第92話 家族会議後⑵

 目に痛みとは違う不快感を感じて意識がはっきりとしてくる。力の入った瞼の筋肉を少しづつ緩めて、目を開ける。

 目の前に滝沢がいた。

 夢か何かを見ているのだろうか……?


「遠藤さん起きて」

 

 びーっと頬を引っ張られる。あほそうな寝起きの顔を見られたことが恥ずかしくなり、一気に目が冷めた。普段、朝は早くに起きるのに珍しく目が覚めなかった。


「なんで滝沢が私のベットの中いるの?」

「遠藤さんお腹減った。一緒にご飯作ろう」

 

 私の話なんてシカトしてベットから出て部屋の外に行ってしまう。


 朝から動悸がする。滝沢はもう部屋にはいないのに心臓はどくどくと鳴りやまなかった。

 滝沢は一緒にご飯を作ろうと言った。それが無かったことにされないためにも、急いで布団から出てリビングに向かうことにした。


 リビングのテーブルを見るとコップや箸なんかは既に出されていた。時計の針を見ると九時を指している。

 普段、学校がない日でも七時くらいには起きるので自分でもびっくりしてしまう。

 

「起きるの遅くてごめん……」

「コンビニで食パン買ってきた。焼いていい?」

「私がやる」

 

 滝沢はお腹が空いたと言っていた。別に一人で先に食べてても良かったのに、ここまで準備して待っていた滝沢の行動を嬉しく思う。


「買ってきてくれてありがとう。あと私やるから座ってて」

 私は彼女をリビングに移動させて、朝ご飯の支度を進めた。滝沢は大人しくテレビを見て待っていてくれるようだ。そんなことが嬉しくてご飯の支度が楽しくなってしまう。

 

 熱くなるはずもないのに、トースターの赤い光を見ていると顔にじんじんと熱が溜まっている気がした。私の顔が焼きあがる前にトースターから食パンを取り出し、バターとジャムを塗り、昨日余したスープも出して、準備を終えた。


「いただきます」

 

 滝沢は行儀よく手を合わせて朝ごはんを食べ始めている。私も遅れないよう「いただきます」と小声で手を合わせた。


 

 夏はセミがミンミンと鳴いている音が聞こえるだけで、汗をかきそうになり、集中力が根こそぎ削られる。

 

 昨日の夜は全然寝れなかった。

 滝沢が"大学生になったら私と一緒に暮らしてもいい"という発言をした。その後すぐに冗談だと言われたけど、期待してしまう。

 昨日、滝沢の隣で寝たかったけれど、これ以上滝沢の近くにいると何をするか分からなかったので距離を取ってしまった。

 

 私の理性ほど信用できないものはない。

 すぐ滝沢に触れたくなる。


 ただ、昨日あのまま一緒に寝て、手を出してしまえばよかったのかもしれない。

 そしたら、滝沢の気持ちを知ることができたのかもしれないし、私の気持ちも伝えられたのかもしれない。


 …………

 

 いや、昨日はあれでよかったのだと思う。


 

「滝沢、今日予定なんかある?」

「美羽ちゃんの家庭教師バイトある」

「何時から?」

「十八時から」

「そしたら、今日の午前中買い物付き合ってくれない? あと、午後は一緒に勉強したい」

「なんで? 一人で買い物行けばいいじゃん」

 

 滝沢の言っていることは間違えていないのだけれど、その冷たい言葉が胸に刺さる。

 

「文房具買いたいから少し付き合って?」

「遠藤さん、昨日からわがまま多い」


 確かにそうだ。

 昨日帰ろうとした滝沢を止めた。今日だってなんの約束もなく買い物に付き合わせようとしている。

 滝沢と一緒にいたいと言う気持ちが大きくなりすぎている。滝沢の気持ちも考えずに発言する私は確かにわがままだし最低だ。


「ごめん……」

 

 謝る以外の言葉が出てこなかった。滝沢をちらりと見ると目があって、彼女はそのまま大きくため息をついた。


「……私もノート買わなきゃだから文房具屋行く」

 

 滝沢にそう言われてさっきまで暗かった気持ちが一気に明るくなる。すごい嫌なのかもしれないけど、それでも滝沢が私のわがままに付き合ってくれることが嬉しかった。


「えへへ、ありがとう」

 

 嬉しくてにやけてしまう顔を我慢しながら滝沢を見ると、いつもの無表情だけれど少しだけ微笑んでいる? 気がした。



 

 夏のショッピングモールは夏休み中の子供たちで溢れていた。たくさんの人の間を歩いて、目的の文房具屋につくと滝沢はそそくさとノートを買っていた。

 

 私も会計を済ませようとすると、シロクマの絵が描いてあるシャーペンが目に入る。

 そのシロクマは滝沢とお揃いにした、私のバックにぶらさがっているキーホルダーのシロクマと似ていた。

 

「かわいい……」

 

 つい漏れてしまった独り言が聞こえたのか、滝沢が「買ったら?」なんて言ってきた。こんな子供っぽいの使えるわけがない。


 

「遠藤さんほんとにシロクマ好きだよね」

「かわいいじゃん」

「動いてるシロクマはたしかに可愛かった」

 

 その言葉であの日のことを思い出す。

 とても、鮮明に覚えていて、動物はもちろんだけれど、滝沢の楽しそうな顔が今も忘れられない。

 

 また、滝沢に喜んでもらいたい。

 どうしたら彼女は喜んでくれるだろうか。未だに滝沢を喜ばせる方法は見つかっていない。少しづつでいいからその方法を見つけていきたいと思った。

 


 目的のものを買い終えたので、私たちはショッピングモールを出ることにした。ショッピングモールの出口の掲示板に花火大会の広告が貼ってあり、足が止まる。

 

 去年は花火大会の日に滝沢に沢山迷惑をかけた。

 学校の人に会わないようにするために少し遠めのお祭りに行ったら、靴擦れをしてしまい、結局、花火を見ることはできなかった。


 滝沢と一緒に花火が見たい――。


 ただ、去年のこともあり、自分からは誘いずらいと思っていた。去年の夏祭りの時、滝沢は見るのはまた今度でいいと言っていた。それを覚えていてくれないかと少し期待している。

 


「……花火大会行くの?」

 

 思わぬ質問に心臓の動きが急にわかるようになった。

 

「ううん、誰からも誘われてないから今のところ行かない」

 

 去年までは奈緒や朱里に誘われていたが、クラスが違くなってから二人とは疎遠になってしまった。別にそれが寂しいわけでもないし、滝沢とクラスが同じになれたのでいいと思っているが、人間関係というのはここまで呆気ないものなのだとしみじみ感じてしまう。


「……見にいこうか」

「えっ?」

「いやならいい」

 

 滝沢がすたすたと前に進んでしまうので急いで彼女の腕を掴んでしまった。

 

「違うの! 去年、沢山迷惑かけたからもう私とは行きたくないかなと思って……あと、近くのお祭りだと学校の人とか居るから滝沢が嫌かなと思った。私は……滝沢と行きたい」


 なんて返ってくるか分からない返答に息を止めてしまう。


「別に友達なんだし、お祭り一緒に居ても不自然じゃないでしょ。去年、遠藤さん楽しみにしてたのに見れなかったじゃん。今年は花火見れるといいかなって……」

 

 滝沢は私の顔も見ず、急ぎ足で前に進んでしまう。滝沢と距離が離れないように私も駆け足になって横に並んだ。


 心臓が鳴り止まない。とくとくと私にずっと訴えかけてくる。


 滝沢から見に行こうと言われたことが嬉しかった。そのことが何よりも嬉しくて、外なのに頬が緩んでしまう。


 一日中、胸の熱はしばらく収まらなかった。

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