第89話 家族会議

「明日の夕方、私の家でご飯食べない?」

「なんで?」

「なんでも」

 

 遠藤さんが勉強中にもじもじしていると思ったらそんなことを言い始めた。彼女の顔は暗いわけでも元気がないというわけでもない顔をしていて、恐る恐るこちらを見て口が動く。


「明日、緊張する?」

「しないよ」

 

 明日は両親と面と向かって話す日だ。そんなの何年ぶりだろう……緊張するに決まっている。


 ただ、遠藤さんにはそういうことを知られたくなかった。彼女には、私の弱いところやかっこ悪いところは散々さらけだしてしまっているはずなのに、何故か見せたくないと思う。

 

 そんな私の思いなんて丸無視で、遠藤さんは私の頭をよしよしと撫でてにっこりと笑った。

 

「なに……触らないでよ」

 

 私は遠藤さんの手を冷たくはらってしまう。普通、そんなことされたら傷ついたり悲しんだりするはずなのに、そんなの気にしてませんという感じで微笑んでいる。

 

「明日頑張れるようにおまじないかけといた。滝沢なら大丈夫だよ」

 

 こんな頭を撫でられたくらいで喜ぶと思ってるなんて、私は幼稚園児か何かと思われているのだろうか。遠藤さんは変なところに自信があってわけが分からない。


「明日、おいしいご飯用意して待ってるから」と嬉しそうに話していた。


 私は行くなんて言ってないし、来なかったらどうするつもりなのだろう? 遠藤さんは変なところで私を信じてそういうことを言ってくる。

 

 正直、馬鹿だと思う。

 

 しかし、そんな馬鹿な言葉に私の胸は温かくされる。この感情の交差に私はいつも頭を悩まされている。


 温かかったり、冷たかったり、息苦しくなったり、イライラしたりするけれど、そのどれもが私の胸に蓄積されて、私を人間という形にする。

 

 

「待ってなくていい」

「待ってる。どんな結果になっても私は滝沢のそばにいるから」

 

 遠藤さんは自分が好き放題言いたいことを言って勉強に戻ってしまった。

 目元に力を入れて、温かい液体が重力に負けないようにする。遠藤さんが勉強に戻ってくれてよかった。今、私の顔を見られたくない。

 

 遠藤さんだっていつか私の前からいなくなる。そんなの分かってる。それでも、遠藤さんと一緒に居たいと思えるのだ。

 

 明日は、両親と縁が切れても遠藤さんが隣にいてくれると約束してくれた。その言葉に期待はしたくないけど、明日だけは遠藤さんと一緒に居てもいいのかなと思えた。


 


 ***

 


 次の日の朝、覚悟はしていたものの憂鬱な気持ちで体をベットから引き剥がす。姉が予め親に夕方から話したいことがあると伝えていたようだ。夕方まで時間が流れるのはいつもの何倍にも感じた。

 

 日が落ち始め、窓から差し込む光がだんだんと赤みを帯びていく。

 トントンとドアの叩く音が聞こえた。

 

「星空? 部屋入っていい?」

「うん……」

 

 真夜姉は部屋に入ってくるなり苦笑いをしながら背中をさすってくれた。

 

「星空すごい顔してるよ」

「逆に普通の顔できる真夜姉の神経疑うよ」

 

 真夜姉は今度は微笑んで、バシバシと私の背中を叩いてきた。痛かったけれど、胸と喉に詰まっていたものが少しだけ取れるような感覚になる。


「じゃあ、行こうか」

 

 私たちは大きく深呼吸をしてリビングに向かった。


 

 リビングには父と母がテーブルに横並びに座っている。二人の顔を見るのは久しく、上手く目が合わせられないまま二人の正面に腰をかけた。

 

 反応が怖くて顔が上げられない。

 二人の顔が見れない。

 

 なんでここにお前が居るんだとか、いないもののように見られているのではないかと不安で仕方ない。二人がどんな顔をしているのか気になるけれども、恐怖心が勝り、顔を上げることができなかった。

 


「お父さん、お母さん今日は休みの日なのに時間作ってくれてありがとう。今日は星空と私から話がある」

 

 真夜姉が私の方を見た。バトンタッチの合図で彼女の顔からは頑張れとエールが送られる。

 

 心臓が変な音を立て始め、その音に気持ち悪くなり頭がグラグラする。何をしても小さくはならない不安をどうしても拭いたくて、上手くできているかも分からない深呼吸をして、口を開いた。

 

「今まで、お父さんとお母さんの期待に応えられるような子供になれなくてごめんなさい。ただでさえも親不孝だとわかっています。だけど…………」

 

 予想どおり言葉が詰まってしまう。今まで溜め込んでいたものが大きかったことに自分では気が付かなかった。いや、とっくの昔に自分では抱えきれないほどの大きさになっていたのに、見て見ぬふりをしてきたのだ。

 

 しかし、今日伝えなければいけない。

 どんなに惨めでも醜くてもいいから今日だけは逃げてはいけないと思った。

 

「――私、医者にはなれません。人に勉強が教えることが好きです。だから、大学も教育学部に行きたいと思ってる」

 

 お父さんとお母さんの顔を目をしっかりと見て話をした。そしたら、二人は想像と違う顔をしていた。私のことを憎そうに見る目でも、嫌いなものを見る目でもなかった。

 

 二人の方が悲しそうな顔をしていた。そして何も言ってこなかった。なぜ、二人の方が悲しそうなのか。私は今まで二人がしてきたことを思い出し、その事実に怒りが込み上げるが、今はそれをここでぶつけても話が進まないと思い、歯を食いしばってぐっと堪えた。

 

 私のターンは終わり、真夜姉にバトンを渡す。真夜姉はそれを受け取ると私の背中を撫でてくれて、続けて話を始めた。


「お父さん、お母さんごめんなさい。私もお父さんの病院を継ぐことはできません。医師になりたい夢は変わりませんが、もっと大きいところでたくさんの勉強をして、一人でも多くの人を救いたいです。私のことは見捨ててもらってもかまわないけれど、星空だけは……」

 

 真夜姉の声が震えていて、その事に驚きが隠せなかった。あんなに何も怖いものがないみたいな人だったとしても、親に見捨てられるのは怖いのだろう。


 

 私たちが意を決して話したのにも関わらず、両親は未だに黙り続けている。


「二人にはわがままを言っているのは十分理解しているし、私たちは二人にとって役に立たない子供かもしれないけれど、私たちのできることを精一杯頑張りたいと思って今日は話に来ました」

 

 そういって真夜姉は両親を真っ直ぐと見て、絶対にこの意志は曲げないという顔をしていた。そんな姉を隣で見ていて、私の胸はどんどん熱くなった。こんなに素敵な人が姉で良かった。いつでも、私にかっこいい背中を見せ続けてくれる。私もこんな素敵な人になりたいと思えた。

 


 チクチクと時計の針の動く音ばかりが部屋中に響き渡り、どれくらいの時間が経ったか分からないけれど、お父さんがかけていたメガネを外してため息混じりの深呼吸をした。私の耳がお父さんの呼吸の音に集中し始める。

 


「――星空、今まですまなかった。謝って済むことではないので今更許しを乞うつもりはない。透子とうこと私は自分の子に対する接し方をずっと間違えてきた」

 

「あなたっ!」

 

 お母さんが大声を出し、お父さんの話を止めようとするので怖さからビクリと反応してしまう。お父さんは叫んだお母さんの肩を掴んで席に座らせようとした。

 

「透子……もういい加減認めよう。私たちは自分たちが変わろうとも変えようともしてこなかった。関わろうとも向き合おうともしてこなかった。情けない大人になってしまったと思うよ…………でも、そんな私たちでも星空は今も向き合おうとここに居てくれる」

 


 お父さんが信じられないくらい情けない顔で私を見てくる。それでは、私が悪いみたいに感じてしまうから、そんな顔で見て欲しくない。そんな状態のままお父さんは喋り続けた。

 


「言い訳になってしまうが、私にも家を継いだ以上、あの病院を経営していく必要があった。自分のしたいこと、夢、希望、全て捨てて家のために全ての力を注いできた。それが当たり前だと思って、必死になってしまっていた。妻の透子にも結婚してからずっと言い聞かせ、子供たちにも洗脳するようにずっと行動してきた」


 お父さんは息を吸って吐くのと同時にがくりと首と肩から力が抜けて俯いたまま話は続けた。

 

「それが間違った道だと気がついた頃には星空との関わり方は分からなくなり、真夜には自分のすべての責任を押し付けようとし、透子には八つ当たりをしてしまう毎日になっていた。家族は私のせいで崩壊していた。全て私が悪いんだ……許されることではない。しかし、言わせて欲しい……」


 父が椅子から降り、私たちの方を向きながら床に伏せて頭を地につける。



「――本当にすまなかった」



 誰もこの状況を理解できず、家は静まり返っていた。私はお父さんから目を離すことも、なにか声をかけることも出来ずに座り込んだまま動けずにいた。



「お父さん、顔をあげてください。今日は謝って欲しい訳じゃなくてお父さんとお母さんと話をしに来たんです。それでは、話し合いもできません」

 

 この状況に誰も動けない中、真夜姉は冷静な言葉を淡々と並べる。その堂々とした態度は、私があと何年かけてもできるような芸当ではないと実感してしまう。父は深々と下げていた頭を上げて席に戻ってきた。

 

 今度はさっきの表情とは違い、真っ直ぐな目で私を見て話しかけてくれる。

 

「星空、こんな不甲斐ない親なのにちゃんと向き合ってくれてありがとう。そして、ちゃんと自分のしたいことが見つかって良かった」

 

 私は目元に熱いものを感じたが、我慢してコクリと頷き、下を向く。ずっと両親が憎かったはずなのに今はそんな感情はどこかに行っていた。

 

 いや、もっと前からそんな感情は消えていたのだと思う。家族という大切な存在から邪険に扱われ、大切な人はいらないと思った。裏切られた時にきっと恨んでしまうから。憎いと思ってしまうから。

 

 しかし、裏切られても離れ離れになっても大切な気持ちは変わらないと思える人に出会えた。今は私が大切だと思っていれば相手がどう思っててもいいんだと思えるくらい大切な人がいる。

 

 そう認められるようになってからは両親のことを憎い存在ではなく、昔と変わらず大切な家族だと思えるようになった。


 相手にどう思われているかではなく、自分がどう思うかが大切だと知った。

 

 あんなに憎くて、その息苦しさから死にたいと思うほどの感情だったものはこうも簡単に消えてしまうのかと自分でも驚くほど、私という人間は形を変えた。

 


「星空が好きな道を選べる支援は惜しまない」

 

 お父さんは真剣な顔で私を見てそう告げる。お父さんの顔には昔よりもしわが増え、昔のキリッとした印象は薄れている。そのしわは私とお父さんが関わらなかった時間の数を物語っているようで、こう話せるようになるまであまりにも時間がかかり過ぎたと思う。

 

 私は「ありがとう」とだけ伝えた。それ以上の言葉は必要ないと思った。真夜姉なんかだったらここでいい言葉が出てくるのだろうけど、私にはそういうのは向いていない。


 

「そして真夜も好きな道を進みなさい」

「お父さんの病院はどうするんですか?」

「私が退職する時に終わりにしようと思う」

「それでもいいんですか?」


 真夜姉が恐る恐る聞くから、お父さんは困ったように笑っていた。


「代々引き継いできてくれた先祖の方には申し訳ないが、私たち家族のような家族がまた生まれるのなら、もうない方がいいだろう。そんな状態、先代の方々も存続を望まないだろう。そう信じて病院をたたむことにするよ」

「――私たちは、好きに生きてもいいんですか?」

「私がずっと小さい頃から縛り付けていた分、これからは自分のしたいことをして欲しい。それが唯一できる父親らしいことだと思っている。もっとも、父親を名乗る資格すらないのだがな……」

 

 父は悲しげに笑っていた。


「透子も私に縛られず自由に生きて欲しい。本当は好きな人が居たのに親の許嫁で嫁いで来たのだろう。お前の人生も散々潰しておいて好き勝手言っているのはわかるが、これからは自分の好きなように生きて欲しい」


 お母さんは先程から全然口を開かない。お父さんの今の言葉に対してもなにも反応がなかった。


「真夜、星空、今日は時間を作ってくれてありがとう」


 父はまた深々と頭を下げていた。


 こうして、私たち滝沢家の家族会議は終了した。

 



 

 家族での話し合いが終わり、私は急いで家を出る支度をする。


「陽菜ちゃんのとこ行くの?」

「うん。遠藤さん馬鹿だから待ってると思う」

「ふふ、素敵な人だね。私も陽菜ちゃんの家に光莉を迎えに行かないと。今日、大学の方に帰ろうかなって思ってて」

「帰るの明後日とか言ってなかった?」

「なーんだ、お姉ちゃん居なくなるの寂しいの?」


 真夜姉がやたら嬉しそうに聞いてくる。

 

「早く光莉さん連れて帰って欲しいからちょうどいい」

 

 私は少し微笑んで真夜姉と話しつつ、玄関に向かう。

 

「え、一緒に行こうよ」

「どうせあっちで会うんだからいいでしょ」

 

 真夜姉の顔を見ると満面の笑みで私を見ていた。真夜姉もすごい変わったなと思う。

 

 たぶん、私もそう見えているのだろう。


 

「星空、頑張ってくれてありがとう。星空が居たから家族で話が出来たよ」

 

 真夜姉が優しく抱きしめてくれた。何年経っても姉の温かさは変わらなくて、落ち着いて、大好きな姉なんだと実感させられる。

 


 そんな姉と体を離して靴を履く。

 

「じゃあ、遠藤さんの家で待ってるから」

「うん」


 私は玄関を出るなり走っていつもの道を通り過ぎる。夕日で空は先程よりも赤くなっている。今日も快晴で雲ひとつない空に赤い色が塗られていた。

 

 夕日がきれいなんて思ったのはいつ以来だろう。いつもしたばかり向いて過ごしていた私がこうやって前を向いて走ってる。


 人生何があるか分からない。

 


 夏なのに全力で走ったので背中に汗が滲んで息が上がっている。整わない呼吸を無理やり抑えてインターホンを鳴らす。

 

 ドアが開くと同時に私が一番会いたかった人が目の前に現れる。

 

「中にどう……」

 

 遠藤さんが言いたいことを言い終わる前に彼女を抱き締めていた。最初はびっくりしたのか体が強ばっていたが、徐々に力が抜けて私と同じくらいの力で優しく抱きしめてくれた。

 

「おかえり」

 

「……ただいま」

 

 遠藤さんの匂いがする、声が聞こえる、体の熱を感じる。その全てを離したくなくて、もっと強い力で遠藤さんを抱きしめた。

 

 

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