第42話 秋風 ⑴

 夏休みが終わってからも遠藤さんとの勉強会は続いている。


 しかし、バスケ部は三年生が引退して、遠藤さんは部活が忙しくなったようで週に二回会えればいい方だ。そのくらいの距離感の方が私たちにはちょうどいい。


 最近、遠藤さんにお願いすることは肩もみとか、昼寝して起こしてもらうとかそんな事だ。


 図書館で勉強する日もあるが、遠藤さんの家で勉強することが多くなった。他の人がいないのでそっちの方が集中できる。



 ただ、もうキスしたり、遠藤さんに噛み付いたり、指を舐めさせたりそういうことはしない。あれは距離が近くなりすぎて、遠藤さんが大切なものだと錯覚してしまう。


 大切なものは作らない。


 それは私が決めている事だ。


 


 学校の廊下で遠藤さんとすれ違うと無意識に彼女の表情を見てしまう。


 やっぱり、遠藤さんは作り笑いで過ごしている。そういう遠藤さんを見てほっとする自分がいる。



 遠藤さん少し顔が痩せた気がする……ちゃんと食べているのだろうか。


 私が見すぎていたせいか遠藤さんと目が合ったので急いで逸らした。



「星空、陽菜のこと見過ぎじゃない?」

「そんなことない」

「そっかそっか。もう十一月だねぇ。早い早い。来年は受験生だよ、嫌になるね」


 そうだ、私たちには来年受験が控えている。

 私は行く大学を決めている。

 姉ほど優秀な大学では無いが、そこそこ成績が良くないと入れないところで、県外なので一人暮らしになる。

 


 学部は――。


 親の期待を取り戻そうとするなら絶対に医学部だ。


 しかし、私は医者になりたい訳ではない。


 じゃあ、何がしたいのか?


 したいことなんてない。


 ただ、遠藤さんに勉強を教えるようになって、教える楽しさを学んだ。自分の教えたことがその子の知識になり、成長する姿を見るのが好きなんだと気が付かされた。


 親に教育学部に行きたいなんて言えない。


 教育学部に行くなんて言ったら仕送りなんてしてもらえないだろう。一人暮らしで仕送りなしはかなり苦しいと思う。


 でも、行きたくない医学部に行ったら今と何も変わらない生活になるのだろ。


 はぁ……考えたくない。


 最近、考え事が嫌になる時、裁縫に没頭するようになった。夏に姉に教えてもらって以来、ずっと練習しているので、かなり上達したと思う。


 そしてこの間、ラブラドールの刺繍をしたらかなり上手に出来たのだ。市販の薄ピンクのハンカチにライトゴールド色の刺繍糸で刺繍した。


 やっぱり、遠藤さんって大型犬に似ている。


 別に遠藤さんにあげるために作った訳じゃないけど、私が持っていても遠藤さんを思い出すだけなので、この作ったハンカチは遠藤さんに押し付けるのが一番いいと思った。

 

 

 今日は遠藤さんと勉強の日だ。


 舞が今月誕生日なので、今日はその買い物に付き合ってもらうのが勉強を教える対価になっている。そして、買い物が終わったら勉強を教えることになっている。


 舞は何を買っても喜んでくれるから逆に何をあげたらいいか難しいので、遠藤さんに手伝ってもらうことにした。


 隣で遠藤さんは静かに着いてくる。


 一緒にショッピングモールを見ていると、遠藤さんがある雑貨屋さんでペンケースを見ていることに気がついた。


「それ欲しいの?」

「うーん。最近、ペンケース壊しちゃって、新しいの買わないとなと思っててね。あの黒猫居るペンケースすごい可愛いなって思って見てただけ。ここで、舞の誕プレ探してみる?」


 遠藤さんがそんなことを言って雑貨屋さんの中を見始めた。



 舞には香り付きのかわいいリップが喜ぶと遠藤さんが選んでくれた。遠藤さんはやっぱりセンスがいいので買い物に付き合ってもらって正解だったと思う。


 お会計を済ませて外で待っている遠藤さんに声をかける。




「遠藤さんって誕生日いつなの?」

「九月だよ」


 もう過ぎてしまっている。

 ならもう渡してもいいか。


「これあげる」

「えっ——?」

「いらないなら渡さないけど」

「いや、ほしい! 急だったからびっくりして……開けていい?」

「うん」


 遠藤さんが何が欲しいかはわからない。

 ただ、さっき見てたペンケースはかわいいって言ってたから大丈夫だと思うし、まあハンカチはオマケなので喜ばれなくてもいい。


「これさっきの……? あと、ハンカチ? 前、滝沢にもらった黄色のハンカチに似てるけど?」

「お姉ちゃんに刺繍教えてもらったから作ってみた。練習はしたけど、全然可愛くないし、いらなかったら捨ててもいいから」

「絶対捨てないし大切にする」


 そういって遠藤さんはそのハンカチをぎゅっと握りしめていた。



「滝沢の誕生日はいつ?」

「教えない。お礼とかいらないから」

「じゃあ、なんで私にくれたの?」

「なんとなく」


 ほんとに何となくの気まぐれだ。

 強いて言うなら、いつもおいしいご飯を食べさせてくれるのでそのお礼くらいに思っている。



「来年、受験だしちょうど使えるでしょそれ」

「う、うん……」


 遠藤さんがすごい困惑している。

 それはそれで面白いので、まあいいかと思ったが、どうせなら笑顔が見たかった。そのまま遠藤さんの家に着いて勉強を始めた。




 ***



 遠藤さんの家で勉強を始めてから、遠藤さんはなぜかソワソワしている。チラチラとこちらを見ている気もする。



「滝沢って十二月忙しい?」

「忙しいと思う?」


 遠藤さんは意地悪だ。私が部活も入っていないし、友達も少ないのでそんな予定あるわけないのにそんな話をしてくる。



「――二十四日とか予定ある?」

「ないけど」


 ないから即答したが、答えた後に後悔した。


 別にイベントとかは興味がないし、その日がイベントだからってなにか変わったことをするわけではない。


 ただ、遠藤さんとそういう日を一緒に過ごすのは嫌だ。


 遠藤さんと過ごすと何でもない日もなにかの日になってしまう。だから、そういうことを避けてきたのにこれでは意味が無い。


 自分から言ってしまったから仕方ないが、タイムマシーンがあるのなら今すぐに乗って五分前に戻りたい。



 遠藤さんはニコニコ嬉しそうだった。


「おいしいご飯たくさん作るから」


 そういって遠藤さんは勉強に戻った。



 完全にやってしまった。

 いまさら、無理だとは言えない。また一つ悩みが増えて、その日の勉強会は終わった。

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