第6話 月夜の神狼

「ふふっ……外の空気はいいですね」


 手首を鳴らしながら優雅に歩く様は、捕食者のような貫禄がある。

 これではどちらが悪者かわからない。

 獣耳は隠してあるが、再びフードを被る。


「右と左、どちらから行きますか?」

「連れてこられた時は、こっちから来たはず……」


 イリスは記憶を辿り、右方向を指差す。ルートを逆に考えると、その後は左に曲がる。


「イリスさんよく覚えてますね。私はあんまり覚えるのは得意じゃなくて……」


 そんな感じですよね。全て壊して、最短ルートで行けばいいと思ってますよね?


 言葉にはしなかったイリスだが、あながち間違いではない。

 ユーリは方向音痴なので、その手もありだと思っている。


「とりあえず、向かってくる敵は全員倒しますので、とにかく走りましょう」


 言うが早いか、すでに一人の男を倒していた。

 イリスと会話をしながら、一人ずつ流れるような動きで倒していく。

 時には手刀、時には回し蹴り、と技を試すように嬉々として相手をしている……ように見える。


 小さい声ではあったものの「良い訓練になるわ、ふふっ」と弾んだ声が聞こえてきたのは聞き間違いではないだろう。


 年下だということを忘れてしまいそうだ。

 身長もイリスと同じくらいあるうえに、筋肉量は圧倒的にユーリの方が上だった。


 「はぁっ……はぁ、あとは正面にある門を抜ければ出られるはず!」


 何度も見つかりながら全力で走り、その都度逃げるルートの指示を出す。

 誰の家かはわからないが、随分と広い敷地だ。

 遠目からだが、外に通じる扉が見えてきた。

 漸くあと少し……というところでユーリが立ち止まった。


「イリスさん! 止まって!」


 静止するような形で手を広げるユーリ。

 その視線の先にはモラ男とヒョロ男がいた。


「ずいぶん派手にやってくれたな。どうせなら俺とも遊んでくれよ」


 遊ぶという言葉を出している割には、血管が浮き出てブチ切れそうな顔をしている。


「おいっ、ベス! お前はもう一人の女の方をやれ!」


 ベスと呼ばれたヒョロ男はあまり戦闘には乗り気ではないようだが、嫌とは言えず弱々しく是という返事をするのみだった。


「なんで脱走なんかしたんだよ。大人しくしてろって言ったじゃないか」

「いや、その命令に従う義理はないんで」


 対峙しているイリスが正論を返す。


 その間もユーリとモラ男は拳で語り合いをしていた。音もすごいが砂埃もすごかった。


「もう少しだったのに……俺が怒られる」


 ため息まじりに放たれた言葉は、モラ男へ向けられた言葉ではないようだった。

 一体誰に怒られるというのだろう、と考えていたその時——。


 後方から急に影が降りる。

 月の光に照らされるも、逆光で顔は見えない。振り返ると三つの人影があった。

 

 この時イリスは直感で、"神狼族"だと確信した。


 音もなく地面に降り立つ姿は、美しい獣を連想させる。

 全員がフード付きの外套を羽織り黒いマスクを付け容貌はわからない。

 気配もなく一人の男がモラ男の背後に立ち、一撃を与えると意識を失い倒れた。

 モラ男が弱いという訳ではなく、その人物が強すぎるのだ。次元が違う。

 さらに、もう一人いた男がベスに話しかける。


「誘拐された子たちは安全な場所に避難させとくって言ってなかった〜? 彼女、めちゃくちゃ危ないめにあってるじゃん。大丈夫? 怖かったでしょ?」


 イリスに話しかけてきたのは、目の下の黒子が印象的なタレ目の青年だ。

 砕けた話し方の中に優しさが滲み出ている。


 そして、その二人を従える形で沈黙を貫いている男がいた。


「あら? もしかして長様ですか……」


 微笑みを絶やさないユーリが目を見開き驚いている。


「目的は達成した……帰ろう」


 抑揚のない声でそれだけ言うと踵を返す。

 他の二人もそれに倣う。





 ——時は今朝まで遡る。

 イリスが魔石屋を出た後、村を出るまで心配だったミリザは密かに護衛をつけていた。

 すると一刻もしないうちに嫌な知らせが届いた。


「姉さん……さっきの子、例のグループに連れて行かれたよ」


 やっぱり。とは言いたくないが、嫌な予感が当たってしまった。

 村を出るまで様子を見るよう、弟のカリムにお願いしていたのだ。


「計画のこともあったから手は出さなかったけど、協力者と一緒だったし、大丈夫だと思う」

「あなた……本当に人の名前を覚えないわね」

「姉さん以外はどうでもいい」


 協力者とはベスのことだが、彼は神狼族ではない。

 ベスという名前も潜入するための偽名だ。


「イリスさん大丈夫かしら?」

「ユーリだっけ……あの子も一緒だし、大丈夫でしょ。勝手に戦って守ってくれるよ」


 言っていることは酷いが、的を得ている。

 実のところ、ユーリを鍛えたのはミリザなので、実力は折り紙付きだ。


「姉さんは何も心配せずに夜まで待っててね。あとは俺達でなんとかするから……ね?」


 少ししゃがんで、上目遣いでミリザを見つめる。


「わかったわ。あなた達を信じてる」


 まるで二人しかいないような世界観で話をしているが、現実はそうではない。


「もしもーし? 僕のこと見えてますか〜? その計画の話をするために来たんですけどー」


 タレ目の青年が、わざとカリムの目の前で手を上下に動かす。カリムはそれを当然のように無視する。


「エンジュ、うるさい。姉さんと話してる時は視界に入ってこないで」

「僕達はそのお姉さんに呼ばれたから来たんだよ……話がおかしくない!?」


 エンジュは苛立ちをあらわに、背後の人物に問う。


「長もそう思うよね!? 夜まで時間もないのに」


 長と呼ばれた青年も、静かに頷く。


「まさか長が動くとは思わなかったわ……お呼びしてごめんなさいね」

「それはいい。今回の目的は神狼族狩りではないことがわかった。ユーリが暴れて一族の者だとバレる前に助け出したい」


 長は表情は変えずに淡々と話す。

 

「協力者——ベスからの話では、物置小屋に閉じ込められているそうです。恐らく、もう一人の少女も同じ場所かと」

「カリム……名前を覚えて。イリスさんよ!」


 大好きな姉から言われれば、仕方なく覚える。


「僕達も夜になったら動き出そう。ベスが向こうの連中に睡眠薬入りのスープを飲ませる手筈になってる」


 さすがに全員は無理でも、大多数の敵が眠っていてくれれば救出率はぐんと上がる。


「イリスちゃんだっけ……その子も助けたらここに連れて来ていいの?」

「ええ。お願い」


 ミリザが、エンジュに一言付け加える。


「エンジュくん、イリスさんに手を出しちゃダメよ」

「なんで? 僕、女の子には優しいよ」

「そういうことじゃないの。あの子の持ってる魔石は特殊だから忠告しておくわ。彼女を護ろうとする力が強いからケガだけじゃ済まないかもよ?」


 魔石オタクのミリザが言うのなら間違いない。気軽に口説くのはやめよう。命は惜しい。


 そんなエンジュとは裏腹に長が興味を持った。正確にいうと、イリスではなく魔石に。


 どんな魔石なんだろう……。


 この青年も、ミリザに負けず劣らず魔石好きな青年であった。

 表情からはわかりにくいが、僅かに顔が綻んでいる。わくわくしていることは一目瞭然だった。


「長……無事救出したら、その子に魔石を見せてもらいましょうね」


 口下手な長のことだから、なかなか話題にできないだろう。さり気なく援護してあげよう。


 そう決意したエンジュであった。


 あとは、夜になるのを待つのみだ。

 

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