第2話 心が消えた日

 また、屋上に来てしまった。


 時刻は十四時頃だろうか。


 今日は十八時から二十一時まで予備校がある。その後が憂鬱だ……家に帰りたくない。家には、父親も母親もいる。しかし、私が帰っても「おかえり」と出迎える声はない。


 私は、あの家に歓迎されない存在なのだ。


 

 私はまた屋上の端に立っている。あと一歩踏み出せば楽になれる。楽になれるのになぜかその一歩が重い。


「はぁ……」


 後ろに下がって屋上の壁に寄りかかってまた空を見上げた。今は体育もないらしく、風も穏やかなので特に聞こえる音はなくとても静かだった。


 息を大きく吸って、目をつぶる。



 舞に悪いことをしたなと、少し反省している。それは、嘘をついたことに対してなのか、彼女が断られて悲しい顔をしていたからなのかよく分からない。


 ただ、謝ろうとは思わない。正確には、人と向き合って謝ったり、意見を交換したり、楽しんだり、そういうことが出来ないというのが正しい。


 感情の一部、いや、とても大切な部分が欠落しているのだと思う。


 そんな自分に呆れてしまい、人と関わることを極力避けてきた。


 高校は部活には入らず、勉強に集中している。みんなは部活なんかで友達を作ることが多いので、そういう意味では、舞はとても貴重な存在かもしれない。


 もっと大切にするべきだ。


 そう頭ではわかっていても、なかなか難しくて行き詰まってしまう。


 きっと、自分がこうなってしまったのは家族のせいだ。


 いや違う。


 全部、出来損ないの私のせいだ。






 私の家は、周りから見れば順風満帆じゅんぷうまんぱんな家だと思う。父親は医者、母親は専業主婦、そして、とても出来の良い四つ上の姉がいる。


 私が小学生くらいの頃は、ほんとにみんな仲が良かった。


 父親は忙しい仕事ではあるが、家族の時間を作れる時は作っていて、母親も私たちをとても大切にしていた。


 母親はとても優しい人で、転んで泣いて帰った日にはめんどくさい私が泣き止むまで頭を撫でてもらっていたことを今でも覚えている。


 今考えれば、幸せだったと思う。



 父親は私たちに医者になって父親の病院を継いで欲しいと願っていた。私たち姉妹のどっちが跡継ぎでもよかったのだ。義務教育が始まると父親も母親も私たち姉妹に熱心に勉強を教えてくれた。


 姉は小さい頃からとても優秀で、高校は県内で一番頭のいい高校、大学はかなり優秀な人達が集まる医学部に入学した。


 一方で私は勉強がそこまで得意ではなかった。


 やってもやっても小学校のテストでは平均点を取るのがやっとだった。しかし、両親は次があると励まして、小学生なのに塾に通わせたり、勉強を教えてくれたりした。


 私もその期待に頑張ろうと努力したが、それでも、状況は変わらなかったのだ。



 私が小学生六年生の頃、姉は高校受験でいい高校に入学した。


 その辺から父親と母親の態度が変わり始めたのだ。もう私に勉強を教えたり、医者になれという話をしなくなった。


 その時はもう頑張らなくていいんだと安心していたがそれは間違いだった言う現実を直ぐに突きつけられた。



 小学校六年生のある日、家に帰ると電気が真っ暗で家の中には誰もいなかった。母親は必ず私が帰る時には居るので、少し困惑して家の中に足を踏み入れた。


 リビングの電気を付けると、メモとコンビニ弁当が置いてあり、急いでそのテーブルに駆けつけた。


『温めて食べてね』


 私はいつもとは違う状況に不安を感じながらもみんなの帰りを待つことにした。二十一時くらいに扉の開く音がして、ベットから飛び起き、玄関に向かう。


「おかえり……?」


 3人はニコニコしてこちらに見向きもしなかった。しばらく棒立ちしていると母親が「星空、ご飯食べたの? 今日はもう遅いから寝なさい?」と言った。いつもの笑顔で答える母親だった。でも、どこかおかしい。


「あの……どこに行ってたの?」


 聞きたいようで聞きたくないような質問をする。


「真夜が人生の第一歩を大きく踏み出した日だ。お祝いでご飯を食べてきた」


 なんで……? なんで私は連れて行ってもらえなかったのだろう……?


 姉みたいになればいいのか?


 テストで満点取ればいいのか?


 理由は何も分からなかった。分からないから私はのめり込むように勉強をするようになった。友達との約束は一切断って勉強をすればきっといいことが起こると思っていたのだ。


 しかし、その努力も無駄だと言わんばかりに、親は私にあまり話しかけなくなった。必要最低限の話はするし、衣食住も提供はしてくれる。ただ、それ以上はない。



 私はまた家族と楽しく話がしたいという思いだけで、姉と同じ高校を目指した。そこに行けば、きっとまた私に向き合ってもらえると浅はかな考えでいたのだ。


 しかし、結果は残酷だった。


 私は見事に試験に落ちて、滑り止めの高校に入学した。親の期待に答えられなかった自分に落胆し、絶望した。


 大学こそは、絶対にいいところに行ってみせる。そう、二人に誓った。しかし、合格発表の日の父親と母親の顔は今も忘れられない。


 私がまるで自分たちの子供ではないかのような目で私を見ていた。


 私がどんなにこれから頑張るから見て欲しいと懇願こんがんしても無視された。


 その時、目の前が真っ暗になって倒れてしまったらしい。自分の部屋のベットの上で目が覚めたと同時に先程のことを思い出し、胃液がの度まで上がってきていて気持ち悪くなり、苦しかった。


 その日から私は何に対しても興味がなくなり、何も感じなくなった。





 ……………



 目を開けるとそこには、いつもと変わらない屋上の景色が広がる。


 ――嫌な夢。ふぅーとため息をつく。


 久々にあの頃の夢を見た。


 考えないようにしていたが、今日は色々考えたから嫌な夢を見たのだと思う。


 親は私が大学卒業まで面倒を見てくれると言っていた。しかし、それは大学を卒業したらあの家とは縁が切れるということも意味していた。大学を卒業したら、一人で生きていかなければいけない。


 いっそ死んでしまえば楽なのに……。


 死んだら流石に家族は悲しんでくれるだろうか。いや、家にいても居ないもののように扱われているのだ。多分何も変わらないだろう。


 自分はどうすればよかったのだろうと今でも考えることがある。しかし、あの時の私にあれ以上のことはできなかったと思う。


 私は頑張るから見ていて欲しいと両親と向き合い、訴え続けた。


 親が私から目を背けたのだ。


 …………


 しかし、背けられたのは私の出来が悪いからだ。自分が悪いことを親のせいにしかできない自分が嫌いで、この世のどこにもいたくないと思ってしまう。


 両親と上手く向き合うことが出来なくなってから、人と真剣に向き合うことが怖くなってしまった。


 今日は、考えたくないことを沢山考える時間が多い。


 今なら……。


 私はいつの間にか、また屋上の端に立っていた。


 足が一歩前に出る。


 出た足が宙に浮く……これで全て終わる。

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