第8話 黄色いハンカチ
一人でも強く生きたいと願った。
天国のお父さんとお母さんに自慢できるような人生を過ごし、いつか二人に会った時にたくさんの思い出話をしよう。
二人の自慢出来る子になりたい。
そんな思いで毎日が必死だった。
人に嫌われないように。成績優秀でいよう。家事は全部一人で出来るように。私が二人に胸を張れるようになるには、完璧でなければいけないと思っていた。
***
今日は学校を休んでしまった。理由は一昨日のお泊まり会だ。友達は男女関係なく大好きだし、大切にしたい。
一人は寂しいし、家に誰かが居てくれることは心にぽっかり空いた寂しさを埋めてくれる。
この家で誰かの話す声を長らく聞いた覚えはない。そんな私の甘い心があのような事態を生んだのだ。
目の前の光景は、見ていられないものだった。好奇心から男女で触れ合うその光景に背筋が凍った。
吐き気すらも覚えた。
先程まで友だと語り合った人と、こうも簡単に触れ合えるものなのだろうか。
「おれ、陽菜のこと好きなんだよね」
友達から一番聞きたくない言葉だ。友達からそんなことを言われたら、どうすればいいのか分からない。
私は今のままでいい。
みんなが楽しければいい。
そう思って色々考えて行動してきた。気を使って、笑顔を絶やさず過ごして、息を潜めて暮らしていた。
自分の行動は間違えていたのだろうか……?
「陽菜の家、みんなのお泊まり場所にしようよ! 何してても邪魔されることとかないし!」
それはどういう意味?
「ちょっと、それは言い過ぎだよ」
「いいじゃん。陽菜がちょっと羨ましいよ。うちは親があれやれ、これやれってガミガミうるさくて。早く自由になりたい」
自分が友達だと信じていた子からそんなことが言われ、私の意識はその場からだんだん遠のく。寝室の奥の仏壇に置いてある、お父さんとお母さんの顔が曇っているように見えた。
その日は寝れなかったし、次の日もこうやって学校を休んでしまった。昨日、この家であったことは中学生くらいの男女なら普通に有り得ることなのかもしれない。
しかし、私はお父さんとお母さんが守ってきたこの家を汚すような行為をしてしまったことに、自分を
毎日、お父さんとお母さんに挨拶をするのに、今日は足が重くて、挨拶に行けなかった。
明日から学校に行きたくない……。
今まで、多少のことなら我慢できた。自分が我慢すれば、上手くやり過ごせることが多かった。ただ、これ以上我慢するのは無理そうだ。
二人に胸張って生きると決めたのに、真逆の行動を取ってしまう自分に嫌気が差していた。
そう、私はどう頑張っても完璧にはなれないのだ。
出来損ないの、欠陥品。
そんな言葉が一番似合うだろう。
お父さんとお母さんに会いたい。
もういっそのこと……。
その日は一日中そんなことを考えていて、気がつけば夜になっていた。明かりを1つも付けずソファーに座って居た私は、胸を刺す痛みから逃げるように外に出ていた。
その日は、真冬で夜の気温は氷点下を下回っていて、とても寒い日だった。何も考えず、薄着で外に出てきてしまったことを後悔する。
ただ、今は家には戻りたくない。
近くの公園のベンチで座って、わけもなく時が流れるのを待った。
――寒い。
手足の指先に感覚はなくなっていく。
先程まで感じていた体の熱もどこに行ったのかと思うほどなにも感じなくなっていた。体の感覚もどんどん消えていく。
たぶん、このままでは死んでしまう。
死んでしまう?
「ここで死ねたらお父さんとお母さんに会えるかな……」
目をつぶった。
神様、いい子でも完璧な子でもないですけどお父さんとお母さんの元に連れて行ってください。
………………
「あの、そこ私の定位置なんですけど……」
ハッと目を開けると、少しだけ体に感覚が戻る。私は冷たさで固まってしまった顔の筋肉を無理やり動かして言葉を発した。
「あっ、すみません……」
顔を上げると、公園の暗めの電灯に照らされた少女が目の前にいた。その日は雲ひとつない日で、見上げた少女の後ろに映る星が綺麗だった。
彼女の髪は、紺色に近い夜空に馴染むような綺麗な色だった。
彼女はすごい不思議そうな顔をしている。
この辺りでは見ない顔だ。
同じ中学校でもないと思う。
「——これ使えば」
おもむろに黄色い刺繍の入ったハンカチが渡される。
なぜハンカチ? と思った。
寒さで顔の感覚がなかったから気が付かなかった。目からこぼれ落ちた涙が私の太ももに落ちていた。
焦って拭おうとするが、それを遮るようにハンカチを前に出され、それを受け取るしかなかった。
「それ要らないからあげる」
私の手には可愛らしいハンカチが乗せられた。
「なんか私が悪い事したみたいじゃん。はぁ……」
そんな小言をもごもごと口にして、彼女は立ち去ってしまう。
受け取ったハンカチで涙を拭いた。
さっきまで、体から消えていった感覚が徐々に戻り、胸の奥にじんと染み渡る熱が感じられた。
「今日、こんなに星が綺麗だったんだ。お父さんとお母さんと一緒に見たかったな」
私は重い腰をベンチから上げ、家に向かった。
もし、あのままだったらお父さんとお母さんに会えたかもしれない。でも、名前も知らない黒髪の少女が声をかけてくれなければ、こんなに綺麗な星空を見ることも、それをお父さんとお母さんと見たいと思うこともできなかった。
きっと生きていなければ感じることの出来ない感情。
明日から学校に行こう。
完璧じゃなくてもいい。
どんなに不恰好でも、もがいて足掻いて生きてみよう。
黒髪の少女から貰ったハンカチをぎゅっと握って星空に誓うのだった。
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