第37話 食わず嫌い

 夏祭りの次の日、体力が無くて家で寝込んでいたら遠藤さんと真夜姉が私の部屋に来た。


 なぜあの二人が仲良くなっているのだ?

 前はお互いの話なんて聞かないみたいに仲が悪かったはずだ。




 遠藤さんは最近やたら私に触れたがる。


 勝手にキスしたり、抱き締めてきたり。


 しかも、今日は家に泊まりに来いなんて言われた。そんな急に言われも無理だし、まずそもそもなぜ遠藤さんの家に泊まらないといけないのかわからない。

 


 私の部屋は静まり返っている。

 

 姉が居てくれた期間は親の興味が姉に集中するので過ごしやすかったが、姉がいなくなった今、また息を殺して家で過ごす生活が始まる。


 別に前と何も変わらない。


 苦しくなれば図書館に行けばいい。図書館なら勉強もできるし裁縫の練習もできる。


 ただ、姉がいる時間が長かったせいか、前に戻っただけなのに少し息苦しい。


 遠藤さんから夏祭りの時にもらった、机の上にあるラブラドールのぬいぐるみがこちらを見ていた。



 遠藤さんはきっと私が来なくても家で料理を作って待っているだろう。


 別にそれがどうしたって話だけど、ご飯は一人で食べるより二人で食べた方がおいしいのは、遠藤さんが教えてくれたことだ。



「んー……」


 遠藤さんのご飯はほんとにおいしいので、食べて損はないということで、ご飯を食べに行くことにした。


 誰かの家に泊まったことがないので、こういう時どうするのが正しいのかわからないが、とりあえず、パジャマだけ持って、コンビニでお菓子や飲み物の差し入れを買って遠藤さんの元に向かう。



 家の前に着くと、ご飯のおいしそうな匂いがふわふわした。


 小さい頃は姉と遊んで、家に帰ってくると母が玄関で迎えてくれた。大好きな母に抱きつき、「ご飯ができてるから早く手を洗ってきなさい」と言われて姉と二人で競走なんかしていた。


 今の家では、二度と母は私を迎えてくれないだろう。別に迎えて欲しい訳ではないが、こうやってたまに過去のことを思い出してしまう。



 緊張しながらインターホンを鳴らすと、さっき着ていた私服ではなく部屋着になっている遠藤さんが迎えてくれた。



「来てくれたんだ……」


「来いって言ったのそっちでしょ。ご飯食べたかっただけだから」


 そういうと、遠藤さんの口角が少し上がり、いつもとは違う優しく微笑んだ顔で「どうぞ」と言ってくれた。



 遠藤さんにいつか好きな人が出来て、付き合って、手を繋いで、キスをして、愛し合ってそういう行為をして、旅行もデートも何回も重ね、沢山の思い出を作り、結婚するのだろう。


 そして、その相手には、みんなに見せるような作った顔ではなく、今、私の前だけでするみたいな素直な表情を見せるのだろう。

 

 遠藤さんと結婚した人は毎日こうやって出迎えてもらえる。


 そんなのが少しだけ羨ましいと思う最近の私は遠藤さんの馬鹿が移ってしまったんだと思う。



 遠藤さんと少ししか過ごしていないのに、あまりに多くの思い出があり過ぎたせいだ。




 

 遠藤さんと結婚する人は相当の幸せものだと思う。


 ご飯おいしいし、綺麗だし、優しいから……。


 そんなことを考えていたら、刺されたこともないのからわかるはずもないのに、胸にナイフが刺されてるのってこんな感じかと思わされる痛みが胸に走る。



 遠藤さんとは卒業したらもう会えなくなる。


 それは学校の友達も同じだ。


 だから、近づき過ぎないようにしていた。


 なのに、遠藤さんはこっちの壁なんかひょいと乗り越えて私の中心に触れてくる。



 だから嫌なんだ。


 誰かと思い出を作ったり、楽しいことをするのは。



 そんなことを考えていると、遠藤さんが顔を覗いてきた。


「滝沢すごい顔してるよ? こっちの方がかわいいからこういう顔してな?」


 遠藤さんが勝手に私の頬をつまんで口角を上にあげてくる。なんかむかついたので、その手を強く振り払い、遠藤さんを無視してリビングに向かった。


 やっぱり今日は来ない方が良かった。あの家に居るよりはましだと思って来たが、また一つ遠藤さんとの思い出が増える。




「ご飯食べよう? 手洗ってきな。荷物は私の部屋に持っていくから」


 そういって遠藤さんは私の荷物を部屋に持っていってくれたので、私は洗面台で手を洗うことにした。


 

 ふと、鏡を見ると、すごい酷い顔をしている自分が写っている。


 最近、自分の顔なんて見る必要も無いから、全然見ていなかった。私は遠藤さんにあんなに色々な表情を求めるくせに、自分は嬉しい時ちゃんと笑うことが出来ていないと思う。



 外からはザーッという音がなり始めた。


 天気予報では今日は大荒れの天気だとテレビで言っていたことを思い出す。


 天気は人間の感情みたいなものだと思っている。

 さっきまで晴れていたのに急に雨が降ったり、しばらく晴れない日が続いたり、ずっと曇りが続いたり、雨から急に晴れたり。


 家族と関わらなくなってから、私の天気はずっと雨か曇りだ。


 一生晴れることはないと思っている。




 洗面台をあとにしてリビングに向かうとたくさんのご飯が並んでいた。遠藤さんが作ったものはなんでこんなキラキラしているんだろう。


 今日は何か一つのメニューと言うよりは沢山のおかずが並んでいた。



「滝沢の好きな食べ物とか分からないから、色々食べておいしいもの見つけたいなって思った」


 そんなもの知らなくていい。

 なんでそんな必要のないことを彼女は実行するのだろう。



 遠藤さんは笑っている。


 私の前ではだいぶ自然体で笑うようになったと思う。

 遠藤さんの笑顔は綺麗だと思う。


 顔が整っているからとかそういうのではなく、何故か綺麗だと思ってしまうのだ。


 

 席に着くと遠藤さんが説明を始めた。


「これが生姜焼き、これはきんぴらごほう、これはピーマンの肉詰め、こっちはポテサラ、これは肉じゃが」


 すごい量だ。

 中には作り置きのものとかあるらしいが、私が来なかったら一体これをどうしていたのだろう。


 一人で食べたのだろうか。


 いや、遠藤さんが一人で食べようとなんだろうと私には関係のない話だ。


 関係はないのだけれど、もしかしたら私のためにこんなに作ってくれたのかと思うと少しだけ胸が熱くなる気がした。


 席に座って箸を取る。


 私の口に運んだものはどれもほんとにおいしかった。

 特に生姜焼きと肉じゃがは絶品だ。


 遠藤さんが嬉しそうにこっちを見ながら

「滝沢、生姜焼きと肉じゃが好きでしょ? そしてピーマンもしかして嫌い?」と聞いてくる。


 なんで、分かるのだろう。


 私の食べるものが偏っていたせいだろう。それにしたってよく見ているなと感心してしまう。


「ピーマン嫌い」


 ピーマンは苦くておいしくない。


「これ、一口食べてみない?」


 ピーマンの肉詰めを口の近くに運ばれた。

 普通なら食べないが、遠藤さんがせっかく作ってくれたのだから一口くらい食べてやってもいいと思った。ピーマンは小さい頃に食べて苦いというイメージがついてからひたすらに避けて生きてきた。

 苦いというイメージだけが頭に鮮明に残っていて、味なんかは全く覚えていない。


 恐る恐る口に運びゆっくりと咀嚼する。


 遠藤さんが口に運んでくれたものはピーマンの苦味はなく、口の中にじゅわっと肉汁が溢れた。ピーマンは甘みのある野菜になっていて詰められた肉とマッチしている。


 遠藤さんがどうだ! って顔をして私を見てくる。答えるのはなんか嫌だったので、もう一つピーマンの肉詰めを口に運んだ。

 

「ピーマンは嫌い。でも、これなら食べれる」


 どんなに可愛げのないことを言っても、遠藤さんは優しく微笑んでいた。そんな遠藤さんを見ていると嬉しくなる自分もいたりする。 




 ご飯はあっという間に食べ終わり、片付けを手伝うことにした。


 二人で台所で片付けをしているが、沈黙が続き、外の雨の音が家の中に響く。



「急に降ってきたねぇ」


 遠藤さんは窓の外を遠い目で見つめている。


 今日はあの息の詰まるような家に帰らない。


 だから、雨が降ってても大丈夫だ。

 

 心がじわじわと温かくなりながら、黙々と食器洗いをした。

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