第3話 覚醒の朝

「……ここはどこですかね?」


 さぬきが目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。

 思考は明瞭。気持ち悪いくらいに冴えている。

 見る世界すべてが新鮮に映る。


 そして、更に言うなら……己の声がそれらよりもさらに新鮮すぎた。


「良かったぁ……。目、ちゃんと覚めたんだね……!!!」


 すぐに、その感想は塗り替えられた。

 今の己にとって唯一とも言える存在……晴(はる)。実の姉が、即座に抱きしめてくれたからだ。

 いつ見ても変わらない、19歳のときから変わらない容姿だった。

 異能強度は第一段階だが、不老という点は最初からのものだったので、ちょうど良いと力か脳か魂か、なにがしかが判断したタイミングで肉体は固定された。

 第一段階にしては強力すぎる異能と言えるかも知れない。

 異能バトル的な世界ではないので、力の多寡には大した意味などはない。

 日常生活や、仕事に生かせるか。活かせないならあまり意味があるわけでもない。

 役に立たない異能であるなら、異能者として生まれてもあまり意味なんてないのだ。

 どんなに無能で社会不適合者な人間でも、異能研究のために働けて、それがそれなりに給料が良い仕事でもある。

 ――そんな強力なセーフティネットが用意されている。それが能力そのものより先に挙げられる一番の特権だった。

 

「あ、ハル姉ですか。……これはどうなっているので?いや、大体のところはわかりますよ?『定命破壊(レコードブレイク)』の最終段階に覚醒したことによって昏睡していたんですよね?」


「そう……!なんだか唐突にさぬきちゃんと話したくなったから、電話をしたけど繋がらなくて……。時間を変えてもやっぱり繋がらない。おかしいと思って、家をなんとか特定して調べてみたら、椅子で眠っているあなたがいたの」


「特定って……まったく、ハル姉じゃなければ気持ち悪いし警察に突き出しているんですからね?」


「あ……ご、ごめんね?やっぱり気持ち悪いよね……」


 晴はあわあわとしながら落ち込んでいた。

 彼女は重度のブラコンであり、さぬきが真のチカラに目覚めた今では表現する言葉も変わっているが、弟『だった』存在のことを心底愛しているのは変わらない。

 ブラックな仕事をしていたのが不安だった。そこまでは、家族なら普通の範囲。なんなら、友達でも心配になるだろう。

 いくら体力的には余裕があると言っても、精神的にはずっと疲れ続けていたのだから。


 だけど、彼女の愛はそこでは終わらなかった。

 彼女はそれなりに優秀であり、高卒のさぬきとは違ってそこそこの大学も出ている。

 幸運にも恵まれて一流企業と呼べる会社に就職し、出世もしている。

 金には不安がなかった。

 だから、さぬきを自分の家に呼んで永遠に養いたいと思っていた。

 幸い、病気や事故にさえ気をつければ永遠に近い寿命を持っていたから、さぬきを養い続けることは不可能ではなかった。

 それでもさぬきより先に死ぬのはほぼ確定していたので、社会性を奪わないために諦めていたが……。


 それは間違った判断だったと今は認識していた。

 養えば良かったと。覚醒のための条件は知っているから。第四段階に目覚めるほど追い詰められたということは、常人なら狂い泣き叫ぶような苦しみにずーっと耐え続けるくらいはしていたのだろう。


 せめて、もっと頻繁に連絡を取って心労を取り除いてあげれば良かったと思っていた。


「でも……こうなる前に気付ければよかったな。もっと早く実行するべきだったかも。後悔してるよ。なんで連れ戻さなかったのかって」


 さぬきの側はそんな姉の心配や愛情が嬉しかった。感動しそうになるくらいには心が動かされていた。

 心地よかった。

 

 でも、いくら気力がないと言っても養われるだけというのはもう嫌だった。

 ニートだった時期は自分の無力を知らされているようで辛かった。

 曲がりなりにも10年以上マトモに働けたことで、最低限の自信やプライドというものも再び手に入れた。


 だから、能力の覚醒が近いと知らなかったら、そのうち結局働いていたのだろう。

 

 なんとなく怖いので避けていたが、異能の研究に役立つことは難しくなかったとも思う。

 第三位階のサンプルはとても少なかったから、給料も弾んでくれるはずだ。

 能力の性質的に、表に出せないような辛いこともされたかもしれないが、それでもそれに見合うお金は貰えただろうし、危険手当的なものも出るはずだ。

 異能の性質的に、寿命が減るわけでもない。いや、減るくらいならむしろ望むところだろう。

 永遠に生き続けるわけにもいかないのだし。

 

 社会貢献しているという自負も得られただろう。精神的にも、あの居酒屋の正社員として働くより辛いことはないと信じていた。

 それは想像に過ぎなかったが、実際に地獄から天国ほどの違いはある。


 養われるという選択肢は今更存在していなかったのだ。


「それは言わないで欲しいですね。こんな見た目ですが、一応成人しているんですから。なかなかのおっさんですよ。見た目はクソガキだし、体はバリバリの健康体ですけど、そこは事実です。……ところで、見た目と言えばなんですがね。もしかして、なにか変化が起きたりしてません?具体的には……絶対に取り返しのつかない変化とか」


 さぬきの中ではもっと大事なことがあった。

 今後の人生が大きく変わるかも知れない。単に異能の最終段階に至ったというだけでは終わらないかも知れない。

 違和感があった。

 まずは、体の感覚が縦に伸びていた。


 劇的な変化ではなかったが、確実に違う。

 せいぜい数cmの変化だ。

 149cmが157cmにまで伸びたという程度。

 さぬきにとっては劇的な変化だが、他者から見るとまだまだ子供なのには変わりがない。


 ここで終わってくれていたら、単純に嬉しい変化だと言えただろう。だが、これでは終わらない。


 ……胸が窮屈なのだ。


 さぬきは己の胸元をちらりと覗く。ふだんならなんとも思わないだろう。強すぎる自己愛も、ショタコンの趣味もないのだから。


 だけど……少々小ぶりながらも、明確に主張している山が二つあった。


 そして、股のあたりが妙にスースーする。感覚が全く違った。

 ……もはや確定だろう。

 

 だけど、細部から大きな部分に至るまで変化しきったその体を、どう動かせばいいかなんていうのはなんとなく頭に入っている。

 なんなら、前の体よりもっとうまく動かせるだろう。それが異能進化によって得た新たな特性なのかもしれないし、単に元から再生能力に含まれていた部分が進化しただけなのかも知れない。


 ずーっとキャッチボールもしていなかったのに、リハビリなしでいきなり151キロというプロ並みの球速を叩き出したくらいだから。

 投球技術も足りないし、変化球も昔のままだから大したものが投げれない。

 肝心の直球も、お辞儀したノビのないものだった。

 

 そしてなにより、タッパがあまりにも足りなすぎる。

 高校野球の中堅校あたりを相手にして投げたら、いくら速い球を投げられると言ってもボコボコのメタメタに打たれるだろう。

 今どき、高校野球でも150オーバーを投げる投手も強豪校ならばいちょくちょくいるのだから。


 だが、当時より身体能力が跳ね上がっているというだけでは説明がつかない。


 あんな速い球を久しぶりの状態でいきなり投げられるなんて言うのは、センスの塊とかそういう言葉では表現できないだろう。

 天才?違う。たしかに眩すぎる才能はあったし、才児ではあったけど、身長がちゃんと伸びたとしてもどこかで挫折していたと今では思う。所詮はその程度だ。

 鬼才?化け物じみているから似合うかもしれない。

 だが違う。そんな表現が似合うほどの選手とは思えなかったから。

 

 ……少なくとも第三段階に至った時点でこの特性は得ていたのだろう。

 とりあえず、この部分については元からだと結論付けた。


 それよりだ。


「鏡、見せてもらえませんか?」


 さぬき自身も良くわかっていない。だけど、この変化は嫌ではないような気がしていた。

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