第107話 渦巻き
ベットの上でかれこれ三時間くらい考えている。
スマホの検索履歴は〈誰でも作れる料理〉や〈不器用な人でもおいしく仕上がる料理〉だ。
「はぁ……」
私は家を出てスーパーに目的のものを買いに行く。にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、豚肉、カレーのルー……
こんなことは本当に私らしくないと思う。しかし、私もなにか遠藤さんに出来ることがしたかった。
食材を買って来たはいいものの、自分の家の台所を堂々と使えるわけもなく、部屋で食材とずっとにらめっこしている。
どんなに睨んでもこの状況が変わることはない。
私は野菜たちとのにらめっこに負けて、一階にゆっくりと降りることにした。リビングにも台所にも人影は感じないので勇気をもって食材たちをシンクに運ぶ。
スマホで何回も野菜の切り方や調理方法は見たのでイメージトレーニングはばっちりだ。しかし、イメージトレーニングではどうしてもうまくいかないらしい。
野菜を切るどころか、皮を剥くことすらもできない不器用な人間だった。自分の手からじゃがいもがスルッと抜け出し、シンクの中をとんとんとバウンドする。
こんなこともできない自分に嫌気が差し、この場にすべて残して立ち去りたくなった。
「なにしてるの……?」
この場から離れようと思った瞬間に声が聞こえ、その場でジャンプする勢いで飛び上がってしまう。
恐る恐る声の方を振り返ると母が困った顔をして立っていた。
遠藤さんのために何かをしたいと思って行動した自分にひどく後悔する。私が料理なんて作れるわけもないし、練習できる場所だってない。
それなのにこんな無理をしようとした自分は馬鹿だと思う。
母はシンクに転がったじゃがいもを拾って、えらく不思議そうにそのじゃがいもを見ていた。そんな物珍しそうに見られると自分の不器用さを丸裸にされている気分になり、顔に熱が集まる。
「カレー作るの?」
「いや……あの……」
なんて言えばいいか分からず言葉に詰まってしまう。そして、今すぐにでも台所に広げたものをすべて回収して部屋に戻りたかった。
「星空、こっちおいで」
私は驚きながら顔を上げるとすごく難しそうな顔をしながら手招きする母がいた。私は彼女に言われるままに隣に並ぶと、言葉は少ないものの野菜の切り方を母がレクチャーし始める。
その事に心臓が取れそうなくらい緊張していたけれど、私は遠藤さんに喜んで欲しいから頑張ることにした。
「不器用なところは似て欲しくなかった……」
「ごめんなさい……」
私が何回か自分の手を傷つけてしまい、その度に母が頭を抱えていた。また、母に失望されてしまう。そんな不安で頭いっぱいになっていると頭にそっと柔らかく温かい手が乗っかる。
「どんなに時間かかってもいいから手を切らないようにして」
母の顔は見れなかったけど、その声は昔のように温かく優しさのこもった声だった。その後、かなりの時間をかけてカレーライスが出来上がる。
母は私がどんなに下手くそでも遅くても何も言えなくても最後までそばを離れないでいてくれた。
その日の滝沢家の夜ご飯は私が初めて作ったカレーライスになったらしい。
父はわざわざ私の部屋まで来て「カレー美味しかった。ありがとう」と伝えてきた。
なんて返していいか分からなかったから父のことを無視してしまったし、色々教えてくれた母にお礼も言えなかったけれど、二人はその後も怒ったり冷たい目で見るようなことはしてこなかった。
そんなことに胸がじんと熱くなる。
遠藤さんがまた、私と家族を繋げてくれた。
彼女のために頑張ったはずなのに、また私が温かいものを彼女からもらったのだ。
***
目の前に遠藤さんがいる。
昨日は色々ありすぎて、今も頭の整理が追いついていない。
昨日は彼女の誕生日だった。
どうせ祝うならちゃんと祝いたいと思った。
水族館の見どころをネットで調べて、カレーを作る練習をして、プレゼントをずっと考えていた。
過去の自分では考えられない行動ばかり取っていて、自分でも不思議に思う。
なんでこんなに私は頑張っているのだろう……。
遠藤さんは私の誕生日に動物園に連れて行ってくれた。ご飯を作ってくれた。ケーキを作ってくれた。プレゼントをくれた。
沢山のものをもらいっぱなしが嫌だっただけだ。
お墓参りで遠藤さんのお父さんとお母さんに会った時、彼女は我慢できないくらい涙を流していた。誰の前でも笑顔な彼女の顔には隠せないほどの悲しみがあった。
本当は家族みんなで一緒に居たかったのだろう。
両親が生きていたら彼女がこんなに辛い思いをすることは無かったのだろうか。どうしたらその悲しみを取り除いてあげられるのだろうか。
自分のことで頭がいっぱいいっぱいだった私はいつからこんなに誰かのために行動するような人間になったのだろう……。
最近の私は本当に自分なのかと疑ってしまうくらい、大きく変化した。
滝沢星空という人間はどうやら目の前の女の子に大きく変えられてしまったようだ。
昨日のことを思い出して耳が熱くなる。
遠藤さんは初めてキス以上のことをしようとしてきた。そんなのは恋人同士でするものだと私だってわかる。お互い割り切っているのであれば話は別だが、お互いの事が好きだからそういうことをするのだ。
遠藤さんに触れられて、そういう雰囲気になって嫌じゃなかった私がいる。
そんな自分が嫌になる。
遠藤さんは好きな人がいると言っていた。
だから、その人とそういうことをして欲しい。
私になんで触れてきたのか分からないけど、私だったらセフレでもいいと思われたのだろうか。
そう考えると胸がズキズキといたんだ。
遠藤さんをぎゅっと抱きしめると、小さな声が聞こえる。
「……ら、すき……だよ」
夢を見ているのだろうか。
それが自分に向けられた言葉ではないと分かるのに、今だけは私に言われたのだと錯覚してしまいそうになる。
今の言葉が私に向けられたものなら……?
心臓がありえないくらいスピードを上げて私の呼吸を邪魔する。
遠藤さんの夢の中にまで出てくるその子はどんな子なのだろう。きっととても素敵な人なのだと思う。こんな素敵な人が好きになる人なんて、とても素敵な人に決まっている。
遠藤さんがその人と結ばれた時、私はきっと遠藤さんの前から姿を消さなければいけないだろう。
マグカップはほんの気まぐれだった。
遠藤さんがこの先、誰とも結ばれずに私と一緒にご飯を食べてくれればいいなと思った。その時に食卓に並ぶマグカップを見たかった。
マグカップもいつか捨てることになるかもしれない。
しかし、この思い出は決して消えないだろう。
私の中にずっと居続ける。
私は遠藤さんが居なくなっても遠藤さんのことをずっと覚えていたい。
遠藤さんの顔も声も匂いも作る料理の味もこの温もりも――。
彼女をさっきより強く抱き寄せていた。
昨日、遠藤さんが私にしたみたいにおでこに頬に耳にキスをする。
「遠藤さん、どこにもいかないでよ……」
いつか居なくなるかもしれないとわかっていても、その時のことを考えると怖くて苦しくなる。 彼女が私の傍にいてくれれば私は何もいらないのに……。
「どこにもいかないよ」
遠藤さんの声が聞こえて体がはね起きる。寝起きの遠藤さんはやたら笑顔だった。
そして、彼女はまた勝手に私の唇を塞ぐ。
なんで拒否らないのかと聞かれた。
――遠藤さんだからだ。
なんで私からキスをするのかと聞かれた。
――遠藤さんだからしたいと思った。
誰とでもできるのかと聞かれた。
――遠藤さんとだからできるのだ。
自分の中でぐるぐると昨日の質問が渦巻いて、頭が痛くなる。
「滝沢、おはよ」
「遠藤さんのばか」
「おはようは?」
「おはよ……」
そういうと遠藤さんは私の体に頭をうずめて嬉しそうな顔をしていた。
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