいるの?」

「星見るサークル」

「何そのサークル。私が入りたいんだけど」

「大学で探せば似たようなサークルあるんじゃないの?」

「違うよ、滝沢と一緒だから楽しいんだよそれ」

「意味わかんない」


 意味がわからないけど、その言葉が嬉しい自分がもっと意味がわからないと思った。私なんて話もつまらないし、一緒にいて楽しいことなんてないはずなのに、遠藤さんのその言葉は本気だと思う。私も遠藤さんが一緒にサークルに居てくれたら楽しかったのだろうと勝手に想像した。



「色々決まったら教えてね?」

「なんで?」

「一緒に生活する上で大切なことだから」


 そう言ってにこりと笑って私を見てくるので「わかった」とだけ返した。

 

 今の生活はとても幸せだ。


 だから、その生活を壊さないために自分のできることはすると決めている。最近は自分なりに頑張って素直に発言してみることにも挑戦している。なかなか上手くいかないことも多いが、遠藤さんはいつも優しく受け止めてくれるのだ。


「そろそろ寝る準備しないとね」


 遠藤さんがパタパタと片付けを始めようとするので私はそれを遮った。


「ご飯作ってくれたから私が片付ける」


 遠藤さんは目を丸くしているがすぐに微笑んで「じゃあ甘えちゃおうかな」なんて言っていた。



 片付けが終わり、温かいお風呂で一週間の疲れを癒し、リビングでテレビを見ていると遠藤さんもお風呂から上がってくる。


「今日一緒に寝ようよ」

「やだ」


 遠藤さんは毎週金曜日に一緒に寝たがる。私も彼女と一緒に寝たい気持ちもあるものの、何故か緊張して素直になれなかった。


「滝沢のいじわる。一緒に寝るくらいいいじゃん」

「そうだけど……」


 私が困った顔をしていたからか、遠藤さんは少しむつけながらも「おやすみ」と言って部屋に行ってしまった。


 高校生の頃と違った彼女との関係とこの距離にもどかしさを感じながら、私たちの大学生活は始まったのだった。

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