第113話 年越し ⑴

 十二月三十一日。


 毎年この日は一人の日。

 

 慣れたはずなのに、慣れない自分がどこかにいる。

 

 街はほとんど人がいなくて、どこの家も明かりが灯っていて、聞こえるはずのない話し声や楽しそうな声が聞こえる気がする。


 やはり、外を歩くのは間違えていたかもしれない。


 私の大切な公園でブランコに乗りゆらゆらと揺れる。

 

 当たり前だが公園にも人一人いない。

 

 滝沢から貰ったマフラーをぎゅっと握りしめる。


 クリスマス会以降、滝沢には会っていない。あの日、彼女と良くない雰囲気で終わってしまったことを後悔している。

 

 たったの五日会っていないだけなのにひと月くらい会っていない気分になっていた。


 

「年越しなんてなくなればいいのになぁー」


 今年も年越しそばは買っていない。毎年、この日は十時くらいに寝て次の日もゆっくり起きて、気が向けば初詣に行くのだ。


 世の中は実家に帰る人が多く、祖父母、両親や兄弟とたちと過ごす人がほとんどだろう。私も祖父母の家に帰るという選択肢もあったが、祖父母は私にだいぶ気を遣ってくれるので逆に息苦しくなってしまう。


 

 私はブランコからひょいと降りて、家に帰ることにした。


 家に着いて、お風呂から上がってもまだ九時になっていなくて、寝るのには少し早すぎる。


 何もすることがないので部屋で勉強しようと二階に上がる。誰もいないこの家で私の階段を上がる足音だけが聞こえる。いつものことが大袈裟に感じられてしまい、より私の気分を沈めてくる。

 

 勉強のために机に向かうもののやはり気分が乗らず、ベットに寄りかかった。

 


「滝沢なにしてるのかな……」


 滝沢は家族と色々ある。

 少しは改善したらしいが詳しくはわからない。

 

 滝沢は毎年どんな年越しを過していたのだろう。

 

 今までの状況を聞く限り、家族と楽しそうに過ごしているのは想像ができない。別に不幸であって欲しいわけじゃないけど、滝沢も私と似たような気持ちで年越ししてるのかな、なんて思った。


 

 私は暇になれば常に滝沢のことを考えている。

 

 考えないようにしても油断するとすぐ彼女がひょこひょこと現れるのだ。


 

「はぁ……だめだ。勉強しないと……」


 そう思ってシャーペンを持つものの、ペンは重りが付いたのかと思うくらい重くて動かない。



 ぼーっと天井を眺めていると急にスマホの着信が鳴った。

 

 こんな時に誰だ……?


 舞はこんな時にかけてくるようなタイプでは無いし、二年生まで仲の良かった友達も今更連絡してくるわけがない。


 重い腰を上げてスマホを見ると、そこには信じられない文字が並んでいた。


「滝沢?!」



 なんで電話?


 こんな日になにか急用? 

 なんで? 

 なんで?


 たくさんの疑問が出てくるが、切れる前に早く出ないと、と思い何も考えずスマホを耳に当てる。



「もしもし……どうしたの?」

 

 もしかしたら何か悪い知らせがあるのかもしれないと思い恐る恐る出る。


「遠藤さん、今暇?」

「う、うん……」

「何してたの?」

「勉強しようかなーって思ってたけど集中できなくて」

「なんで?」


 年越しというイベントに引きずられ寂しくなって、滝沢のこと考えてたからなんて言えない。ただ、滝沢の声が聞こえて少しだけ憂鬱な気持ちが晴れた気がした。


「滝沢に会いたいなーって考えてたら、勉強どうでもよくなった」

「馬鹿じゃないの」


 そんな何気ない会話が今は幸せで、少しでもこの時間を引き伸ばしたいと話題を考える。普段おしゃべりな私はこういう時に限って言葉が出てこなくて焦り始める。

 


 そういえば、先程から外から声が聞こえる。

 

 こんな日に外に出ている人なんて全然いないのに珍しいと思い、カーテンから外を少し覗いて見た。


 

 頭の中でどくどくと音がする。

 

 なんで……?


 

「見つかっちゃった――」

 

 おどけてみせる滝沢と目が合う。

 

 なんで……?


 

「滝沢……?」

「会いたかったんじゃないの?」

 

 声が少し不機嫌そうになり、ハッとする。


 私は電話も切らずスマホをベットに投げ捨て、一階に駆け下りる。

 

 玄関の扉を開けると、目の前に滝沢が居た。

 

 会いたかった人が目の前にいて、思わず抱きついてしまう。滝沢の体は少し冷たくなっていて、いつから外に居たのだろうと心配になった。


 

「遠藤さん苦しい」

 

 私とおそろいのマフラーを巻く、少し苦しそうな滝沢が目の前にいる。寒いので中に案内してから話すべきなのだろうけど、気になって聞かずには居られなかった。


 

「滝沢なんで……?」

「たまには、年越しそば食べたいなって思った。家では家族の邪魔になって、そば作れないから遠藤さんの家のキッチン借りに来た。遠藤さんも一緒食べよ?」


 

 外は雪が降りそうなくらい寒いのに、私の体の芯はじんじんと熱を帯びている。


 

「中、入っていい?」

「うん」


 滝沢を家の中に案内すると彼女は玄関で靴を脱ぎながら話し始めた。

 

「遠藤さんのお父さんとお母さんにも買ってきた」

 

 そう言って、滝沢は洗面所で手を洗うとそのまま仏壇に向かう。蕎麦をお供えして、手を合わせていた。

 


 私の心臓は鳴り止まないらしい。

 


「よし、十二時までまだ時間あるし勉強し……」

 

 滝沢が立ちながら話しているけれど、もうそんな言葉は関係なかった。父と母の前で、私は彼女を抱き締めてしまう。


 

「遠藤さん……?」

 

 お父さん、お母さんごめんなさい。


 

「滝沢、会いたかった――」

 

 もう、気持ちを抑えられなかった。

 そのまま滝沢の唇を奪ってしまう。


 私は最低だ。


 滝沢はこうやって私の家族のために行動してくれるのに、私は彼女の意思や意見を丸無視だ。


 

「遠藤さん、ここお父さんとお母さんの前でしょ。ばか……」


 滝沢に最低なことをした私は腕を引かれ、リビングへ移動する。



「遠藤さんどうしたの。今日なんか変だよ」

 

 滝沢は冷蔵庫に買ってきたそばを閉まっていた。


 高ぶった私の気持ちは彼女に触れることで少し落ち着き、自分の咄嗟に取った行動を反省する。


「ごめん。まさか、会えると思ってなくて……今日は一人の日だから……」


 滝沢は俯いてしまった私をソファーへ優しく座らせてくれる。テレビを付けてくれてそのまま私の隣に座ってきた。


 

「……私も毎年一人だったよ。家の中に人はいるけど部屋に籠ってたから」



 テレビは年末限定の番組が流れている。

 滝沢はテレビを真っ直ぐ見ていた。

 不器用だけど、滝沢なりに励ましてくれているのだろう。

 


 彼女の肩に寄りかかり、私に近い手を勝手に握る。


「勝手にそういうことしないで」

「滝沢が優しくするから悪い」

「優しくないし、私悪くない」

「じゃあ、滝沢の言うこと聞くから今は許して欲しい」

「別に今なにかして欲しいことない」


 滝沢の声のトーンが明らかに低くなっている。

 私は諦めて、滝沢から手を離した。


 肩に寄りかかるのは怒られなかったので、そのまま滝沢の近くにいることにした。



「この番組って私が小学生の時からあるけど、今も変わらず面白いんだね」

「うん」

「滝沢、今日何してた」

「勉強」

「なんで来てくれたの」

「さっきも言った」

「そば食べたかったの?」

「うん」


 滝沢らしい理由で声を漏らして笑ってしまった。


「馬鹿にするなら帰る」

「私もそば食べたいな。しばらく年越しそば食べてないから」


 そういうと、滝沢は大人しく隣に居てくれた。しばらく会っていないせいなのかもっと彼女と話したいという欲望が溢れてしまう。

 


「どこのそば買ってきたの?」

「日中、商店街歩いてたら蕎麦屋のおばあちゃんに声かけられてそこで買ってきた」

「あれ、今日勉強してたんじゃないの?」

 

 滝沢が黙ってしまった。また不機嫌にしてしまったかもしれないと焦って話を戻すことにした。

 

 

「その蕎麦ってもしかして鶴田蕎麦屋さん?」

「そうそう、遠藤さん知ってるの?」

 

 そこは私の家族が大好きだった蕎麦屋さんだ。

 月一回は食べに行っていたくらい好きだった蕎麦屋。年越しそばも必ずそこの蕎麦屋さんにお願いしていた。

 

 両親が亡くなってから全然食べていないし、仲の良かった蕎麦屋さんのおばちゃんにも会っていない。

 


 世の中ってどこで繋がっているかわからない――。


「そこの蕎麦屋限定のカップ蕎麦作ったから試作でくれた」

「滝沢さっき仏壇に置いてたやつ?」

「うん」


 お父さんとお母さんに年越しそばをお供えしようなんて当たり前なことを私は今までしてこなかった。自分のことでいっぱいいっぱいで、今日という日をひとりで過ごす寂しさとばかり戦っていたのだ。

 

 滝沢は心が温かくて、誰よりも優しい。

 

 そんな滝沢に今日も救われる。

 

 彼女はいつでも寂しくて暗闇の中に居る私を引っ張り出してくれる。そして、私だけではなく、私の家族にも優しい。


 なんて素敵な人なんだろう――。

 


「お父さんとお母さんここの蕎麦好きだったからめっちゃ喜んでくれると思う」

「遠藤さんは?」

「え?」

「遠藤さんさんはそこの蕎麦好きなの?」

「私もすごい好きだった。優しい味がするんだよね」

「そっか」

「今度一緒に食べに行こう?」

 

 きっと一人で行けとかそういう約束はしないと言われるのだろう。


「気が向いたらね」

「えっ……」

 


 滝沢はまたテレビを見始めた。こっちは向いてくれなさそうだ。

 

 なんでこういう日に限って滝沢は優しいのだろう。なんでこういう日に冷たくしてくれないのだろう。

 

 滝沢に触れている肩がじんじんと熱くて時間が過ぎるのが長く感じた。

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