第78話 疑惑
―イポーリ・ダンジョン中層、気候エミュレート区画、管理棟1階オフィス部分にて―
『もうちょっとコンテナの隙間埋めときたいな。ベノの方は何かみっかった?』
『うーん、あらかた拾っちゃいましたからねぇ。あ、この標識とかどうです?なんでこんな所に落ちてるのか不明ですけど。』
そう言って、附子島が壁のラックの最下段から引っ張り出したのは、古代の交通標識だ。
こうして生成・配置されている以上は恐らくダンジョンの一部、恐らくは人工生物が人間社会のルールを理解できるか否かをテストするための備品だったのだろう。
もう居ない誰かの定めた目印が、もう居ない何かのために今も製造され続け、結局はこうして単なる金属クズとして消費されようとしている。
『諸行無常、強者どもが夢の跡、ですねぇ。』
『はん?なんそれ?昔のことわざ?』
鳳ツバサは古代知識に関しては門外漢だ。
クイズ企画で使う豆知識程度ならともかく、今や古文の教科書でも目にしないような、古い古い慣用句にまでは明るくない。
『あっ、ごめんなさい。ちょっとオタク出ちゃいました。』
『いーよいーよ、どんどん出してって〜!ツバサちょっと学力がアレなんで、乗れなかったらゴメンだけど。』
あっけらかんと笑う鳳の声には、ある種の諦念が含まれていた。
人種と知性の間に有意な相関関係は無い。
そう言う事になっている。
だから、この話はここで終わりだ。
大将と仰ぐ主の操作に従い、TS4-
重量バランスの関係上、バズの増設カーゴコンテナは、肩部ではなく左腕部に保持するようになっている。
コンテナに収めきれない長尺貨物も、はみ出た部分を右手で保持する事で運搬が可能だ。
そして、その受け渡しの際に、互いの頭部が近づく事を利用して、通信に乗らない近距離高速通信を行う事も。
『なぁ、イヴさん。向こうと合流する前に、ちょっと聞かせてもらいたい事があるんだけど、いいかな?』
『何だ?』
主の意向か、このゴーレムの自己判断か。
いずれにせよ、ひそひそ話とは珍しい事だ。
もっとも、つい先日イヴの友人達も似たような事はしていたが。
『…あのハル君ってのは、いったい何者なんだ?』
瞬間、イヴの中で、バズに対する要警戒度が跳ね上がった。
「…何者、とは?」
ハルに何か後ろ暗い物があるとでも?
イヴのスピーカーから絞り出された声の、そんな底冷えするような響きに、バズは慌ててかぶりを振る。
『ああ、悪い。別にあの機を悪く言おうってんじゃないんだ。ただ、協働前の下調べで、強いって事以外に何も分からなかったもんだからさ。』
嘘はついていない。
事実のもう半分は、話すに話せないと言うだけの事だ。
バズがハルに感じている違和感の所以は、その出自の不確かさだけではない。
あのゴーレムは、恐ろしく魅力的なのだ。
ただ話しているだけで、己の感情が無制限に解放を許されるような、人間にとっての向精神薬物にも似た危険な引力が、ハルにはある。
それが、バズには恐ろしい。
『当機にもゴーレムとして主を守る責任があるんでな。ハル君がウチの大将を関わらせて良い相手かどうか、ちと判断がつかん。』
バズのゴーレムとして至極真っ当な言い分に、イヴは少しだけ態度を軟化させた。
主の推し探索者の愛機であるが故に、怪しんだ事など無かったが、確かに言われてみれば
八津咲ネイルの獣じみた反射神経に十全に応えられるレスポンスなど、市場に出れば間違いなく、ハイエンドモデルと呼ばれるような代物だろう。
幼少期から彼女と共にある、言うなれば子供のオモチャであるはずのハルに、なぜそんなオーバースペックが?
『ハルがどこから来たのか、誰に造られたのか、それは分からぬ。だが、あれは少なくとも、みだりに周囲に害を及ぼすような者ではない。』
『そりゃまあ、ああして社会に出られてる以上、ゴーレム三原則は遵守してるんだろうけどな。その信頼の根拠は何なんだ?』
根拠、と問われればイヴも答えに窮する。
すでに関係性が出来上がっている以上、今さらそんな事を言われても、色眼鏡を通さぬ答えなど導き出せようはずがない。
ただ、強いて言うのであれば…
『ハルは…あの方は、とても人間らしい。』
『なに?』
今度はバズの纏う空気が変わった。
イヴは気付かず喋り続ける。
『意識がヒト様化しているのともまた異なる、まるで主様と接している時のような、自然な温かみを、ハルからは感じる。近しい者が傷つく事を、論理回路より前に感情回路で拒絶する。そんな心の在り様だ。伝わるだろうか?』
その答えに何を思ったのか、バズは高速通信を切り、再びスピーカーから音声を発した。
話は終わりだ、と言うサインだ。
「…ありがとう、イヴさん。とても参考になった。悪いね、見ての通りチキンなもんでさ。」
イヴの預けた標識が、ギシリと音を立ててバズのカーゴコンテナを揺らす。
ここまで2機の会話に費やされた時間は物理世界での3秒にも満たない。
『あれ?どしたー、バズ〜?』
「おっと、すまねぇ大将。敵が見えた気がしたんだが、どうやら俺の勘違いだったらしい。イヴさんに叱られちまった。」
幼少期からトリ頭と揶揄されて来た、ガンダルヴァ族の鳳にとって、バズの用心深さは好ましい点のひとつだ。
故にあえて疑問を挟む事はせず、彼女が率いる一行は管理棟深部を後にする。
バズだけが、無表情なモノアイの奥に、言葉に出来ぬ根源的な畏怖の色を滲ませていた。
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