第91話 家族会議後⑴
どれくらいの時間そうしていたか分からないが、少したかぶっていた気持ちが落ち着き、遠藤さんの肩を押して離れた。
「ごめん。汗かいてるのにこんなことして」
「大丈夫だよ。とりあえず、家の中入りなよ」
遠藤さんに言われるまま私は家の中に入った。家の中はおいしそうなご飯の匂いが充満していて、私の胃袋を刺激してくる。
「今日は何作ってくれたの?」
「無難に唐揚げにしてみた。滝沢お肉料理も好きかなって」
「……普通」
「そっか。先にシャワー浴びる?」
「うん」
私は遠藤さんの言葉に甘えることにして、洗面所へ向かった。汗のせいで背中にぴとりとくっついたTシャツを脱ごうとすると急に声をかけられる。
「やっほー!」
光莉さんがひょこっと現れて心臓が飛び出そうになった。そういえば、光莉さんが泊まっていたんだった。
「……大丈夫?」
とても不安そうな顔だ。光莉さんがそんな顔をするなんて珍しく、彼女も心配してくれていることがわかる。ただ、私の口から話すべきではないと思ったので余計なことは答えなかった。
「真夜姉もうすぐ来ると思いますよ」
「そっか! 私たち今日で帰るから、陽菜ちゃんと仲良くするんだよ」
つんつんと肘を脇腹に当てられて、そのまま光莉さんはどこか嬉しそうな顔をして去ってしまった。
蛇口の温度調節のハンドルをひねり、熱すぎず冷たすぎないシャワーを体にあてた。
夏のシャワーはとても気持ちよく、先程まで私の体にまとわりついていた汗が次々と床に落ちていく。体を洗い流し、遠藤さんが気を使って温めてくれていたであろう湯船に浸かって、先程までの心臓の高鳴りが落ち着くまで湯船に浸かっていた。
何も考えずに家から飛び出してきたので、遠藤さんの部屋着を借りることになった。服からは先ほど彼女を抱きしめたときと同じ匂いがする。当たり前のことなのに、そのことに胸が何故か高揚している。
さっきまで胃液が出そうなほど緊張していたはずなのに、遠藤さんの家に来ると緊張がほぐれ、すごくお腹が空いてきた。
「真夜さんたち帰るって」
お風呂から上がった私に遠藤さんが声をかけてくれたので玄関に向かう。
「陽菜ちゃん、星空ちゃんありがとうー! また来るねー!」
光莉さんはいつもどおり明るくブンブン手を振ってくれている。真夜姉はその様子を見て微笑んだ後に私の方に穏やかな顔で近づいてきた。
「星空、ほんとにありがとう。星空がいてくれて良かった」
「うん」
私も、真夜姉が居てくれてよかった。一人だったらきっと今も殻に閉じこもったままだったと思う。
真夜姉がぎゅっと抱きついて私の頬に唇を当ててきた。なんで……? という顔をしていると遠藤さんに腕を引かれて、真夜姉との距離が離れる。
「あはは、陽菜ちゃんそんな怖い顔しないでよ。姉妹なんだからこれくらいはいいでしょ。感謝の挨拶ってことで」
そう言って、真夜姉と光莉さんはそのまま家の外に出て行ってしまう。その背中はどこか寂しいようで晴れ晴れとしているように見えた。
「……遠藤さん痛い」
遠藤さんの腕を掴む力が思ったよりも強くて、ちょっと尖り声で彼女を責めてしまう。
「あっ、ごめん……」
遠藤さんは下を向いて暗い顔をしていた。腕を掴む力は弱まったものの手は離してくれない。
「どうしたの?」
「なんでもない」
そういって遠藤さんは近づいて、さっき真夜姉が唇を当てたところに今度は遠藤さんが唇を当ててきた。なんでそんなことをするのか、遠藤さんの行動の理由を考えていると難しい顔をしてしまったと思う。
「――上書きしておいた」
上書き? 遠藤さんは時々よく分からない行動を取る。その行動の意味を聞いても、こういう時に限って答えてくれないのが遠藤さんなので聞くことはしなかった。
「ご飯食べよ――」
「うん――」
リビングに戻ると、おいしそうな唐揚げがお皿の上にいた。それを見るとお腹が鳴りそうになったので、音がならないように下腹部にぐっと力を込める。
「遠藤さんっていいお嫁さんなれるよね。遠藤さんの結婚相手の人は羨ましいよ。こんなおいしいご飯が毎日食べられるんだもん」
気が緩んでいたせいか、つい本音が漏れてしまう。今の発言は私らしくない。しかし、嘘ではない。本当に心から思っていることだった。
「じゃあ、滝沢が……」
「ん?」
「なんでもない。早く食べよ」
遠藤さんがまた難しい顔をしていて、微妙な空気になってしまったが、今は気にせず席に座ることにした。
「いただきます……」
箸を持って唐揚げをつまむ。一口サイズより少し大きい唐揚げを箸で半分にして口に運んだ。
コンビニやお弁当屋さんの唐揚げは色々と食べてきたが違いなんて感じたことはなかった。遠藤さんの唐揚げは濃すぎない味でさっぱりと食べやすくて、今まで食べたどの唐揚げとも違う特別な味がした。おいしくて、ついご飯が進んでしまう。さっきまで空っぽだった胃が喜びながら満たされていくのを感じる。
食べ物に全然興味がなかった私は胃に入ればご飯なんてなんでもいいと思っていた。しかし、今は遠藤さんのご飯は食べたいと思う。
ふと遠藤さんを見ると私のことをじっと見つめていた。遠藤さんの私を見る目が優しくて、見られていることが気恥しくなってしまう。
「なに?」
「ううん、おいしいかなって不安になった」
「不味くはないよ」
「そっかぁ」
残念という顔をしている。遠藤さんといるとかなり素直になれるようになったが、こういう時になかなか素直になれない。おいしいと素直に言えなかった罪悪感を消すために、違う言葉を選んだ。
「今度、作り方教えてよ」
「え! 滝沢も一緒に作ってくれるの?」
さっきまでの残念そうな顔はどこかに行き、すごい嬉しそうだ。それがちょっと嬉しくて胸がむず痒くて、そのまま遠藤さんの言葉を無視してご飯を食べ続けた。
「遠藤さんお風呂入ってきなよ。私、片付けしておくから」
「いいの?」
「ご飯作ってくれたからそれくらいさせて」
私は食べ終わるとすぐに片付けを始めた。しばらく私のことを見ていた遠藤さんは、いつの間にかお風呂に入っていた。
遠藤さんが来るまでソファーで待っていると遠藤さんがお風呂から上がったようで隣に座ってくる。
髪は乾かし終わっていて、ふわふわとお日様に当たったお花のような香りがする。遠藤さんの匂いは何故か分からないけどすごく落ち着くのだ。彼女の香りをもっと近くで感じたいけど、ただ嗅いでいると変態と言われそうなので肩に頭を乗せた。鼻に遠藤さんの匂いが優しく流れ込む。
それがとても心地よくて、少し眠くなってしまった。
「滝沢……?」
遠藤さんの声でハッとする。こんな行動は良くない。私はご飯を食べに来ただけで今日は帰らなければいけない。
「もう遅いし帰るね。ご飯ありがとう。服、今度返すから借りていい?」
そう言ってソファーから勢いよく立ち上がるとすぐに腕を掴まれる。
「今日泊まって行ったら?」
「なんで?」
「……」
遠藤さんが珍しく眉間に皺を寄せて何かを考えているような顔をしている。
「滝沢の言うことなんでも聞くから今日は泊まって欲しい」
「なんでそんなに泊まって欲しいの?」
「…………」
遠藤さんは今日嬉しそうだったり、難しいことを考えている顔だったりコロコロと表情が変わって忙しそうだった。そして、私の手をぎゅっと握ってきて、立っている私に対して上目遣いでこちらを見てくる。
「……なんか、今日は寂しいから」
その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられるような痛みを伴った。遠藤さんはそう告げると下を向いたまま私を見てくれない。
いつも一人で平気そうな遠藤さんにもそう思うことがあるのかと少し驚いてしまう。
「わかった、いいよ」
私はソファーに腰をかけて、彼女の手を握った。なんでそうしたのか分からないけど、体が勝手に動いていた。
二人でぼーとする時間が流れ、ふとした時に遠藤さんが話しかけてきた。
「今日、どうだった……?」
声からすごい恐る恐る聞いていることが分かる。遠藤さんは沢山手伝ってくれて、心配もしてくれていたのにどうなったか伝えていなかった。彼女の恩に報いるためにもしっかり話すべきだ。
「関係が良くなったかと言われるとそうでは無いけど、大学行くのは認めてくれたみたい」
そう言って遠藤さんを見るとほっとした顔をしていた。私は他にしっかり伝えなければいけないことがある。
「――遠藤さん、ありがとう」
遠藤さんのおかげで今も私がここに存在している。もう、この世のどこにも一欠片も残っていなかったかもしれない私の魂はしっかりとここにある。
「私は何もしてないよ」
遠藤さんは恥ずかしそうに微笑んでいた。
「でも、ちょっと残念だなぁ……滝沢がこれからここに暮らしてくれる未来もちょっと楽しみにしてたから」
そういって今度ははにかんだ笑顔に変わる。
その顔を見て胸が高鳴る。
こんなこと言ってはいけない。ただ、自分の口から出る声を止めることは出来なかった。
「じゃあ、近くの大学に進学できたら、一緒に住めばいいじゃん――」
心臓がどくどくと脈を打つ。
深い意味は無い。ルームシェアすれば家賃も安く済むし、私にとっては一人で暮らすより不安が少ない。
――ただそれだけだ。
「今の冗談だから」
遠藤さんが何か言う前に言ったことを撤回した。今の言葉が断られたり、嫌な顔をされることが怖かった。自分のプライドを守るために逃げてしまった。
本当は遠藤さんと一緒に暮らしたい。そして、それは遠藤さんが大切な人でそれ以上の理由は無い。ないはずだ……。
その後、自分の言ってしまったことが恥ずかしくて、遠藤さんとの会話に集中できなくて何を話していたかあまり覚えていない。
その日、遠藤さんは珍しく一緒にベットで寝ようと言ってこなかった。
一緒に住みたいと言ったことがそんなに彼女に不快感を与えたのだろうか……別に一緒に寝たいわけじゃないけれど、胸がじくじくと痛んで寝ることができなかった。
ベットの横に敷かれた布団の上で薄い毛布をぎゅっと掴んで目をつぶることにした。
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