第106話 私の誕生日 ⑶
「滝沢、今日は色々ありがとね」
空が真っ赤な夕日に染まる中、滝沢の横を歩きながら伝える。
「別に何もしてない」
滝沢はいつもの顔に戻っていた。
今日は彼女の優しさに甘えて、かなりわがままを言ってしまった。嫌われていないか急に心配になり始める。
電車に揺られて家までの帰り道を歩く頃には辺りは暗くなっていた。
「遠藤さん、苦手な食べ物ある?」
「私? 何も無いけど?」
「そっか」
家に着くと、私はリビングの椅子に座らせられた。滝沢を見ると何やら難しい顔をしている。
「ご飯作らないと」
「今日は私が作る」
「え?」
「いいから、黙ってここで座ってて」
滝沢がご飯を作る?
何かの間違いではないだろうかと考えていると、台所から野菜を斬る音が聞こえてくる。
前に滝沢に野菜を切らせた時、危なかったこと思い出し、不安でいてもたってもいられなくなった。
そんな私に気がついた滝沢はひょこっと台所から顔を出し、こちらを睨んでいる。
「遠藤さん、今こっち来たら絶交だから」
そう言われると、私は座るしかなくなる。
絶好だけは嫌だ。
不安なこともあったのか、それなりの時間が経ったと思った頃にカレーの匂いがし始める。
朝、冷蔵庫を借りたいと言った理由がここに来て初めて分かった。確かリュックもパンパンだった。
滝沢って料理作れたのだろうか?
いや、あんなに野菜を切ることすら下手くそな滝沢が急に作れるわけもない。指の絆創膏は練習の時に切ったためにできた傷なのだろうか……。
思い出してみると、滝沢は最近ずっと変だった。
この日のために準備をしていてくれた?
いやまさか、私のためにそんな頑張るわけがない。
そんな私の悩みを吹き飛ばすようなカレーがテーブルに出てきた。
「簡単なのでごめん。遠藤さんみたいなの作れない」
滝沢は出したカレーばかり見て私の顔なんか見てくれない。
「早く食べたい」
「おいしくないと思う」
「いいから早く食べよ」
私は滝沢の作ったカレーライスを口に運ぶ。
ただのカレーライスだ。
それなのに、なんでこんなにも心が温かくなるのだろう。目が熱くなり、泣いてしまわないようにグッとこらえる。
誰かの作った料理を食べたのはいつ以来だろう。
「おいしい」
「カレーなんて誰が作っても同じでしょ」
「滝沢が作ってくれたからもっとおいしくなった」
「そう」
先程までの滝沢はどこに行ってしまったのかと思うほど冷たい。たぶん、それは照れ隠しだったのだと滝沢の顔を見たらわかった。
「滝沢、照れてるでしょ。ほっぺ赤いよー」
滝沢のほっぺをつんつんしていると、その指をぐっと掴まれる。
「痛い」
「自業自得でしょ」
腐っても何をしても取っておきたいカレーは残念ながら全て食べ終わり、片付けをした。
先程から隣に滝沢がずっと立っていて下を向いている。何がしたいのか分からなくて彼女を見つめてしまった。
「遠藤さん……」
「ん?」
滝沢は顔を上げてすごい困った顔でこちらを見てくる。
何か困り事でもあるのだろうか?
「どうしたの?」
「……なんでもない。お風呂入る」
バタバタと急いでお風呂に入ってしまった。
私は一段落して部屋に戻ると、滝沢のしぼんだリュックが目に入る。
そのバックは私が滝沢の誕生日にあげたリュックで、私が見る限り毎日使ってくれている。私のあげたものが大切にされていて微笑ましく思う。
朝は食材を詰めていたのかと思うと愛おしくなり、そっとリュックを抱きしめていた。
滝沢が帰ってくる前にベットに置いている黄色いハンカチをしまう。さすがに気持ち悪いと思われたくないので、滝沢が来る時はいつも隠している。
受験勉強の冊子を読んでいると、滝沢が戻ってきたので、入れ替えで私はお風呂に向かった。
今日は色々なことが沢山あって一週間分くらい過ごした気分だ。今日が土曜日で良かったと思う。
明日は一日ゆっくり出来そうだ。
水族館では、あの滝沢がずっと私に合わせていてくれた。いつもなら嫌だということも、付き合ってくれた。
それに甘えて私もいろいろわがままを言ってしまったと思う。
今日、お墓参りに滝沢を連れて行ったのは正解だった。お父さんとお母さんに滝沢を会わせて良かったと思う。
二人は滝沢のことどう思っただろうか。もし、滝沢が二人に会ったら、滝沢はどういう会話をするのだろう。
緊張で挙動不審になっていそうだ。案外普通に話していたりするのだろうか。見ることの出来ない微笑ましい光景が浮かんでしまう。
「今日の滝沢優しかったなぁ……いつもあれくらい素直で優しいといいんだけど」
ぶくぶくとお風呂に顔を沈める。
イルカショーの時、私は滝沢に触れたいという気持ちをあんな大勢の人がいる前でを抑えられなかった。
二人きりになったらもっと抑えられるかなんて分からない。
寝る時も滝沢が一緒に居てくれることは幸せだが、不安も大きくなっていた。
お風呂から上がり、部屋に向かうと滝沢が正座をして待っていった。
「そんなかしこまってどうしたの?」
「こっちきて」
私はなんだろうと思いながらも滝沢の隣に座った。
滝沢の指示に従ったのに何も言われず時計の針の音のみが流れる。
なにか悪いことをしてしまったのだろうか?
「…………遠藤さん」
「ん?」
「……た」
「た?」
「誕生日おめでとう――」
その言葉に驚き過ぎて私の体はコンクリートで塗り固められたのかと思うくらい動かなくなってしまう。
滝沢を見ると体育座りをして膝と膝の間に顔を埋めているが、顔や耳は真っ赤なことが分かる。それ見た瞬間、私の頬にも熱が集まるのがわかった。
その熱は直ぐに全体に広がり、耳がジンジンと熱い。
滝沢は今日が私の誕生日だと知っていて私の行きたいところについてきてくれたのか?
カレーライスを練習して作ってくれたのか?
ずっと優しかったのか?
今日の滝沢の行動が全てそれに繋がると思うと、たまたま優しい日だったのではなく、私のためにそうしていたのだと感じてしまう。
嬉しい……。
嬉しいけれど、それは私を勘違いさせる。
滝沢は優しいからそういうことをしてくれるのだろう。たぶん、私が滝沢の誕生日を祝ったからそのお礼とかなのだと思う。
ただ、その理由が何でも滝沢が私のために行動してくれたことが何より嬉しかった。
「これ、あげる」
「滝沢からプレゼント……?」
「いらないなら、捨てとくから」
自分の頭の中では処理しきれない感情がぶつかり合い、まともに話せなくなってしまう。
滝沢はそんな私の手にあるプレゼントを容赦なく没収しようとするので、死守しようと揉み合いになり、滝沢を床に押し倒してしまった。
「ごめん。痛かったよね」
「うん。早くどけて」
直ぐにどければ良かったのだろうけど、そうしたくなかった。
滝沢の顔が近い。
私の心臓はそれだけでこんなにも簡単に壊れそうになる。
私がしようとしていたことが分かったのか滝沢が私の口を手で塞いできた。
「変なことしないで」
滝沢にグイグイとお腹を押されたので、諦めて避けることにした。
「開けていい?」
「だめ」
「やだ、あける」
丁寧にテープを剥がして、箱の包装を剥がし、蓋を開ける。
中には薄い青と白のマグカップが二つ入っていた。絵柄はゆるい感じのシロクマの絵で、仰向けに寝転んでいるのと両手をバンザイしているシロクマたちだ。
「遠藤さんの好きな物って全然わからなくて。シロクマしか思い浮かばなかった。だから、いらなかったら捨てていいから」
シロクマがどうとか、私が好きなものがどうとか今はどうでもよかった。
「なんで二つ?」
「……」
滝沢は黙ってしまう。なんで二つなのかわからない。私がシロクマが好きだから多く買おうと思ったのか? 予備? 理由がわからなくてモヤモヤとする。
「大学生なったら、また遠藤さんの家にご飯食べに行くから……遠藤さんが大学生になっても一緒に居るって言ったくれたから……」
滝沢は相変わらず顔を隠しながら話している。滝沢にしては珍しく何を言っているのか訳の分からない言葉になっていた。
「これって、私たちが使うマグカップってこと――?」
滝沢は答えてくれない。けれど、違うとも言わない。
胸が熱くなり、自分の中で抑えられないものが次々と溢れ出る。
「やっぱり返して。そういう約束しないって私が言ったんだった」
「絶対に嫌だから」
私が頑なにマグカップを抱えていると、滝沢は電気を消して、私のベットに潜ってしまう。
「もう寝る。遠藤さん床で寝て。おやすみ」
芋虫みたいに布団に潜る滝沢は今どんな顔をしているんだろう。
今、滝沢に触れたらたぶん自分を止めることは出来ないだろう。
わかっている。
このマグカップの約束も無かったことになるくらいのことをしてしまう気がする。
ただ、彼女に触れられずにはいられなかった。
滝沢の潜っている布団を剥がす。
電気を暗くしたはずなのに、今日は満月に近いからなのか外が明るいせいで滝沢の顔が良く見える。
滝沢は今日一日ずっと頑張っていてくれた。あんなに他人に合わせることが嫌いで、ずっと塞ぎ込んでいた彼女がだ。
しかも、その理由が私の誕生日の為だと思うと嬉しくなり、少し調子に乗ってしまう。
滝沢の手を握り、彼女の頬にもう片方の手を添えて唇を重ねる。滝沢の柔らかい唇を舌で撫でるように優しく触れると滝沢もそれに返してくれるかのように口を開けて唇よりも熱くて柔らかいものが私の舌と交わる。
滝沢が悪い。
そんなことをされたら、私はもっと止まらなくなってしまう。
彼女の首や鎖骨に唇を当てる。
滝沢の髪の毛や服からは彼女の優しい匂いがして私の頭はもっとクラクラとする。風邪をひいた時に似たような感覚のそれは、私の理性を遠慮なく溶かしていく。
滝沢の耳に優しくキスを落とす。
「滝沢、ありがとう。大学生なっても一緒に居よう」
そのまま、彼女の耳の上を舌が這う。そうすると、繋いでいた滝沢の手に力が入った。そういう些細な行動が私の理性をドロドロと溶かしていくのだ。
滝沢の全てがほしい。
滝沢は好きな人が出来たことも恋人ができたこともないと言っていた。
だったら今、全てを奪ってしまいたい。
滝沢の初めてを……全てを……。
嫌われてしまうかもしれないけれど、彼女の記憶にずっと残るように私という存在を植え付けてしまいたい。
滝沢の唇をもう一度塞ぐ。
普段ならこんなことした時点で蹴られたりして止められるのに、今日の滝沢は許してくれる。
滝沢の脇腹に手を伸ばして服をめくる。
細くて手触りのいいお腹にぴたりと手を置くと滝沢がびくんと体を動かしているのがわかった。
そのまま上に手を滑らせると舌を思いっきり噛まれて、痛くて、反射的に体を離した。
滝沢の息が苦しそうに上がっていることにそこで初めてわかり、自分が最低なことをしようとしていたことに気がつく。
「こういうことは好きな人とするんでしょ」
「好きじゃなくてもするよ」
「じゃあ、遠藤さんは好きじゃない人とするの?」
私は何も言えなくなってしまった。
ここでそうじゃない。
滝沢のことが好きだからしたいと伝えてしても彼女には伝わらないだろう。
今の状況ではただそういうことをしたいから、その場限りの嘘をついているように思われてもおかしくない。
しかし、ここで引き下がれば私がただそういうことをしたかった人のように思われそうで嫌だと思った。
「じゃあ、滝沢は誰とでもキスできるの?」
「しないよ」
「じゃあ、なんで私の時は拒否らないの。叩いても蹴ってでもいいから拒否ってよ」
滝沢が拒否らないのが悪い……。
そのせいで、私の感情はいつも宙ぶらりんになる。
「なんで、私とはキスしてくれるの……滝沢からしたことだってあるし……なんでよ……」
「…………」
滝沢は黙ったまますごく辛そうな顔をしていた。
私は自分の好きな人にこんな辛い顔をさせてしまったのか……。
今日一日、滝沢は私のためにずっと頑張っていてくれた。
私は楽しい時間を幸せな時間を沢山貰った。
なのに私は……。
「ごめん。もう何もしないから、今はそばにいさせて欲しい」
そう言って、滝沢を抱き締めた。
自分のしたことが最低だと自覚すると胸がズキズキと痛む。
滝沢に嫌われてもおかしくないことをした。
冷静に考えれば滝沢のそばにいれなくなる方が私にとって何よりも辛いことだ。
両想いになれなくたっていいじゃないか。
滝沢の隣に居れればそれでいい。
…………
ほんとにそうか?
滝沢に愛する人ができて、私はそれを笑顔で見送れるだろうか……。
そう考えた途端に寒い日でもないのに体は急に冷たくなり始める。体は冷たくなっていくのと同時に震え始める。
そんな私の背中を滝沢はさすってくれた。
「遠藤さん……」
彼女の声はどこか不安そうで、私を心配する声だった。私が悪いのに私が悲しんでいてどうするんだ。
「ごめん」
「大丈夫」
滝沢は私の頭を撫でてくれる。
私より小さい体なのに、その心は私よりも大きくていつも優しく包み込んでくれる。
震えが治まるまで彼女はずっと私の背中をさすってくれた。
「遠藤さん、今日楽しかった?」
「うん。今まで生きてきた中で一番幸せな誕生日だった。両親に伝えてきたんだ。『私を産んでくれてありがとう』って。生きててよかったと思ったよ」
「大袈裟だよ」
「大袈裟じゃないよ、ほんとだよ。私、滝沢と一緒にいたいから受験勉強頑張るね」
「違うよ。やりたいことあるんでしょ。そのために頑張るんだよ」
滝沢にもっともな事を言われてしまう。
「そうだね。頑張る」
私はそのまま滝沢に身を寄せた。滝沢の優しい匂いがしてふわふわと睡魔が襲ってくる。
滝沢が私と手を繋いでくれている。
滝沢からキスをしてくれる。
「なんでそんな不思議そうな顔をしているの?」と聞かれるので、「滝沢からしてくれるのが珍しい」と答えると彼女の方が不思議そうな顔をしていた。
「陽菜と私は付き合ってるのに何を言ってるの?」と不思議そうだけどどこか笑顔でそう言われた。
ああ……自分に都合のいい夢を見ているのだとそこで気がつく。
夢でならどれだけ自分の想いを伝えてもいいだろう。
「星空、好きだよ……」
この夢がずっと覚めなければいいと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます