第12話 大好きなオムライス
寝れない……時計の針は一時を指している。
明日学校なのに起きられなくなってしまう。そんな焦りから余計眠れなくなってしまう。
嫌なことがあって寝れないわけではない。今日の出来事に胸が高鳴って眠れなかった。
こんなことは久しぶりだ。
遠藤さんはお礼にオムライスを作ってくれると言った。
オムライスは大好きな食べ物だった。
小さい頃、お母さんが勉強を頑張った日によく作ってくれた。しかし、今はもうお母さんの作るオムライスの味を思い出せない。
もう何年もお母さんのオムライスは食べていない。
自分が好きだったものが分からなくなるこの感覚が不安になり、舞とオムライスの店に行くことにした。
お店のオムライスはおいしかったが、お母さんの作ってくれたオムライスの味がもっと思い出せなくなった。
大好きだったオムライス。
人間の記憶は曖昧な部分が多く、忘れてしまうことの方が圧倒的に多い。母の作るオムライスはそのは一つに溶け込んだだけだった。
***
「星空、顔色良くないけど大丈夫?」
舞が心配そうに見ているので、申し訳ないと思って笑顔を向けた。
「おいしくてびっくりしてた」
「びっくりして顔が真っ青になるとか星空らしいね」
舞はくすくすと笑っている。
好きなものがまた一つ減った。もうこの先思い出すことは一生ないのだろう。そう考えると胸が苦しくなる。
またひとつ、私をこの世界につなぎとめる理由が無くなった。
***
そんなことが先週あって、もうオムライスは飽き飽きなのに遠藤さんに押し切られ夕飯を食べることになった。
一人で暮らすにはあまりにも大きな一軒家に連れてこられる。
遠藤さんは一人暮らしだと舞から聞いていたので、舞に嘘をつかれたのかと呆れて中に入る。しかし、その考えは間違っていたのだとすぐ気がついた。
仏壇には若い男性と女性の写真が飾られていた。男の人は穏やかな顔で、お母さんは遠藤さんにとても似ている顔つきの人だった。
しばらく、凝視してしまっていると、遠藤さんの方から亡くなった両親だと告げられる。あまり、人の家庭環境に触れるべきではないし、私も聞かれたくないのでそれ以上、聞かないでおくことにした。
「今からオムライス作るんだけど嫌いじゃない?」
よりによってメニューはオムライス。
断れる訳もなく「うん」とだけ答える。
せっかく作ってもらうのに、この前の出来事を思い出して胃が痛くなる。ここにいると色々な感情が混ぜられて自分がぐちゃぐちゃになる。まるで今、遠藤さんが溶いている卵のようだ。
遠藤さんのせいで、お母さんが作ってくれたオムライスを思い出してしまった。黄色いオムレツの上に、よくケチャップで可愛いクマの絵を書いてくれて、それを喜んで食べた。
また嫌な記憶を思い出してしまう。
暗いことを考えるのはやめよう。頭の中の悪い思い出をブンブンと振り払った。
私にはほかに頭を悩ませている出来事があった。遠藤さんにこれからも勉強を教え続けなければいけないといことだ。
悪い気はしないが、遠藤さんはこれから勉強を教える度にお礼をすると言うと思う。見返りを求めて教えている訳ではないので、何かいい対策を考えないととこっちにも頭を悩ませていた。
最初、勉強教えてくれと言われた時はからかわれているだけだと思った。しかし、遠藤さんは思いのほか勉強に集中し、学校で中の下だった成績が上位三十位に入るほど伸びたのだ。
なにがそんなに遠藤さんを突き動かすのか理由が気になる。
そんなことを考えていると、遠藤さんが料理を作り終えて歩いてきた。
遠藤さんの持ってきたお皿に乗っているオムライスに瞬きをすることが出来なかった。
お店で出てくるようなオムライスにそっくりだ。
よく動画で見るみたいに、遠藤さんはオムレツの真ん中を切って、ぶわっと形をギリギリ保っているとろとろのオムレツが飛び出す。
ゴクリと自分の唾を飲み、オムライスにスプーンを伸ばす。
卵の部分は柔らかく、とろとろだ。スプーンで綺麗な形を崩してしまうのが勿体ないくらい、綺麗な形だった。
スプーンですくうと、中から赤いオムライスの具が出てくる。
その絶妙な色合いが、私の食欲をそそる。
口にオムライスを運んだ。
卵の絶妙なトロトロ具合とオムライスの具の相性が抜群で、口の中に幸せが広がる。
誰に取られる訳でもないのに、次々と口に運んだ。
遠藤さんの作ったオムライスは、私の記憶の中にある、どのオムライスよりも遥かにおいしく、優しい味がした。
出来ることならずっと食べていたい。
そこで、食べるのに集中し過ぎてしまったと現実に戻り、遠藤さんを見た。
目が合い、遠藤さんの頬が少し緩んでいるのがわかる。
「味大丈夫だった?」
本当はすごくおいしかったし、沢山褒めるべきなんだろうけど、素直になれなかった。「まあまあ」なんて愛想も可愛げもない回答をしてしまい、少し後悔している。
遠藤さんは洗い物を始めようと、席を立とうとする。
お礼……。
しっかり言わないと……。
今まで、人と関わろうとしてこなかったことを改めて後悔した。
こういう時、笑顔で何がおいしかったとか、また食べたいなんて素直に言えたらいいのだけど、今の自分にはバンジージャンプより難しいことのように感じる。
「……遠藤さん、ごちそうさま。ありがとう」
今、自分の出来る精一杯のお礼だった。
遠藤さんにどう思われてるか分からず、顔を俯いてしまう。遠藤さんは何も言わず洗い物を始めていた。
時間が過ぎるのはあっという間で、時計の針が十時にさしかかろうとしている。
いくら一人暮らしとはいえ、遅くまで居るのは迷惑だろうと思って、家を出る準備をした。
おいしいかった。その一言だけでも伝えたい。伝えてすぐに家を出ればきっと顔を見られないだろう。
「――おいしかった」
遠藤さんの顔も見ず、そう口にして急いで家を出ようとする。しかし、遠藤さんにそれをはばかれた。
急に後ろから抱きついてくるから心臓が飛び出そうになる。すぐに振り払おうとしたが、遠藤さんの体が震えている気がしたのでできなかった。
「また食べに来てよ」
そう言われて、また食べれるかもしれないことに心が踊った。しかし、確かじゃない未来の約束はしたくないし、期待もしたくない。
「気が向いたらね」
相手に期待させないように、そして自分も期待しないようにそう伝えた。
遠藤さんのオムライスはおいしかった。
お母さんはオムライスを作ってくれなくなったし、今後、私に作ってくれることは無いだろう。
しかし、私の好きな物は変わらずオムライスで、遠藤さんの作るオムライスがまた食べたいと思った。
今日の出来事を振り返って居たらいつの間にか眠り、朝になっていた。
遠藤さんは、美人で学校の人気者で運動ができて勉強もそこそこできて料理も上手だ。
嫉妬してしまいそうなほど完璧だ。
しかし、友達の前では笑顔で取り繕って自分の本性は見せない。だから本当は腹黒いやつなんだろうと思っていた。
けど、昨日の彼女の料理は心温まる料理だった。
また、いつか食べられたらいいなと思いつつ今日も学校に向かった。
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