第93話 リベンジ花火大会 ⑴

 夏休みも後半に差し掛かり、それと同時に暑さが増す日々が続いていた。


 今年はとても充実した夏休みだったと思う。

 家族との対話、遠藤さんと受験勉強、家庭教師バイトなど毎日が忙しくて、充実していて、生きている心地がする。


 暑さでうつけていると、舞からスマホに連絡が入った。

 

「三年生最後の夏休みの思い出を作ろうではないか。明日の花火大会一緒に行こうー! あ、ちなみに美海ちゃんもいるから、陽菜も誘って四人で行くよ」

 

 私は舞の陽気なメッセージに「いいね」とだけ返してベットにスマホを投げ、その横に転がった。遠藤さんには言わずとも舞が連絡してくれているだろうと思い、自分からは連絡しなかった。



 別に花火大会なんて誰と行っても同じだし、人が多い場所は疲れるのでどちらかと言えば行きたくない。


 ただ、去年あんなに楽しみにしていた遠藤さんが花火を見れなかったのは私のせいでもある。学校の人たちに彼女と関わっていることが知られたくないため、遠くの場所を選んで遠藤さんに痛い思いをさせてしまった。

 

 だから、今年はその責任を取るだけだ。

 別に二人きりでなくてもいい。


 去年のことをふと思い出すと遠藤さんの浴衣姿が頭に浮かんできた。


 遠藤さんの浴衣姿があまりにも綺麗で一年経った今も頭から離れないでいる。通り過ぎる人みんなの目に止まるくらい綺麗だった。


 私が浴衣を着てもあんなに綺麗にはなれない。

 しかし、私が浴衣を着たら遠藤さんは驚いてくれるだろうか……なんて淡い期待が胸に現れてくる。


 私は無意識に真夜姉にスマホで連絡してしまった。

 

「真夜姉って浴衣とか持ってる? 家にあったりする?」


「お母さんたちの寝室のタンスに入ってるよ! 木箱みたいなのに入ってたと思う。着るの? 陽菜ちゃん絶対喜ぶね! 好きに使っていいから」

 

 姉の返信は驚くほど早かった。

 別に着るつもりはないが、どんなのか気になったので物音を立てないように階段を下り、両親の寝室に見に行くことにした。


 寝室を覗いてみると誰もいなかったので、そのことに安心しタンスを漁る。ほこりの匂いが漂うタンスの中、姉の言っていた木箱らしいものが見つかり、蓋を開けた。

 

 白藍しらあい色がベースでそれより少し濃い青色のアサガオの柄が入った浴衣だった。真夜姉が着ているところを想像すると、とても綺麗で似合っている姿が思い浮かぶ。

 

 斜め前にある寝室の化粧台に写る自分に浴衣を重ねてみる。



 とても、私には似合わない……。


 これでは豚に真珠だ。

 さらに、浴衣の着方もいまいちわからないので一人で着るには無理があった。


 

 母親に見つかる前に浴衣を元あった場所に急いで戻そうとすると、人が入ってくる音がして体が硬直してしまう。

 

 前みたいに酷い態度をもう取られることはないと分かっていても、体に染み付いたものは消えず無意識に反応してしまった。

 


 顔を上げると目の前に冷たくはないけれど優しくもない顔をした母がいる。

 

「……それ着るの?」

 

 母親の質問にうんともすんとも言わず立ちすくんでいると、母はその行動に何も言わず寝室を出ていってしまった。私は急いで出していたものをしまい、自分の部屋に戻った。

 


 先程ベットにダイブしたスマホを拾い、画面を見ると遠藤さんから連絡が入っていた。


「明日、舞達も一緒でもいい?」

「うん」

 

 さっき舞から連絡が来ていたとおりなので、別に驚くことはなかったが、次の遠藤さんの返信に少しだけ戸惑ってしまう。

 

「滝沢と二人が良かった」

 

 私には彼女の意図が全く分からなかった。別に誰と行っても遠藤さんからしたら花火が見られれば、変わらないのではないかと思う。だって、遠藤さんは綺麗な花火が見たいと言っていたのだから。

 

 最近、遠藤さんがよく分からなくて考えことが多くなった気がする。

 

「はぁ……明日大丈夫かな……」

 

 そんな不安を抱えつつその日は眠りについた。



 

 ***


 


 花火大会当日はあっという間に夕方になり、集合時間が近づいていた。

 

 私は自分の部屋で何を着ていこうかと服を並べ、顎に手を乗せて約二十分動けずにいた。


 真剣に考えていると急に部屋がノックされるので、大きな物音を聞いた時の猫のように体全身でびくっと反応してしまう。

 誰? と思いつつドアを開けると母がいた。


 

「――これ、今日着て行く?」

 

 母の手には昨日私が見つけた浴衣の木箱があった。


 今日、花火大会に行くともその浴衣が着たいとも話してないのになんでだろうと思いつつ、なにか答えなければと震える声を抑えながら声をかけた。

 

「着たいけど着方がわからないから大丈夫……」

 

 そう言って会話を終わらせようとすると母が勝手に部屋に入ってきた。私の部屋に母が入ることなんて数年ぶりで、母のその行動に驚き、棒立ちになってしまう。

 

「十五分くらいあればできるから早く服脱ぎな」


 母は私の服の袖をぎゅっと掴んで、私のことを真っ直ぐ見つめてきた。

 

 どういう理由か分からないけど、私に浴衣を着せてくれるらしい。母にそんなことをしてもらうのが久しぶり過ぎて、変な汗が全身に滲み呼吸が浅くなる。

 

 私は言われるままに服を脱ぎ、浴衣の袖に腕を通した。母の手際はとても良くて、直ぐに浴衣を着せられてしまう。

 

 部屋の姿見を見るとそこには綺麗な浴衣を着た自分がいた。あまりにも自分が不釣り合いで、目を逸らしたくなってしまう。

 

 

「そこ座って……」

 

 母は自信なさそうな声で私に指示し、私はそう言われたので自分の姿を見たくないのに鏡の前に座って我慢することにした。

 

 髪を触られて体が強ばってしまう。

 しかし、母の手は止まることがなく、こちらも手際よくセットされた。

 

 

 母の手が頭を撫でる。

 その母の手は昔と変わらず温かく心地いいものだった。そのことに目の奥がじんとなり、私は我慢することで精一杯だった。

 

 私の母親は何年経っても、何があってもこの人なのだろう。そう思わざるを得ない温もりだった。


 鏡を見ると、あっという間に髪の毛がセットされた自分が目の前にいる。両サイド三つ編みがされていてハーフアップのような形で後ろで止められていた。

 

 そのまま、母は自分のメイク道具であろうものを出して、私の顔に触れてくる。正面に母が居るが目を合わせることが出来ず下に視線を移してしまった。

 

 何を話していいか分からないし、今更話す会話もない。


 ただただ、気まずい時間が流れて行く。


 

 そんな私の気持ちはお構いなしに、優しく下地が伸ばされ、ファンデーションが塗られる。

 目元に私ではよく分からないメイクが色々と施され、眉も整えられ、最後に唇にリップが塗られて母の手が止まった。

 

「楽しんできてね」

 

 そう言って母は部屋から出て行ってしまう。


 その状態に呆気に取られてしまうが、時計を見ると集合時間に近づいていたので急いで出る準備を始めた。


 ふと、鏡に映る自分の姿を見ると、その姿に驚きを隠せなかった。

 私は浴衣が全然似合わないと思っていたが、浴衣が悪目立ちしないほどに私は綺麗に整えられている。

 メイクってすごいなと少し感心する。

 

 お母さんってすごいな――。

 


 遠藤さんは喜んでくれるだろうか。

 いや、なんで遠藤さんに喜んでもらわないといけないのかわからない。その変な思考を振り払って家を出る。


 たまたま、廊下にいた母にばったりと遭ったが、母は何も言わないで背中を向けて立ち去ろうとしていた。


 

「ありがとう……」

 

 聞こえたか聞こえていないか分からないけど、今できる精一杯の思いを伝えて、高鳴る胸の鼓動とともに家を出た。

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