第117話 大学入試試験

 一月十四日。

 

 失敗する気もテスト中にミスをする気もさらさらない。


 そう思えるくらい勉強をずっとしてきた。ありえないくらいの量の勉強をしてきたつもりだ。


「ふぅ……」


 どんなに努力しても、上手くいかないこともあると高校受験で経験している。


 今回は上手くいかなかったからなにか絶望的なことがあると言う訳では無いが、第一志望校に合格して、自分のしたいことをしたい。



 なにより――。

 


 私は遠藤さんからもらったお守りを無意識に握りしめていた。遠藤さんが余計なことを言って余計なものを渡して来るから変に頼ってしまうのだと思う。ただ、高校受験の時に感じた背筋の凍るような感覚はなく、心がぽかぽかと温かくなっている気がした。

 


「それでは必要なもの以外机の上から片付けてください」



 試験官の号令で会場がガサガサと物を片付ける音で包まれる。空気はかなりピリついていて、ここにいる誰もが獲物を待ち伏せする狼のような雰囲気が出ていた。



 私はお守りにそっと唇を当てて、ポケットにしまう。


 遠藤さんも頑張れ――。



「それでは試験開始!」



 ***

 


「二日間ほんとにおつかれさまぁ」

 

 舞がクタクタになって私の元にやってくる。隣には遠藤さんもいてもっとしなびれた顔をしていた。多分、二人から見て私もそんな顔をしているのだろう。


「二人もおつかれ」


 どうだった? と聞きたいが、とても聞ける雰囲気ではないのでやめた。ここでどうだったか聞いても結果は変わらないだろう。


 

「自己採点怖いねぇ」

「まあ、今なんて言っても結果変わらないし、今くらい楽しもうよ!」

 

 少し元気のない舞に対して、遠藤さんが明るく話しかけていた。そんな遠藤さんに後押しされたのか「そうだね!」と嬉しそうに語って歩いている。私達はお互いに気を使っているのか、たわいもない話ばかりでみんな上の空だったと思う。



「また学校でねー!」

 

 舞が大きく手を振るのを見送って、遠藤さんと横並びでいつもの道を歩いた。

 


「滝沢どうだった?」

「普通」

「さすが。そういう時はいつも学年で一番だったから心配なさそうだね!」

 

 遠藤さんはいつもと明らかに違う。そういう彼女は好きじゃない。私といる時くらい自然体でいて欲しい。いつになったら彼女のその悪い癖は治るのだろうと少し気分が下がってしまう。


「もう、舞いないし無理に明るくしなくていいんじゃない」

「あはは、滝沢にはやっぱりバレちゃうかぁ」


  

 私はいつから遠藤さんが無理していることにすぐに気がつくし、遠藤さんの本当も嘘も見破れるようになってしまったのだろう。遠藤さんは少し苦笑いをしていた。そして、その声は悲しいとも辛いとも違うが、明るい声ではない。


「遠藤さんはどうだったの?」

 

 きっと、今聞くべきではないし遠藤さんを元気付けられるようなことを言えるわけでもないけれど彼女のことを知りたかった。



「自分のできること全部出し切ったよ。ただ、すごく不安。もうやり直しはできないから」

 

 珍しく遠藤さんが深刻な顔をするので、こっちまでその気持ちが移ってしまいそうになる。私も出し切ったけれど、それが必ずいい結果で戻ってくるとは限らないのが試験というものだ。

 

「あ、でもね、これあったから緊張かなり治まったよ」

「そんな効果ないでしょ」

 

 遠藤さんは愛おしそうに私と交換したお守りを見ていた。そんなのになんの効果があるのかと思って、私はいつものように冷たく接してしまう。


「ううん。あるかないかで全然緊張違かったよ?」

「そっか」

「滝沢は緊張しなかった?」

「……」

「あー! 緊張したんだ。珍しいね」

「うるさい」



 遠藤さんからもらったお守りをずっとポケットに入れていたなんて言えなかった。ただ、遠藤さんのお守りのおかげで緊張が収まったことは事実だ。高校受験の時のようにペンを握っている指に信じられないほどの汗が滲んだり、冬なのに背中に変な汗をかいたりするということはなかった。


 

「まだ、終わってないし最後までお互い頑張ろうね。滝沢、約束覚えてる?」

「うん」


 たぶん共通試験が終わったら行きたいところがあるという話だろう。


「その時に滝沢に大切な話がある」

「大切な話? 今じゃだめなの?」

「うん――」


 さっきまでの暗い雰囲気とはまた違うがとても深刻そうな顔をしていた。大切な話とはなんだろう。なぜ今じゃだめなのだろう。ただ、遠藤さんはそれ以上は聞いて欲しくないという顔をしていたので、私は「わかった」とだけ伝えてそのまま道を進んだ。


 遠藤さんの家の前まで来て別れ際にぎゅっと腕を掴まれる。

 


「滝沢、キスして」

「へ?」

「だめ?」

「ここ外」

「じゃあ家の中入って」


 私は腕を強く掴まれ、遠藤さんの家の玄関に引き込まれた。いつもの優しく明るい彼女はここにはいなくて、真剣な顔で私の腕を掴む力は強く、掴まれている部分がドクドクと音を鳴らす。



「なんでしなきゃいけないの……」

「――もうできなくなるかもだから」

「どういうこと?」

「いいからしてよ」


 いつも急に意味のわからないことを言い出す遠藤さんだが、今日はもっと訳が分からないと思う。もしかして、テストの手応えが想像よりも悪くて志望している大学に行けないことを不安に感じているのだろうか。確かに遠藤さんが落ちて私が受かれば私たちは離れ離れになってしまうだろう。それは嫌だ。しかし、結果が出ていない今、それを議論しても意味がないと思う。



「受験のことならこれからいくらでも挽回できるから一緒に頑張ろ?」

「それもそうだけど、そうじゃない。滝沢ってほんとに馬鹿だよね」


 馬鹿……? 今の私の発言のどこに馬鹿な要素があったのだろう。私が考え事をしているとそっと抱き寄せられて彼女の柔らかい唇があたる。


 こんなことは今まで何回もした。

 

 なのに顔に熱が集まり、どこにあるか分からなかった心臓が今はどこにあるのかしっかりわかるほど激しく動いている。


 離れようとしても遠藤さんが離してくれない。いや……私が離れたくなかったのかもしれない。


 私がそっと目を開けるのと同時に彼女との距離が離れた。


 遠藤さんは少しだけ寂しい顔をしていて、どうしてそんな顔をするのか私にはわからなかった。



「また勉強教えてくれる?」

「もちろん」

「なにがあっても?」

「うん……? 一緒に頑張ろう。私もできることはする」

「ありがとう」


 少しだけ表情の晴れた遠藤さんにぎゅっと抱きしめられる。そっと背中を撫でると力の入っていた体からは力が抜けていた。


 私はその場に居る理由もなかったので、様子のおかしい遠藤さんを残して家を出た。

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