第118話 想い

「滝沢楽しみだね」

 

 隣にいる女性はとても嬉しそうだ。


 今日は遠藤さんが連れていきたいと言った場所に着いていく約束の日だ。


 共通テスト以降も私と彼女は真剣に勉強していたし、息抜きも必要なので今日くらいは自分たちを甘やかすことを許した。


 二月は一年の中で一番寒い月だ。最近は特に寒い日が続き、今日も雪が降りそうなくらい気温は低かった。寒い上に乾燥しているせいで、顔に当たる空気が痛いので遠藤さんからもらったマフラーに顔をうずめる。



 今日は日中は勉強をして、夕方から家を出発した。遠藤さんはいつも午前中から出かけたがるのでこの時間からのお出かけは珍しい。


 夕食を駅で適当に済ませた後に遠藤さんは電車の方に向かっていた。



「こんな時間からどこ行くの?」

 

 冬なので十八時でも外は真っ暗だ。そんな時間から電車に乗ってどこかに行くなんて少し不真面目な高校生だと思う。


「いいからいいから」

 

 遠藤さんに強引に手を引かれて電車に乗ることになった。カタカタと電車に揺られ、四駅くらいのところで降りると何も無い駅に着く。


「なにするの?」

「いいからいいから」

 

 さっきから彼女はそればかりだ。


 遠藤さんは私の話を無視して手を引く。辺りは住宅も少なく、私たちは少し坂を登った高い位置にある大きな公園についた。


 電灯が少なく、少しだけ薄暗くて怖い雰囲気が漂っている。遠藤さんはベンチに座って「横に来て」と手招きをしている。こんなところになにをしに来たのだろう。


 彼女の行動が全然理解できず胸にモヤモヤとした感情が溜まっていく。


 遠藤さんの横に座ると勝手に手を握られた。勝手なことをしないでと怒ろうとすると遠藤さんに阻まれる。

 

「滝沢、上見て」


 彼女の言うとおり上を見るとその光景に言葉が出なくなった。

 

 どこまでも続く真っ暗な空に無数の綺麗な星たちが輝いている。

 

 私はゴクリと唾を飲み、綺麗な景色に息をすることも忘れてしまっていた。


 雲一つなく、星が煌めいていてその様子が星同士で話をしているようにも見える。ここまで綺麗に見れる日ってなかなかないと思うほど美しい景色だった。


 

「綺麗でしょ――」

 

 隣の遠藤さんを見ると、とても嬉しそうに微笑んでいる。その遠藤さんの顔を見て、体に熱が集まり始めた。

 


「うん、きれい」

「冬の大三角どっちが先に見つけられるか勝負ね?」

「そんなに星詳しくないよ」

「じゃあ、教えてあげるよ」

 

 遠藤さんの幸せそうな声が聞こえ、握っている手にぎゅっと力が入っていた。そのまま握っていない方の手を動かしながら楽しそうに話を始める。


「あの赤っぽいのがベテルギウスって言うの。あっちがプロキオン、あっちがシリウス。って言ってもわかんないよね」


 遠藤さんは届くはずもない空に指を掲げて説明していた。その姿から目を離せなくてちゃんと話を聞いていなかったなんて口が避けても言えないだろう。

 そして、遠藤さんがこんなに星について詳しいなんて知らなかった。いつもは私が彼女に教えてばかりなので、こうやって彼女に何かを教えられるのは少し新鮮だった。



「なんで星のことそんなに詳しいの?」

星空ほしぞらが好きだからたくさん調べたし勉強したの」

 

 寒さのせいか、少し頬の赤くなった遠藤さんが真っ直ぐ私を見つめてくる。そんな遠藤さんの好きだというものがもっと知りたくなった。



「そっか、じゃあもっと教えて?」



 先程から寒いはずなのに私の胸はぐつぐつと何かが煮えているようだった。私はそれが溢れないように蓋を閉める。遠藤さんは私が「教えて」と言ったら嬉しそうに話を続けていた。



「ベテルギウスに繋がる星がオリオン座。プロキオンに繋がってるのがこいぬ座。シリウスに繋がってるのがおおいぬ座だね」

 

 遠藤さんはあっちこっちと空をボードのように指さして説明している。その姿さえも綺麗なんて、遠藤さんはずるいと思う。


「おおいぬ座の一等星好きなんだよね。青白くてキラキラしてて滝沢みたい」


 ふふっと笑い声を漏らしながら彼女はそう言ってきた。隣で黙々と話を聞いていることしかできない私と居て、遠藤さんは楽しいのだろうか。

 

「おおいぬ座なんだから遠藤さんでしょ」

「どういうこと?」

「遠藤さん大型犬ぽいじゃん」

 

 私は冗談でそう言ったつもりだったが、遠藤さんはやたら真剣な顔をしてこちらを見てくる。

 

「滝沢にどうやったら人として見てもらえる?」

「ちゃんと人として見てるよ」

 

 人としてというか、もはや友達としてすら彼女のことを見れなくなっているのではないかと思っている。遠藤さんを見るだけで私の心臓は簡単におかしくなってしまうのだ。


 いつからなんてもうわからない。

 

 私は彼女なしでは生きていけない人間になりつつある。


 そんなのではだめだ。


 遠藤さんは人気者でたくさんの人から好かれていて、私なんかが隣に居ていい人ではないのだから。



 胸が急に苦しくなり、その苦しさを誤魔化すように呼吸をすれば冷たい風が体の中に入り込み、肺が冷たくなっていくのを感じる。


 そういえば、彼女は大切な話があると言っていた。そして、なぜここに連れてきてその話をしなければいけないのか聞きたくなった。


 

「遠藤さんなんで今日ここに連れてきてくたの?」

「滝沢と一緒に星を見たかった。ちょうど四年前の今時期だね。私と滝沢が初めて会った日。私を救ってくれた星空そら星空ほしぞらを見たかった。なーんてね」

 

 遠藤さんははにかんだ笑顔で私を見つめている。


 彼女とはたまたま家が近くて、遠藤さんが苦しい日に偶然出会って、高校も一緒で奇跡的に私の自殺を止めたのは彼女だった。


 どれもの積み重なりだ。


 しかし、今思えばどれもだったのではないかと思うほど彼女との関係は密接になっている。

 


 

 遠藤さんに出会わなければ私の人生はどうなっていたんだろう――。

 

 今もあの家で家族に脅えながら生きていたのだろうか。


 

 …………

 


 多分、私の魂はここには一欠片も残っていなかっただろう。

 

 

 胸がじんじんと熱いのに息をすれば冷たい風が流れ込み、私はなにもできない状態になっていた。そんな私を不思議に思ったのか、遠藤さんが私の顔を覗き込んでくるので、胸が今までにないくらいぎゅっと締め付けられ、私は綺麗な夜空に目を逸らした。

 

 


 遠藤さんに出会わなければ、楽しいも苦しいも嬉しいも辛いも幸せも今湧き上がるこの感情も何も知らないまま死んでいた。


 遠藤さんと出会わなければ、こんなにもたくさんの感情を知ることもなく人生を終えていたのだろう。


 隣の遠藤さんに目を移すと白い息を吐きながら、すごい楽しそうに星を眺めていた。




 

 遠藤さん、また隣で一緒に星を見てくれる?

 

 遠藤さん、これからも一緒にご飯を食べてくれる?


 遠藤さん、これからもこの握っている手を離さないでいてくれる?


 遠藤さん、ずっと隣にいてくれる?






 どれも叶うはずのない想いが溢れていく。



 体は無意識に動いていた。なんで自分が今動いたのかもそんなことをしたのかもわからなかった。

 

 私は星を見ている彼女を抱き寄せて唇を優しく重ねていた。離したくない熱を離して彼女の顔を真っ直ぐと見る。


 


「遠藤さん、好きだよ」




 ――今、私はなんて言った?


 頬に冷たいものが伝い、今自分のしたことを少しずつ自覚し始める。

  

 もう、自分の感情に嘘をつくことも隠すこともできなくなっていたらしい。

 

 私は遠藤さんのことが好きで、誰にも渡したくなくて、これから先もずっと隣にいてほしい。その想いで私は満たされていた。


 


 遠藤さんは驚いたような困ったような顔をしている。その顔を見て自分の今した行動をひどく後悔した。


 こんな私は気持ち悪いに決まっている。今まで散々ひどいことを遠藤さんにしてきた私が伝えていい言葉じゃない。


  

 急に顔に熱が集まり、私はその場から走って離れていた。


 後ろから遠藤さんが私を呼ぶ声が聞こえたけど、無視して走り続けた。


 

 肺が凍りそうなほど呼吸を繰り返し、無我夢中で走り続ける。私は気がつけば実家のベットの上で沢山の涙を零していた。

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