第29話 印

 遠藤さんがソワソワしてる。


 何かあったのだろうか?

 気になるけど面白いので、そのままにしておこうと思う。



 明日は遠藤さんと夏祭りに行く約束の日だ。

 正直、とてもめんどくさい。

 やっぱりイベントは嫌いだし、行ってもなんのメリットもない。家で勉強していた方が私にとっては今後のためになるのだ。




 今年の夏は例の勉強会により、遠藤さんの家にいる。今日もその日になっていた。


 友達の舞よりも遠藤さんの方が会っているのは変な感覚になるのだが、今日も勉強を教えて、その対価を貰う。


 少し前に姉と勉強した時の遠藤さんはすごい不機嫌そうだったけど、今は機嫌が良さそうだった。




 遠藤さんは人気者だから夏休みなんて予定がパンパンに詰まっているかと思ったけど、私とこんなに勉強してていいのだろうか。


 まあ、そんなことを私が考える必要も無いのだけれど、少し気になってしまう。


 ふと、舞とこの間遊んだ時の話を思い出した。


 ***


「星空ってさ恋人出来たらなにしたい?」

「なにってなに」

「例えば手を繋ぎたいとか、デートしたいとか」


 そもそも大切な人も大切な思い出も作る気はないのだから、したいことなんてないに決まっている。


「特に何もない」


「えーつまらない! 例えば夏なら花火一緒にしたいとか、お祭り回りたいとかあるじゃん!」


「ないねぇー」


「ほんとこの子はつまらない子だ……じゃあさ、恋人じゃなくてもさ、その人が他の人と関わってると嫉妬したりとか、独占したいってなる人はいないの?」


「……」


 言葉に詰まってしまった。

 別に好きでも大切でもなんでもないが、遠藤さんが誰にも見せないあの素直な表情は私だけが知っているし、私以外知らなくてもいいと思っている。


「おっと、言葉に詰まったということは居るのですな」


「居ないよ」


「いいなぁ……私も好きな人に独り占めして欲しい。キスマークとか付けられるの憧れる」


 舞にそんなに願望があったとは意外だった。


「欲求不満なの?」


「失礼だな! だってさ、付けられたらしばらく跡残るし、跡が残れば見る度に思い出すじゃん。その逆もあるよ? 相手がいつでも自分のこと思い出してくれるようにとか、他の人が見た時に誰か想ってる人がいるんだってなったら最高じゃない?」


 舞が言いたいことの半分は理解出来ないが、半分はなんとなく理解出来てしまう自分が怖いと思った。


「まずは好きな人探すところからでしょー」


「ごもっともです」


 ***


 ぼんやりとそんな話を思い出す。


 


 夏なのに遠藤さんはいつも爽やかだ。

 ほんのりお花のいい匂いがする。


「遠藤さん」


 真面目な顔で遠藤さんを見ていたと思う。


「何かしたいこと決まったの?」


 私が名前を呼ぶだけで、言うことを聞かないといけないとわかっている遠藤さんは、聞き分けのいい大型犬だ。


「今日は何されても動かないで」


「へ? ――わかった」


 遠藤さんの隣に近づく。


 緊張で心臓がどくどくとなるが、気にしないことにした。別に悪いことなんてひとつもしていない。遠藤さんに勉強を教えた対価を貰うだけだ。


 遠藤さんのネクタイを緩め、シャツのボタンを三つ外す。


 遠藤さんの胸元が見え、薄ピンクの派手すぎない柄の下着が見える。


 遠藤さんの顔を見るとすごい顔をしていて、眉毛がくっつきそうなくらい眉間にシワが寄っていた。

 そういう顔の方が、学校で友達といる時の遠藤さんよりかわいいと思う。


「滝沢の変態。何するの」


「いいから黙って」


 遠藤さんの鎖骨の下あたりに唇を当ててじりじりと吸う。遠藤さんがどんな顔しているのか見えないし、今は自分の顔を見られたくなかった。


 私の唇を当てていた場所は赤く内出血が起きている。


 付けてみれば、少しは舞の気持ちがわかるかなと思ったけど、なんだこんなもんかと思ってしまった。

 自分の行動が恥ずかしくなり、それをかき消すようにその跡を噛んだ。


「滝沢、痛いんだけど」


「はい。今日はこれで終わり」


 遠藤さんがキョトンとしている。

 その反応が正しいと思う。


 私の行動は自分でもよく分からないのだから遠藤さんは尚更分からないだろう。


 ただ、わかることは遠藤さんの鎖骨の下あたりにある赤い印は確かに私がつけたもので、遠藤さんのその困った表情を見れるのも私だけだ。


 そう思うと気持ちがふわふわ浮いている気分になる。


 遠藤さんはいそいそと胸元を隠しボタンを閉めていた。



 行きたくはないが約束は約束だし、遠藤さんが忘れててれたら嬉しいなと思いつつ、明日のことを聞いてみる。


「明日、何時にどこ」


「えっ、約束覚えててくれたの?」


 私は約束は忘れない。むしろ、遠藤さんが覚えていたことに驚きだった。


「嫌なら行かないけど」


 バタバタと焦って遠藤さんが近くに来た。若干、頬が赤い気がしたが気のせいだろう。


 いや、友達でもあんな近くで胸元見られて、さらに唇を押し当てられたら恥ずかしいに決まっているか。


「明日、あの公園に十七時に集合でどうかな」


 遠藤さんは何が怖いのか分からないけれど、恐る恐る聞いてくる。


 約束はしっかり守るのが私のポリシーだ。


 別に遠藤さんと一緒に夏祭りに行きたい訳ではない。


 約束を守る、ただそれだけだ。


「……わかった」


 それだけ会話を交わして今日の勉強会は終わった。

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