第90話 母親失格
「じゃあ、次帰ってくるの冬休みになると思うから」
そういって娘はキャリーケースを持って外に出ようとしていた。
「真夜っ!」
娘が驚いた顔で振り返る。しかし、私を見る目はとても温かい目だった。そのことにぐっとこみ上げるものがあったのでそれを抑えて言葉を繋ぐ。
「今までごめんなさい。そして、ありがとう――」
私は精一杯の気持ちを込めて言った。真夜は穏やかな笑顔で家を出て行ってしまう。
気持ちに靄がかかったままの私のみが玄関に残された。
――私は母親失格だ。
そんな時に両親から縁談を持ち込まれた。有名な病院の息子との結婚の話だと聞いて、私は真人さんに出会った。
真人さんは初めて会った時から誠実で真面目で厳しい一面もあるが優しいところもあるという素敵な印象だった。そして、私が家事ができなくても覚えが悪くても決して否定することはなく、いつも優しい人だった。
知らない間にそんな彼に惹かれていた。なんの取り柄もない私がいてもいい居場所をやっと見つけた。
なかなか私たち二人の間に子供が生まれなくて、養子縁組で娘を一人迎えた。
『真夜』
血は繋がっていないけれど、つながりをより強く感じるため真人さんの漢字から一文字取ってそう名付けた。真夜のことは自分たちの実の娘のように思っているし、二人にとっての初めての子供だったので、とても大切に育てた。
そして、その四年後、真人さんとの間に子が生まれた。
『星空』
星のように沢山輝ける子になって欲しい。暗闇の中に居る誰かの光になって欲しい。そんな願いを込めて名前を付けた。やっと好きな人との間に子供が生まれ、私に似ているところも多くて余計愛情が芽生えて、つい世話を焼いてしまうことが多かったと思う。
二人の娘はとにかくかわいくて、真夜はいいお姉ちゃん、星空は泣き虫で甘えん坊だけれど心優しい子に育った。家族でお出かけをすることや二人の面倒を見ることは本当に幸せな時間で失いたくない時間だった。
ある時から真人さんが二人に自分の跡取りになって欲しいからと勉強を叩き込むようになった。その真剣な真人さんにつられて私も娘に少し厳しく勉強を教えるようになったし、勉強以外のことはあまりさせないようにした。
彼の支えになりたかった。その一心で私も視野が狭くなっていたのだ。
そんな私たちの期待に応えるように、真夜はびっくりするくらい優秀な子になった。まるで私の兄と妹を見ているかのように思えて、少しだけ嫉妬心のようなものが生まれた。
そんな真夜とは反対に星空は私と同じく、何をするにしても上手くいかないことが多くなった。最初は自分と同じ気持ちになって欲しくないと頑張って彼女をサポートしていたが、段々、自分を見ているようで苛立ちを覚え、自分に対する嫌気を星空にぶつけるようになってしまった。
そして、星空のせいで私が真人さんに捨てられる可能性があるのではないかと不安になり、娘に対して最低な行動を取るようになった。
私は母親云々の前に人として最低だったのだ。
自分と同じ境遇の人に手を差し伸べるのではなく、「私は違う。出来損ないではない」と言い聞かせ、自分の保身に走った。そういうことでしか自分という形を保っていることができなかったのだ。
母親になるのにはあまりにも未熟すぎる人間だった。
今更、やり直したいとは思わない。
たとえそう思っていたとしても、それはあまりにも自己中心的で星空には受け入れ難い事実だろう。
しかし、別に道があったと思っている。
私は星空の気持ちがこの世界で誰よりもわかるのだ。同じ境遇、同じような辛さ経験しているはずなのに、私と同じ気持ち、いや……それ以上に酷いことをしてしまった。
後悔してもしきれない。
一度、関わらなくなるとどうやって接していたか、どうやって話していたか、どうやって生活していたか分からなくなった。そうやって、娘との間に自分が作った溝は大きくなり続け、今はなにでも埋めることのできない溝になってしまった。
「はぁ……」
「そんな深いため息ついてどうした」
「私がもっと星空に向き合うべきでした。母親として彼女にしてあげられたことは何一つありません」
「それは私も同じだよ」
そういって真人さんも悲しそうな顔をしていた。
「いくらでもチャンスはあった。星空が私たちに向き合おうとしてくれていた。それを無視したのは私たちだ。情けない。親を名乗る資格もないと思っている」
真人さんは自分に呆れているのか苦笑いをしてそんなことを言っている。彼の言う通りだ。私たちはもう子供たちに何かを言う資格は無い。
――ただ、星空ともう一度向き合いたい。
母親と子ではなく、一人の人間として彼女と向き合いたい。こんなのは私の身勝手な願いで、叶うことのない願いだと思っている。
しかし、いつか来るかもしれないチャンスのために
私はいくら反省しても足りないくらいの罪と後悔を抱えて生きていくと心に決めた。
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