第78話 大切な人
来る気は無かった。
ただ、舞が余計なことを言うから見に来てしまった。ゴールデンウィーク以降、遠藤さんとの勉強会は高総体が終わるまでほとんどしていない。
学校ではクラスが同じで席が隣なので会えるが、放課後の時間は学校の時間とは違い特別だったので、少し寂しい。
勉強会を減らした理由は、最後の部活を頑張りたいというのと、県大会に出場して、私の行く大学を知りたいためらしい。
それのためにそんなに頑張らなくていいのになんて思っていたが、もう一つ理由があるようだ。
なぜか、遠藤さんと美海ちゃんが取った点数で勝負していると聞いた。
美海ちゃんも家庭教師の時間を高総体までお休みしたいと言っていたので、なんか繋がった気はしたが、なんでその二人が勝負なのかとは思った。
そして、なんで舞はそれを私に伝えてきたのだろう。
勝負の理由を聞いても教えてもらえなかったが、遠藤さんがかっこいいから見に来いと言われた。
会場についたはいいものの、人が多すぎて緊張してしまう。
高総体(高等学校総合体育大会)は人で溢れかえっていた。
着いた会場は一階がコート、二階が観客席になっている。
県大会に行くことが決まり、みんなで喜びあっているチームあれば、今日で引退する三年生がいて泣いているチームもある。
この場所は色々な感情が入り乱れている。
遠藤さんたちは今日の試合に勝てば県大会に行けるらしい。
私は観客席の一番前に座ることにした。
一人だとどこでも空いているので、一番見えやすい特等席に座ることができた。
前に練習試合を見に来て欲しいと誘われた時にバスケのルールを勉強し、それ以降もたまにプロの試合なんかを見るようになったから、結構ルールには詳しいと思う。
試合は二クォーター目が始まっていた。
ポニーテールの遠藤さんがすぐ目に入る。
「遠藤さんってキャプテンだったんだ……全然知らなかった……」
遠藤さんは四番のユニフォームを着ていた。
声がけ、チームのまとめ方、チームの雰囲気作り、そしてコートでのプレイ。どれもきらきらしていてかっこよかった。
チームを引っ張っているその姿と普段とのギャップがすごくて遠藤さんか疑いたくなる。
舞は五番のユニフォームを着てコート内の選手をよく見てパス出しをしていた。そして、十六番のユニフォームを着る美海ちゃんが見える。
美海ちゃんはあんなに小柄なのに俊敏な動きと芯のある動きで相手のディフェンスをかいくぐりシュートをもぎ取ってくる。
普段の美海ちゃんからは想像できない動きだ。
「遠藤さん——」
遠藤さんが放つシュートは何度見ても綺麗だ。
ブレがない。
遠藤さんの手から離れたボールは、素人の私でもこのシュート入る気がすると思わされる軌道を描いている。
ボールがしゅぱっと綺麗な音を立ててリングを通る。
スリーポイントシュートが華やかに決まった。
そこで二クォーター目終了のブザーが鳴った。
三十四対二十七
遠藤さんたちのチームが七点差で負けている。ただ、最後のシュートが決まりチームの指揮が高まっていた。
二クオーター目と三クオーター目の間にある長い休憩のハーフタイムでは、遠藤さんを中心に真剣に話し合いが行われていた。
私が見つかればみんなの集中が切れる可能性があるので息を潜めるように観客席に座っていた。
三クォーター目の開始のブザーが鳴り、試合が再開する。
相手の遠藤さんに対するディフェンスがかなり厳しくなった。
当たり前だ、スリーポイントシュートというのはそんなに決められては困るものだからだ。
点数の差を一気に詰めて相手を追い込むのは二点のシュートより三点のシュートだ。
しかし、遠藤さんはその厳しいマークをものともせず、二点のシュートより明らかに難しいスリーポイントシュートを、二回連続で決めていた。
タイミングのずらし方が上手で、相手のディフェンスがついて来れていない。
三十六対三十三
三クォーター目開始早々、一気に点数差が詰まる。
見ているだけの私が試合に出ている気分になり、心臓がどくどくとうるさく鳴り続ける。
あんなに真剣な遠藤さんの顔は初めて見た。
そして、この会場にいる誰よりも輝いていた。
勝って欲しい……。
勝っても勝たなくても私は遠藤さんに行きたい大学を教えるつもりだったが、試合に勝って遠藤さんが喜んでる顔が見たいと思った。
そんなことを考えていると、信じ難い事故が起きる。
遠藤さんのマークをしている相手がわざと遠藤さんの足が変な方向に曲がるように故意的に押しているように見えた。
足を引っ掛けるような感じだ。
遠藤さんはその押しに耐えられず足首が変な方向に曲がっていた。
審判の笛がなる。
アンスポーツマンライクファールのジェスチャーが挙げられる。
普通のファールとは違い、悪意のある妨害をすると取られるペナルティだ。
遠藤さんが足首を押えてうずくまっている。
レフリータイムに入った瞬間、遠藤さんのチームメイトが遠藤さんを囲んでいた。
胸の辺りの動きが激しくなり、息が苦しい。
遠藤さんは大丈夫なのだろうか。
遠藤さんが歩けなくなったらどうしよう。
遠藤さんの苦しそうな顔が遠くからも見える。
あんなに苦しそうな遠藤さんがいるのに私はここであたふたすることしかできない。
遠藤さんにあんなことをした相手に怒りが込み上げる。
遠藤さんは一度ベンチに運ばれた。
遠藤さんはかなり絶望的な顔をしていたが、急いで足を冷やし、直ぐに自分の足にテーピングを巻き、コートに出ていった。
足は少し引きずっているように見える。
何をやっているんだ……。
あんな状態になってまで、私は頑張って欲しくない。
そんなに頑張る理由って何?
私が素直に行きたい大学を答えていれば、遠藤さんは今も無理はしていない?
今言ったら遠藤さんは苦しい体で試合に出るのを辞めてくれるだろうか。
いや……やめてくれるわけは無い。
遠藤さんは私が思っている何倍も頑固だから、今何を言っても止まることはないと思う。
そして遠藤さんは諦めが悪い。
歩けなくなっても試合に出ると言い続けるだろう。
だったら、今、私にできることは……?
遠藤さんのあの辛そうな顔を変えることが少しでもできるのなら。
体は無意識に立ち上がっていた。
震える足をしっかりと地につけて息を吸う。
会場は色々な音でうるさい。
私なんてすぐに消されてしまいそうだ。
ただ、今この瞬間だけは消されないようにと力を込める。
「遠藤さん、絶対負けないで!」
自分でもびっくりするくらい大きい声が出たと思う。
誰よりもびっくりした顔で遠藤さんが私を見てくる。
ああ、遠くてよかった……たぶん、私の顔は誰にも見せられないくらい酷いことになっていると思う。
遠藤さんに近くで見られなくてよかった。
色んな人の視線が集まると私の顔により熱が集まるのを実感する。
でも、そんなの気にせず真っ直ぐ遠藤さんを見つめた。
遠藤さんは満面の笑みで親指を上げてグッドポーズをしてきた。
こんなに色々な音でうるさい会場なのに、自分の心臓がどくどくと鳴っているのが分かる。
その笑顔がしっかりと私に向けられたものだと思うと胸が熱くなった。
舞が遠藤さんより嬉しそうに私のことを見ていた。
美海ちゃんもガッツポーズを取って私を見ている。
私はなんて素敵な人たちに恵まれたんだろう。
今日見に来て正解だった。
最高な友達と後輩の大切な試合を最後まで見届けることが出来る。
遠藤さんが真剣な顔に戻り、フリースローに入る前に舞と美海ちゃんと三人で、なにやら作戦会議をして試合に戻っていた。
足の怪我なんて無かったかのようにフリースローを2本決めて同点まで追いつく。
相変わらず遠藤さんに対するディフェンスは厳しかった。
ただ、バスケットボールというのはチームスポーツだ。
チームメイトのミスはチーム全体でカバーしなければいけない。相手チームが遠藤さんばかりに集中していると、コートの中心がガラ空きになる。
そこを突くように美海ちゃんが中にバンバン切り込んでシュートを決める。そうなると、相手のディフェンスは中心に集中するようになる。
今度は外側にいる遠藤さんが空くのだ。
舞はそこを絶対に見逃さない。
遠藤さんがボールを寄越せという動きで待っている。
ボールが吸いつくように遠藤さんの元に届き、そのボールは吸い込まれるようにゴールに入る。
逆転だ。
遠藤さんたちのチームの連携はすごかった。
チームのエースを怪我させて、チームバランスが崩れるのは普通、遠藤さんたちのチームのはずなのに、遠藤さんは絶対にそれさせなかった。
相手に弱いところは見せず、むしろ追い打ちをかけるくらいだ。
その姿は私に勇気を与えてくれる。
「遠藤さん、ずるいよ……」
私の友達も後輩も遠藤さんもみんなかっこいい。
最後まで目を離せなかった。
試合終了の合図が鳴った。
最終的に遠藤さんたちが七点差で勝った。
ベンチもコートの人たちも泣きながら喜んでいる。
遠藤さんは笑っていた。
すごい素敵な笑顔だった。
あんな素敵な笑顔を一番近くでみれるチームメイトの人達に嫉妬してしまうくらい、綺麗だった。
試合が終わり、遠藤さんを探す。
何を伝えたいとか、何を話したいとかは決まっていなかったけど、遠藤さんに会いたい。
その気持ちだけが私を突き動かしていた。
広い会場を走り回ると舞を見つけることができた。
「はぁはぁ——舞、ほんとお疲れ様」
呼吸を整えて舞に声をかける。
「星空! 来てくれてありがとう。正直、あの時の陽菜、心折れてたから星空が来てくれて良かったよ」
舞はニコニコとそんな話をする。
そんな舞に聞きたいことがあるので被せ気味に話をしてしまう。
「遠藤さん、どこにいる?」
「足痛いの冷やすためにあっちの建物の陰にいる。みんなに心配かけたくないから1人にさせてくれって言われたんだけどね」
舞の話を最後まで聞かずに私は「ありがとう」とだけ伝えて走った。
こんな時まで一人で何とかしてしまおうとする遠藤さんは馬鹿だと思う。
もっと誰かを頼ればいいのに。
もっと誰かに甘えればいいのに。
そして、その誰かが私だったらいいのにと思った。
遠藤さん……遠藤さん…………。
早くあなたに会いたい。
息が苦しくなる。
建物の陰に隠れるように足を冷やしている遠藤さんを見つけた。
遠藤さんが私に気がついたようだ。
「滝沢……あの、えっ?!」
遠藤さんを自分の方に引き寄せた。
足がつかないように抱き上げるようにして遠藤さんを抱きしめる。
「滝沢! 今、汗たくさんかいて汚いから離して!」
「絶対にやだ」
遠藤さんの匂いがする。
沢山汗をかいて服が濡れていて、生暖かい。
今はそれすらも心地いいと思った。
私がずっと抱きついて離さずに居たからか、遠藤さんは抵抗することを諦めたらしく、体からは力が抜けていた。
「遠藤さん、かっこよかった。誰よりもかっこよくてちょっと惚れた——」
「えっ?」
遠藤さんを抱きしめていた腕に余計に力が入る。
何も考えないで来たから語彙力がなくて、上手く伝わったか分からなくて恥ずかしいと思った。けど、自分の素直な意見だ。
「頑張ってる遠藤さん、きらきらしてて、私も遠藤さんみたいにかっこよくなりたいって思った。いつも遠藤さんはたくさんの勇気をくれる。私、これからのこと頑張りたいと思えた」
一気に喋っていた口を一度と閉じ、息を整える。
「だから、ありがとう……」
いつもいつも不安な私に遠藤さんはたくさんのものをくれる。
生きる希望も、家族と向き合う力も、これからを変える力も。
そう言って遠藤さんの顔を見ると、顔が真っ赤だ。試合たくさん頑張ったんだなと思いその頬に触れる。
人が沢山いるので遠藤さんを抱き締めるだけにしているが、本当なら遠藤さんの頬に唇にキスをしたい。
そんなことはできないので、もう一度彼女を強く抱きしめた。
私から遠藤さんをこんなに抱きしめたのは初めてかもしれない。
遠藤さんのこと大切にしてるって思われたくなかったからそういうことはしたくなかった。
そういうことは大切な人にしかしないと思っているからだ。
母親がそうだった。
昔は私を大切そうに抱きしめてくれた。ただ、私のことがどうでも良くなってから1度も抱きしめてくれなくなった。
だから、怖かった。
自分が大切にされるのも、自分の大切な人を作るのも。
失うのならば最初からない方がいい。
しかし、どうしても自分の中ではもう嘘をつけない感情が溢れ出てしまう。
私にとって遠藤さんは大切な人だ。
どんなに怖くても辛くても、それは変えられることのできない事実なのだと実感した。たぶん、もっとずっと前から遠藤さんは大切な人だったんだろう。
見て見ぬふりをしてきた。
自分が傷つかないように。
でも、もうそんなことはどうでもいい。
遠藤さんが私をどう思ってても、私は私だ。
私が遠藤さんを大切にしたいと思うから大切にする。もし、遠藤さんが私の前から居なくなっても、私の中には大切な遠藤さんはずっと居続ける。
それでいいと思った。
どれくらいそうしていたかわからないけど、遠藤さんが口を開いた。
「滝沢——」
「ん?」
私がわけも分からずきょとんとしている間に遠藤さんが優しく唇を重ねてくる。
遠藤さんはいつもそうだ。
私ができないことを簡単にやってのけてしまうのだ。
「応援来てくれてありがとう。滝沢が居なかったらたぶん負けてた。滝沢のさっき言ってくれたの私のセリフだよ。いつもたくさんの力をくれてありがとう」
遠藤さんは優しく微笑んでいる。
そう言われて自分の中で込み上げる温かさがあった。
遠藤さんに出会えてよかった。
前の私のままでは、一生知ることのない感情を遠藤さんは沢山教えてくれる。
きっと、それは遠藤さんと出会えわないと知ることの出来なかった感情だ。
「遠藤さんそれより足」
「あーこれくらい大丈夫だよ」
彼女は笑顔を作っているが、きっと痛いし無理しているのだろう。
「試合中、遠藤さんに怪我させた人のこと、後ろから刺そうかと思った」
「滝沢ならやりかねないから冗談に聞こえない」
私の冗談か本気か自分でも分からない言葉に遠藤さんは楽しそうに笑っていた。
「舞たちのところ行かないとでしょ」
「うん」
「おんぶするから早く乗って」
「え、自分で歩くからいいよ」
遠藤さんに背中を向けたのにそれを断られた。私は自分の行動が拒否られたことに少し不機嫌になってしまう。
「言うこと聞かないならこっちにするから」
そう言って遠藤さんをすくい上げるようにひょいと抱き上げた。
遠藤さんが去年の夏祭りに行った時より軽くなっていて心配になる。
「ま、まって! これならおんぶがいい! これはさすがに恥ずかしい!」
私の背中を拒否したことずっと後悔すればいいと思った。
恥ずかしがる遠藤さんがさっきのかっこいい遠藤さんとは違うのでそのまま意地悪することにした。
私の腕に横に抱きかかえられた遠藤さんと目が合ったので、べーっと舌を出してそのまま歩いた。
やたらニヤニヤしている舞に遠藤さんを預けて、私は自分の家に向かう。
家までの帰り道、一人で歩いていると色々なことを考えてしまう。
——遠藤さんが大切。
認めてしまったらもうその事実は消すことが出来ない。
あんなに怖かったことが、今はすんなりと受け入れられる。
心に空いた大きな穴が少しずつ小さくなるような感覚になっていた。
家に着くと母親とたまたまばったり遭った。
同じ家にいるのだから当たり前のことだ。
いつも無視されるし、私だって声をかけることはしない。
ただ、遠藤さんに今日はたくさんの勇気をもらった。
今の自分が前の自分より少しくらい成長していると遠藤さんに胸を張れるようになりたい。
「ただいま——」
母親の動きが一瞬止まった気がしたが、そんなことは気にせず自分の部屋に戻ることにした。
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