第110話 勉強三昧 ⑴

 受験期ということもあり、時間はあっという間に流れる。あっという間に遠藤さんと約束の日になった。


 遠藤さんは朝八時から勉強を始めたいと言っていたので、少し早めにと心がけたら二十分前に家の前に着いていた。


 やってしまった。


 これでは楽しみみたいで恥ずかしい……。


 いつもの公園で時間を潰そうと移動しようとした時、タイミングよく家の扉が開いた。

 


 「滝沢? もうついたの?」


 今すぐに走って逃げ出したい気分だ。


 楽しみだったの? なんてからかわれたら、穴に潜りたくなるくらい気分は最悪だった。


「ごめん、足りない食材あって、走って買い出し行こうと思ってたんだ。家で待ってていいよ」

「……。一緒に行く」


 私は遠藤さんの横に並んでスーパーの方に足を向ける。今日も遠藤さんの作るご飯が食べれるので、買い出しの荷物持ちくらいはしようと思った。


 遠藤さんは部屋着にコートを羽織っただけで少し寒そうだった。

 

「くしゅん――」

 

 予想どうり、体を冷やしてくしゃみをしている。

 

「遠藤さんってあほだよね」

「滝沢、私のこといつもあほあほって……」

 

 なんか文句を言っているけど、気にせず、私のマフラーを巻いて口を覆った。遠藤さんは間抜けな顔をして私を見つめている。


「受験期なのに風邪引いて、風邪移されたら困る」

 

 私は手袋もしているし、厚手のコートも来ているので、マフラーが無くなったくらいでは寒くならないと思い、遠藤さんにマフラーを巻いた。


 

「滝沢寒くないの……」

「私は歩いてきたから、ちょうどいい」

 

 そのまま歩き出した。


 彼女がしばらく黙るので様子を見てみると顔が赤い。冷たい風が当たって、冷えて顔が赤くなったのだろう。厚着をしてきてよかったと思った。


 

「滝沢っていい匂いだよね」

 

 遠藤さんが巻いたマフラーをぎゅっと鼻に押し当てている。

 

「変なことするなら返して」

「やだ」

「じゃあ、普通にしてて」


 そういうとコクリと頷いたが、マフラーをぎゅっと掴む手はマフラーから離れなかった。


 スーパーの中は暖房が効いていて暖かい。これなら遠藤さんが風邪を引くことは何とか間逃れそうだと安心して私は買い物を進める。


 

 毎度のことだが、遠藤さんはいつも買い物の時、楽しそうだ。考え込んだり、ひらめいたりあっちこっちと振り回される。普通ならそれが疲れるはずなのだけれど、今は嬉しいと思うようになった。

 


「今日のメニューなんだと思う?」

「遠藤さんじゃないから分からない」

「えー、つまんない。なんでもいいから答えてよ」

 

 質問してきた彼女はとても楽しそうだが、そんなの私がわかるわけがない。しかし、遠藤さんはの時の顔をしているので考えてあげなければいけないらしい。

 

 カゴの中に入った食材たちを見るが、料理に疎い私はその材料を見ても全く何も思い浮かばなかった。


 

「じゃあ、カレーで」

「適当すぎでしょ」

 

 こんなつまらない会話なのに遠藤さんはすごく楽しそうに話す。彼女はこんな適当な返しなのにとても笑顔だった。

 

 遠藤さんの笑顔は素敵だ。


 前は愛想笑いとか作ったように笑っていたが、今は表情が柔らかく自然体だ。そうなったことに私も嬉しくて笑顔になってしまう。


 

「滝沢、いつも荷物持ってくれてありがとう」

「作ってもらってるからこんなの普通でしょ」


 別にお礼を言われることはしていない。


 そんなことにいちいちお礼を言う遠藤さんは律儀で、馬鹿な人間だと思う。しかし、そんな彼女を見て、私もそれくらい素直に人に思っていることを言える人間になりたいと思った。



 私たちは無事買い物を終え、家に着いてすぐに勉強を始める。

 


「遠藤さん、この間の模試どうだった?」


 遠藤さんは私と同じ県の大学に行き、大学生になっても会ってくれると約束した。彼女の言葉を信じている訳ではないが、そうなったらいいなと思う自分はいるらしい。

 


「頑張ってるけどやっぱり結構ギリギリかなぁ」

 

 遠藤さんの声が少し暗くなり、そこから会話はなくなった。これ以上何かを話したら険悪な空気を作ってしまいそうだったので、私も勉強に集中することにする。

 

 遠藤さんのペンの走る音が心地いい。


 隣を見ると真剣な顔でノートに何かを書き込んでいる。そんな遠藤さんを見れるのもあと少しなのかと思うと少しだけ寂しさが込み上げてきた。



 

 

「はぁぁぁあ…」


 大きなため息とともに遠藤さんが背伸びをする。集中すると時間はあっという間で、かれこれ三時間近く集中していた。


 

 背伸びから普通に戻った遠藤さんはなにやら重い雰囲気を出して話しをしてくる。

 

「滝沢……」

「ん?」

「私、最近怖いんだ。受験失敗するんじゃないかなって……」


 遠藤さんは信じられないくらい深刻な顔をしていた。そんな彼女は初めて見たので少し驚きを隠せなかった。私は励ますつもりで彼女に声をかける。

 

「遠藤さんに怖いものとかあるんだ」

「私のこと馬鹿にしてるでしょ」

「いや、褒めてるよ」

 

 遠藤さんは羨ましいくらいなんでも出来る。


 勉強だって、短期間で信じられないくらい成績が伸びている。だから、そのまま自信を持てば大丈夫だと思っていた。


「遠藤さんの行きたいところに行って欲しいけど、落ちたとしても落ち込むことも怖いこともないよ」

「なんでそう思うの……?」


 なんでか……。



「私も高校受験の時、信じられないくらい不安だったし親の期待に答えなきゃって怖かった。結局、受験失敗して、今の高校に入ることになった」

「うん……」

「でも、今の高校で良かったなって今なら思うよ」

「なんで?」


 遠藤さんと出会えたから――。


 なんて言えたら、私の気持ちはもう少し軽くなるだろうか。遠藤さんと出会って、私の絶望していた人生は変わった。家族との崩れた関係もまだ修復はしていないかもしれないが、崩壊は間逃れた。

 

 そして、何をしていても楽しくなかった人生が少しだけ楽しくて幸せだと感じた。

 

 遠藤さんに感謝を沢山伝えたい。

 

 それなのに、ありがとうの一言すら私は素直に言えない。

 

 言えない気持ちが重みをまして私の心にのしかかる。




「どんなに怖くても、不安でも、どんな結果になっても、それが自分にとって最善の道だったんだっていつか思えるんじゃないかな。少なくとも私はそうだったよ」

 

 遠藤さんの頭をぽんぽんと優しく撫でる。


 弱音を吐いたところなんて見たこと無かったから、珍しいと思い、少し励ましたくなった。


 

「滝沢に頭撫でられたから頑張る……」


 なんだその理由はと思ったけれど、彼女の顔に少し明るさが戻ったからいいかなと思った。



 私たちは信じられないくらい長い時間勉強に集中した。

 

 夕飯の時間も近くなり遠藤さんがご飯の準備を始めようとする。私も何か出来ることがないかと動かずにはいられなかった。


「私、野菜くらいなら切れるよ」

「いいよいいよ、ゆっくりしてて?」

「一人暮らしするから、練習しておきたいんだけど」

「……危なかったらすぐ辞めさせるからね?」

 

 遠藤さんは不満そうだが、手伝うことを許してくれた。


 私は遠藤さんの指示通りに野菜を切る。


 まだまだスピードは遅いし不器用だけど、前よりはましになったと思う。


 玉ねぎ、ピーマン、人参を乱切りにする。


 遠藤さんが後は味付けをすると言っていたので、箸やコップの準備を始めることにした。

 

 食器棚を見ると、私があげたコップ達が目に入る。

 

 自分でそれを食卓に並べるのはなんか気が引けたので奥のコップを取ろうとすると遠藤さんが後ろから体を密着させてきた。

 

 急な出来事に心臓が飛び跳ねそうになる。

 

「これ使お?」

「わかったから離れて」

 

 遠藤さんはいつも急にくっついてくるのでびっくりすることが多い。

 

「離れたくないって言ったら?」

 

 遠藤さんは私にくっついたまま、いたずらっぽい顔で聞いてくる。

 

「コップ割る」

「それは絶対にいや」

 

 遠藤さんは自分でコップを二つ取って机に並べていた。


 遠藤さんのコップは白色でだるそうに寝転んでいるシロクマが描かれている。

 私のコップには薄い青色にバンザイをしているシロクマが描かれている。

 


「何回みてもかわいいよねぇ……」

 

 遠藤さんは口元を弛めながらそんなことを言っている。どうやら、かなり気に入ってくれたようだ。



「あ、仕上げてくるね!」

 

 遠藤さんはパタパタと急いで台所に戻った。


 台所からはとてもいい匂いがする。彼女が持ってきた料理に私は目を丸くしてしまった。


「これって……」

「滝沢が食べたいって言ったから練習してたんだ」


 遠藤さんがドヤ顔でそう答える。

 まさか、本当に覚えているとは思わなかった。


 唾をゴクリと飲む。


 ホカホカと煙をあげている酢豚に箸を伸ばした。



「あ……」


 酢豚に気を引かれていて忘れていた……。私は急いで箸を置き、手を合わせた。


「いただきます」

 

 そう言って酢豚を口に運んだ。



 やっぱり遠藤さんってすごい――。

 

 この料理を初めて食べた時、遠藤さんの作ったのはどんな感じになるのかなとか想像してたけど、想像以上においしかった。

 

 ご飯が次々と進む。


 ほくほくと口の中に旨みが広がり、もっと欲しくなる。



「急がなくても沢山あるのに」

 

 遠藤さんが呆れているようにも見えたが今の私には関係ない。


 彼女は練習したと言っていたが、私が食べたいなんて言ったためだろうか?


 遠藤さんはいつも優しく、私のわがままを聞いてくれる。だから、甘えすぎないように気をつけなければいけないのに、いつも最後は甘えてしまう。だから、自分の思っている気持ちくらいは伝えたい。



「遠藤さん……」

「どうしたの?」

「あ、ありがとう……」

 

 恥ずかしくて遠藤さんの顔を見れなかった。

 今の私にはお礼を言うのが精一杯だった。


「どういたしまして」


 その声はとても柔らかく、私の恥ずかしい気持ちごと包み込んでくれた。

 

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