第46話 冬が訪れる ⑵

 インターホンを鳴らすと遠藤さんが不思議そうな顔をしている。


「滝沢も泊まるの?」

「光莉さんの監視役としてきた」


 私は遠藤さんの顔も見ずに中にスタスタと入る。別に悪いことはしてないのに、遠藤さんがなんでみたいな顔をするからそれが気に入らなかった。私はただ光莉さんの監視役としてきただけだ。


 遠藤さんが既にご飯を作ってくれていて、家の中はおいしそうな匂いで溢れていた。


「光莉さん嫌いな食べ物とかあります?」

「アレルギーも嫌いなものもないよ!」

「良かった。回鍋肉作ったんでどうぞ」


 遠藤さんは学校にいる時みたいな顔をしている。光莉さんがいるから、無意識に自分を作っているのだろう。


 私が居るのにそういう顔をされるのは嫌だ。いやだけど、遠藤さんの素直な表情は誰にも見て欲しくない。


 私の考えは矛盾している。

 いつから遠藤さんの表情についてこんなに考えるようになったのだろう……。



 そんなことを思いつつ回鍋肉を口に運ぶ。

 

 おいしい……。


 よく、胃袋を掴まれたら終わりだ、なんて言葉があるけど、私はとっくに遠藤さんの料理に胃袋を掴まれている気がする。

 光莉さんも遠藤さんの料理の虜になったりするのだろうか。


「わぁ、おいしいね!」


 光莉さんがどんどん遠藤さんの回鍋肉を食べ進め、私の食べる分が無くなりそうなので、それに負けじと私も勢いよく食べたらむせてしまった。


「滝沢、大丈夫?」


 遠藤さんが心配そうに私の背中を優しくさすってくれる。


 光莉さんが悪い。遠藤さんのおいしいご飯をどんどん食べてしまうから変に焦ってしまった。そんなことを思っている間にも遠藤さんの料理がどんどん無くなるのだ。



「でも、真夜の作った料理も負けじとおいしいよ」


 光莉さんは真夜姉と暮らしているので当たり前に真夜姉の作る料理を食べるのだろう。私は姉の料理食べたことないな、少し食べてみたいなと思った。


 誰の料理をおいしいと思うのも自由だが、そう思うのなら遠藤さんの料理をそんなに食べないで欲しいと少しばかり苛立ちを覚える。


 遠藤さんを見るといつものニコニコの表情で口を開く。


「光莉さん明日も泊まるんですよね? 是非、真夜さんも連れてきてください」と訳の分からないことを言い出す。


 顔は笑っているが声が笑っていない。


 そうに決まっている。自分の料理よりおいしい人の料理の話をされたら嫌に決まっている。


「え! 陽菜ちゃんがいいならいいよ! 連絡しとく!」



 光莉さんは楽しそうだ。

 私は全然楽しくない。

 嫌な予感しかしない。


 私だけ行かないわけにもいかないので明日は四人でお泊まりをすることになった。明日のことを考えると頭がガンガンとし始め、明日が訪れることが憂鬱になる。




 ご飯を食べ終わり、片付けも終わると光莉さんが急に遠藤さんに抱きつき始めた。さっきから気になっていたが、遠藤さんは家だからかパジャマのボタンを外していて胸元が見えるか見えないかくらいになっている。そこに身長のそんなに高くない光莉さんの頭が収まる。


 心臓がドクドクと鳴り、動く度に胸が痛い。


「陽菜ちゃん今日はありがと! 陽菜ちゃんすごい良い匂いする。シャンプー何使ってるの?」


 そう言って遠藤さんの髪の毛をクンクン嗅いでいた。それはどうも、なんて言って遠藤さんがそのままでいる。

 

 …………

 

 無意識に体が動いていた。

 結構強い力で光莉さんの腕を掴んでいたと思う。そうすると光莉さんがキョトンという顔をして、口を開く。


「星空ちゃん、そんな私とハグしたいの?」


「そういうことでいいです」


 可愛いねぇと言いつつ光莉さんは私に抱きついてきた。


 さっきまでこの小さい体が遠藤さんの体に当たっていたかと思うと少しむかむかしてしまったが、光莉さんが私に収まるのと同時にその気持ちは徐々に収まった。


 遠藤さんと体を寄せた時には当たっている部分が熱くなっていくのを感じるのに光莉さんに対しては抱きつかれても何も感じない。


 ただ、遠藤さんの体に顔を埋めた光莉さんがちょっと許せないのでぎゅっと腕で縛りつける。


「星空ちゃん苦しいですぅ」


 小さくて軽い光莉さんをひょいと持ち上げてお風呂場に運んだ。


「遠藤さんはもうお風呂入ってたんだよね? 光莉さんお風呂に入れてもいい?」


「うん……」


 遠藤さんの声はいつもより少し暗くて元気がない気がした。

 そんな遠藤さんをリビングに残し、光莉さんはそのまま大人しくお風呂に入った。


 遠藤さんと二人きりになる。


「遠藤さん急にごめんね」


 そう言って遠藤さんの隣に座ると肩がぶつかる。遠藤さんに当たっている肩が少し熱を帯びている気がした。


 遠藤さんを見ると大丈夫だよと笑顔で言っているがそれは光莉さんに見せる顔でいつも私といる時の遠藤さんはそこに居なかった。

 私の機嫌は一気に悪くなる。



 さっきの光莉さんの行動といい、2人になっても作った顔をする遠藤さんといい、むしゃくしゃしてしまう。



 遠藤さんの胸元のボタンを外す。


「滝沢——? 今日勉強とかしてないよ?」


 わかっている。


 今は私がしていることは勉強を教えた時かつ遠藤さんの同意がないとやってはいけないことだ。


「あとで、遠藤さんの言うことなんでも聞くから今は黙ってて」


 そういうと遠藤さんは大人しくなった。


 鎖骨の下あたりを指で撫でる。

 遠藤さんがビクッと一瞬体を動かし反応している。


 最近こういうことをしないようにしていた。


 ただ、今はこのやり場のない感情を遠藤さんにこうやってぶつけることしか出来ない。


 指で触れていた部分を唇で吸う。


 強く強く消えない跡が残ればいいと思った。


 私が唇を当てていた場所はしっかりと赤くなり、そこに私が居たことを示してくれる。


 場所を下に落として胸元の部分にも同じく赤い跡をつけた。


「滝沢……痛い……」


 多分、噛んだりしたから痛かったんだと思う。


 でも、今は嫌でも黙って受け入れて欲しい。




 光莉さんと真夜姉のせいだ。


 見たくないものを沢山見た。


 遠藤さんの耳を噛む。


 みんな、すぐに遠藤さんと仲良くなって下の名前で呼んで……。


 遠藤さんも悪い。


 すぐにそうやって私の周りの人と仲良くなって、私と関わってるいるよりもそっちの人の方が良くなるんじゃないかとかそんな不安に襲われる。


 みんなに陽菜とか陽菜ちゃんとか呼ばれている。私だって遠藤さんのことを名前で呼ぼうとしたけど、呼ぼうとすると心臓がドクドクうるさくて言えなくなる。


 遠藤さんの耳をもう一度強く噛む。



「いっ……」


 遠藤さんが痛いのを我慢しきれず、私の肩を離そうとグッと押す。



「遠藤さんのばか」


 聞こえるか聞こえないかの声でささやいて、私は遠藤さんから体を離した。



 遠藤さんの鎖骨と胸元にはしっかり跡がついてそれを指で撫でる。耳は噛んだせいか片方だけ赤くなっている。


 さっき光莉さんが鼻を近づけていた長い綺麗な髪を持って自分の鼻に押し当てる。

 

 前から思っていたが遠藤さんからはお花のいい香りがする。その匂いを嗅いでいるとクラクラとするから、悪い花の香りを使っているんじゃないのかなんて思う。

 

 遠藤さんは反対側を向き、ボタンを上まで閉めていた。


 

「――滝沢の変態」


 そう言うと遠藤さんはいつもうるさいくせに今は黙ってしまっている。お風呂の方から物音がして、私がお風呂に入る番になったので私はお風呂場に向かうことにした。


 遠藤さんと光莉さんを二人きりにするのは不安だが、もし光莉さんが遠藤さんに何かしてもさっき付けた跡があるから大丈夫だ。



 大丈夫だと思っても、心は焦っていてシャワーだけ済ませて急いで上がった。部屋には遠藤さんしかいなかった。



「光莉さんは?」


「少し話したら眠いって言って、こっちベット一つしかないから、あっちの部屋の寝室のベットに寝せた」


 そのことに少しほっとする。


 ほっとしていると、遠藤さんが優しい顔で近づいてきた。


「髪乾かさないと風邪ひくよ? ちゃんと温まった? 上がるの早かったけど。髪乾かそうか?」


 遠藤さんがタオル越しに私の頭を撫でる。


「乾かして」


「――いいよ。こっちおいで」


 遠藤さんはベットに座って私はその下にもたれかかって髪の毛を乾かしてもらった。


 遠藤さんの手が優しい。


 髪を乾かされて居るだけなのに眠くなる。


 光莉さんが居なくなって気が抜けたのか、一気に眠気が来ていた。


 布団を探すと前の時みたいに私の布団はひかれていない。


「さっきなんでも言うこと聞くって言ったよね?」

「——うん」

「一緒に寝てほしい」


 たしかに勢いでそんなことを言ったがそんなお願いをされるとは思っていなかった。

 眠かったはずの眠気がどこかへ行き、心臓の音だけが残る。

 

 約束を守るだけだ。


 遠藤さんと布団に入る。


 私は仰向けで横になると遠藤さんが私の手を握ってきた。


「なんで手握るの」


「さっきあんなに色んなことしたんだからそれくらい許してよ」


 たしかに、かなり酷いことをしたかもしれないがそれが私と手を繋ぐ理由にはならない。

 

 遠藤さんがボタンを閉めているから赤い跡は見えない。

 遠藤さんが横になり私に身を寄せて、右腕にぎゅっと抱きついてきた。右腕に心臓が付いたみたいにどくどくうるさい。


 遠藤さんの体が当たる。

 柔らかい胸が当たる。


 寝れない……。



 遠藤さんから寝息が聞こえてきた。


 前もそうだ。


 遠藤さんはすぐそうやって安心すると寝る。


 私を置いて寝るのだ。


 はぁとため息をついて羊を数えるのであった。

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