第7話 新しい放課後

 今日は約束の日だ。


 舞に勉強を教えることはよくあったし、勉強教えることは好きなので、人に勉強を教えることは問題ないが、相手が問題だ。


 勉強の約束は週三回。私が予備校に行く日以外の空いている日で、夜の七時から十時まで近くの図書館で実施することとなっている。


 遠藤さんは部活が終わってから来るので少し遅くに設定した。


「お待たせー! 待った?」

「勉強してたから大丈夫」


 何度考えてもおかしい。


 なぜ、私は友達でもない遠藤さんに勉強を教えなければいけないのか。断るタイミングを失ったので、六月の中間テストが終わるまでは我慢しようと思った。



 ここ数日こうやって、遠藤さんと勉強しているが、見た目に反して彼女は勉強に集中している。勉強を一から教えて欲しいというよりは、わからないところを説明してもらって、しっかり理解したいというタイプの人だった。


 これに関しては、私も助かっている。舞と勉強した日なんか、宿題を押し付けてきて私が全てやらなければいけない。


 ふっと横を見ると遠藤さんの横顔があって、相変わらず綺麗な横顔だと思った。


 部活をしてきたはずなのに、爽やかさが漂っていて、ミントの香りがしそうだと思い、鼻に集中してしまう。



「どうかした?」


 彼女の声にはっとし、すぐに、自分の手元のノートに目を移した。



「遠藤さん、なんで私なんかに勉強教えて欲しいって話してきたの?」


 てっきり、屋上に居たことやハンカチの話がされるのではないかと構えていた。しかし、そんな私の気持ちを裏切るかのように、遠藤さんは雑談をほとんどせずに勉強している。



「早く大人になりたいかな。滝沢が私に興味持ってくれたことの方が嬉しいなぁ」


 はにかんだ笑顔でそんなことを言ってくる。冗談なのか本気なのかよく分からない顔だ。


 やはり、彼女と一緒にいるといろいろと考えることが増える。自分の勉強に集中して、早く時間が過ぎるのを待とうと思った。


 今日もそんな感じで勉強会が終わる。


「今日、一緒に帰ってもいい?」


 いつもとは違うことを遠藤さんが言ってきた。十時まで勉強したらいつも帰るタイミングはバラバラで、そんなことは言われたことがなかった。意味のわからないことに眉間に皺を寄せながら「なんで?」と聞いてしまう。



「勉強してる時、話とかできないし、普通の話もしたいなって」

「私は話すこと特にない」

「冷たい! もっと優しくしてよ!」


 舞みたいなことを言って悲しそうな顔をしていた。私はそんな彼女に自分のペースを乱されないように急ぎ足になる。


「私は帰るから。じゃあまた」


 私は彼女を置いて歩き出した。




「——なんでついてくるの」


 遠藤さんがニコニコと着いてくる。


「私も家こっちなんだ」

「そう」


 何を言っても彼女の笑顔は崩れない。ここ数日、遠藤さんと過ごす時間が多くなったけれど、作り笑顔以外の表情は見たことがない。


 もっと、嫌な顔とか苦しそうな顔とかすればいいのに……そんなことを思う私は少し変わっているのかもしれない。しかし、彼女からは人間らしさが感じられないからそう思ってしまうのだ。遠藤さんはいつも笑顔の人形のようだった。



「あと一週間でテストだね。滝沢今回も一番取れそう?」

「さぁ。それよりいつまで着いてくるの?」

「家こっちだって言ったじゃん」


 相変わらず遠藤さんは笑顔で私の後ろを着いてくる。なんとなく、遠藤さんに家がバレるのが嫌で、家を通り過ぎてしまった。


 彼女に諦めてもらうために家の近くの公園に寄った。それでも彼女はついてくる。



 梅雨入り前の6月上旬は、雨はまだ降っていないがジメジメとした空気になっている。私は湿気で癖毛が酷くなるので、梅雨は嫌いだ。


 公園のベンチに座っていると、遠藤さんも隣に座ってきて、無言の時間が続く。


「滝沢、ほんとに何も覚えてないの?」

「なんのこと?」

「ここの公園とか……」


 遠藤さんがまた理解に苦しむ話を始めた。この公園は私がよく来る公園だ。しかし、嫌なことがあったり、一人になりたかったりする時にしか来ない場所になる。


 好きな公園かと言われると好きではないし、むしろ私の負の感情のたまり場に近いと思う。


「このハンカチ、滝沢がここで私に渡してくれたんだよ」


「へ?」


「ふぅん。ほんとに覚えてないんだ。滝沢のばか!」


 全く身に覚えのない話だった。しかも、ばかと言われるのは心外だ。これでも、遠藤さんよりは頭がいい。


「なんの事かほんとに覚えてないんだけど……何かした?」


「もう知らない! 私帰るから!」


 彼女が走り出して公園を出て行ってしまった。追いかけようと思ったがバスケ部の子に追いつけるほど私の足は優秀ではない。


 私は何もできないまま立ち尽くしてしまい、大人しく家に帰ることしか出来なかった。



『このハンカチ、滝沢がここで私に渡してくれたんだよ』


 ずっとその言葉が気になって、布団に入ったのに一向に寝れない。ほんとに身に覚えのない話だ……やっぱり気になるから聞いてみよう。


 ゴロンと転がってベットの脇に置いていたスマホを取った。連絡先を開いたが、遠藤さんと連絡先の交換なんてしていないことに気がつく。


 結局、何も解決しないまま私は次の日、寝不足で授業を受けることになった。

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