十三、それぞれの歴史


 二人を治癒させて私はすぐ、殿下を盾にして隠れた。

 偶然だけど、横に並ぶ形に。

 それを殿下は勘違いしたらしく、腕を私に差し出し、エスコートをするつもりになっていた。

 無視したけれど。

 だって、私には魔王さまという旦那様が居るのだから、男性と腕は組みたくない。


 軍曹はというと、治った腕を――手のひらをグーパーとさせながら、呆然とした顔で感謝の言葉を口にしかけて……思い止まっていた。負けたことも含めて、納得が出来なかったんだと思う。

 もう一人のいじわるそうな人は、軍曹の代わりではないけれど、しきりにありがとうと言ってくれた。

 それにはうんうんと頷いて返して、そして「私、聖女じゃないですからね」と言っておいた。


 なぜなら、軍曹の腕を治した時点でもう、すでに聖女だの聖女に違いないだの、確定としてがやがやとしていたから。

 これからこんなことがある度に、私は「聖女じゃないですから!」と、声を張って叫び続けるんだろうか。



「はぁ……」

 ため息をついた私に、シェナが背伸びをしながらよしよしと頭を撫でてくれた。

 ――なんて可愛いんだろう。

 もうお部屋に案内してもらって、シェナとゆっくり休みたい気分に支配されてしまった。


「すまなかった。サラ嬢。そして本当に感謝する。聖女の力を、兄の配下に示してもらえたことは予想外の僥倖だった。後日改めて礼をさせてくれ」

「……いえ、それよりも殿下。すみませんが、疲れてしまいました」

 本当なら、一般人……平民とでも言うべきだろうか、その私から希望を述べるなんて無礼なのかもしれないけど。


「ああ。部屋はもう手配してあるから、ゆっくり休んで頂こう。そちらの侍女も、同じ部屋で良かったのかな?」

 殿下は本気で私を気遣うように、さらにやさしい口調になったように感じる。

「ええ。一緒がいいです。ありがとうございますアラビス殿下」

 偉そうにしないし、多少の無礼にも寛大な方なんだなと、少しだけ信用することにした。

 ……それも作戦のうちかもしれない、とも思うけれど。


「おや、初めて名前を呼んでくれたね。なんだか嬉しいよ」

 簡単な自己紹介で聞いたきりだから、忘れないようにとお呼びしただけなので恐縮ですが。

 この気さくな態度が作戦なら、私は一生この人を信じられない。



  **



 案内されたお部屋は、白い壁と高い天井でとても広く感じるし、くつろぎやすい空間に思える。

 淡いブラウンの木目床も、優しい木が歓迎してくれているみたいで。

 床色に合わせた調度品たちも、白木で出来た楕円のテーブルも、目に優しくてデザインもお洒落だ。

 ソファも程良いペールブルーをしていて、同じ色合いのクッションたちが、この疲れた体と心を今すぐ癒してあげるよと呼んでくれている。


 ――そうに違いない。

 それらをひとまとまりとして、その左手奥には、大きなベッドがふたつ並んでいた。

 居間と寝室をシースルーのカーテンで仕切れるようにした、ひと繋ぎの大きな部屋だ。


「ここにある物は、何でも自由に使って構わないよ。夕食はこちらに運ばせるから、今夜は誰にも気兼ねせずに休んでくれ。明日の朝、また色々と話をしたい。それじゃ、ごゆっくり」

 そう言い残して殿下が扉を閉めた瞬間、私はソファにダイブした。

 一人用がふたつ、そしてもうひとつ、三人掛けくらいできそうな長いものがあって、そこに飛び込んだ。



「アアァァァ………………。つかれたぁ」

 頭がくらくらするし、少しだけど目も回っている。

「お茶を淹れますね、お姉様」

「ありがとぉ……」

 シェナは平然としているけど、疲れていないのかな。


「ねぇ、やっぱりシェナも休んで。疲れたのは同じでしょ?」

「私は大丈夫ですよ、お姉様」

 確かに声もシャンとしているし、その振舞いにも顔色にも、疲労は一切見えない。

 いつも通りの可愛い姿で、アップにした銀髪から垂れるひとすじの後れ毛が、赤い瞳をいっそう引き立てている。


 そんな可愛い子が、流れるような動きでお茶を淹れてくれるのだから……眺めているだけで、心がキュンとなる。元気が出てくる。

 それとは別に驚いたことがあって、部屋に水道やコンロが普通に備えられているという事実。

 文明は、やっぱり中世レベルではないということだ。



「使い方、わかるの?」

 自然と使っていたシェナにも驚いた。

「はい。魔力が必要ない代わりに、調節が面倒ですけど」

 ……魔王さまの元では、むしろどうして私は、違和感なく過ごしていたんだろう。

 いつものことのように、普通に水を出してシャワーを浴びたり……。

 魔力を注いで使うという生活様式の一切を、戸惑うことがなかった。


「あ。お姉様の記憶、女神様に補正されていますよ」

「うん?」

 この子も心を読めるのかしら?


「私はお姉様の魔力を通して召喚されているので、一心同体のようなものですから。でも、お姉様はその……アレなので、あまり気になさらなかったのでしょう」

「アレ……とは?」

 今さらっと、おバカだと言われたような……。


「んっっんん! コホン。それよりも、お茶が入りましたよ。どうぞ召し上がれ」

「あら、ありがとう。私のお茶は、いつもシェナが淹れてくれてたのよね。いつも美味しいお茶をありがとう」

 お茶を飲むと心底からホッとしたのか、私は抗えない眠気に身を任せて、そのままソファで横になった。



  **



「お姉様、夕食が運ばれてきましたよ」

 シェナの声でやさしく起こされて、そして食欲をそそる匂いにつられて完全に目が覚めた。

「おなか減ってたの。夢の中でも何か食べてた気がする」


「ふふっ」

 シェナは、メイド服を着ている時はお姉さんのような振舞いをする。

 今の笑い方も、まるで私を年下だと思っているような、そんな余裕のある態度だ。


 でも、メイド服ではない時――例えば寝る前なんかは、少しおませなだけの可愛い妹でしかないのに。

 かといって、今も気を張って頑張っているという様子でもない。きわめて自然な立ち振る舞いで、しっかり者のお姉さん。そう、見た目は子ども、頭脳は……コホン、お姉さんなのだ。



「ねぇ、一緒に食べよう? シェナだって何も食べてないじゃない」

「いいえ? お姉様の分を全てひと口ずつ、先に頂戴していますよ。毒性のものはありませんでしたから、安心してお召し上がりください」

「えっ? そ、そんなの、毒が入ってたらどうするのよ!」

 もしそんなことがあったら、シェナが死んじゃうじゃない。


「大丈夫です。私に毒はほとんど効きませんから。猛毒でも少しお腹が痛くなるくらいなので、その時はお姉様に治して頂きます」

「はぇぇ……」

 シェナのことは、実はそんなに知らないのだなぁと思った。


 可愛い妹くらいにしか思ってなくて、契約で命が繋がっている、くらいで。

 仲良しなのも、お互いに気が合うからで。

 だけど、体を構成しているのは、あの真っ白な巨大魔獣のネコだから……実は物凄く強いのかなとか、そのくらいは考えたことはあるけど。



「お姉様をお護りするためなら、何でもいたしますよ。きっと、武力だけで言えば私の方がはるかに強いですので、それもご安心頂きたいのと……基本的には、有事の際には全てを破壊してでもお姉様を連れ帰るようにと、魔王様から命を受けております。ので、大船に乗ったつもりでお過ごしください。人間など、その気になればいつでも全滅させられますから」

 フフッ。と微笑むその可憐さは、人を超えた聖霊か何かのように見えた。

 ――いや、実際に人ではないのだけど。


 この子は本気だし、それが自然な摂理ですよと、そう言わんばかりの静かだけど強靭な何かを纏っている……ように見える。

 シェナにとっては何でもないことで、歯牙にもかけない些事であると……。


「しょ……しょれは……コホン。それはちょっと、やってしまう前に、私に許可を取ってもらえる?」

「なぜですか? お姉様に危害が加わるような状況では、魔王様の命を遂行しなくては」

 あ~~……っと、これは、どうしよう。



「えっとね。簡単に種族を滅ぼすとか、そういうの、よくないと思うから」

「そんな、大丈夫ですよ。人間なんて羽虫と同じで、滅ぼしたと思っても湧いてきますから。たまには減らしても問題ありません」

「あ……うん」

 なんか、赤い瞳がぼうっと光ってるみたいに見えたから、ちょっと怖くなっちゃった。


 理不尽な死に方をした魂を拾い上げたから、たぶん……相当な怨みとかもあるんだろうなぁ。

 いきさつは聞いたことがないし、きっとこれからも私から聞くことはないけど。

 あとは、素体の白ネコの怒りみたいなのも、あるのかもしれない。

 お爺さんから、人間がしてきた歴史を学んだけど、かなり酷いものだったし……。



 それは――全世界を支配しようとした人間と、魔獣や魔族との戦争。

 一旦落ち着いてはいるけど、今でも、小規模なものは続いてる。

 魔族領とされる土地に、今は攻めない理由も、とんでもない。


 人間同士で戦争に明け暮れた結果、ダークマター工魔学というものを開発した一つの国(たぶん今居るこの国)が、魔力を暴走させて瘴気を生み出してしまった土地。

 それが今の魔族領。


 瘴気の中で、人間は住めない。長く瘴気を吸えば死んでしまう。

 それを浄化するために、魔族を作った女神が、他の世界から呼び戻したのが今の魔王さまたち。

 いわば、派遣されたのだ。土地の浄化のために。

 そして、増えすぎた人間を減らすために。


 簡単に滅ぼしてはいけないと、女神に制約を設けられた状態で戦争をしかけたのが魔族。

 そこから数百年、らちが明かないからと、魔族が隣国だけでも滅ぼそうとした時に――。

 人間を造った女神(魔族を造った女神とは別の女神)が、異世界人を召喚して力を授け、それらと共に魔王さまを封じた。

 それがおよそ、三十年前。


 体をバラバラに分けられて、全く別の場所に封印された。

 魔剣に力を移したものの、女神に見つけられて、あの平原にひっそりと封じられていたところに……私が落ちたことで発見に至る。



 お爺さんは、私を転生させた女神様は、魔族を造った古代神様だろうと。

 魔王さまを復活させるために、わざと私をそこに落とされたのだろうと、そう言っていた。

(落とす必要はどこにあったのかしら……とは思うけど)


 ――ややこしいのでうろ覚えだけど、創世記的には、まずこの世界と魔族を造った古代の神々が居て、世界が落ち着いたので新しい神々に任せた。というものらしい。

 その時、古代の神々は魔族を別の新しい世界に連れて行った。


 そして、新しい神々は、魔族を超える存在を造りたいと考えて、この世界に人間を造った。

 実際としては、魔族の劣化版でしかなかったのだけど、愛着があって大事に大事にしての、その挙句の大惨事……。

 尻拭いに来た魔族達を、単に悪者なのだとうそぶいて敵対心を煽り、最終的に一国を滅ぼされかけたからと、女神自ら手を貸した。



 までが、一連の流れらしい。

 これでも、私なりによく覚えている方だ。

 とにかく人間は、戦争をしている数百年の間に、魔獣に酷い事をたくさんしたらしい。

 魔族に敵わないから、まだ倒せる魔獣を狙って。


 それに、人同士でも酷いことをたくさんしているって聞いた。

 暴力に抑制がきかない種族。

 それが人間であると教わった。



 ……私の住んでいた世界でも、似たようなものかもしれない。

 でも、全員がそういうわけじゃない。

 出来損ないが居るだけ。

 でも、なぜかそういう人の方が、権力とか武力で、悪い事をする。


 優しい人は、他者を傷付けたくなくて、黙ってしまうからだと思う。

(なんか、歴史っていやな気持ちになるわね)

 だから、あまり好きじゃなかったのかもしれない。

(そう、これが覚えられない理由よ)



 ――シェナも、生前は辛い思いをさせられたのよね。

 だから、人間に対して容赦がないんだと思う。

 私は……。

 まだ、そこまで酷いことはされていないから、分かっていないだけなのかもしれない。


「シェナ。今日は魔王さまのところには戻らずに、二人でぎゅってして眠りましょう」

 隣でおにくを頬張っていたシェナが、ごっくんと喉を大きく鳴らして、たぶんあまり噛まずに飲み込んだ。

「ほんとですか? お姉様と一緒に? いいんですか?」

 たぶん、私は魔王さまのものだから、そんなことが許されるのだろうかと、そう驚いているんだと思う。


「うん。今日は特別」

「じゃあ、じゃあ、魔王様のようにキスしても?」

 目がマジなやつだけど、どういうつもりのキスなんだろう。

 というか、魔王さまとしているのをなぜ知っているのかしら?


「そ、それは……ダメかな」

「う~。じゃあ、魔王様をお呼びして、許可を得たら。それなら良いですか?」

「え、ええ? 呼んじゃうの? まぁ……それなら、いい……のかな?」



 魔王さまは……その辺は、どういうお考えをお持ちなのかしら。

 ていうか、シェナにも魔王さまを呼ぶための何かを、持たせてあるんだ。

 それもそうか、私に何かあった時に、シェナ一人では出来ないこともあるだろうし。


「それでは私、お呼びして参ります」

 そう言うなり、立ち上がったシェナはスッと姿を消した。

「……え? シェナも転移、使えるんだ?」

 それなら、スラムの路地の時に、逃げるという選択が出来たじゃない。

 あの時に知っていれば……。遠慮しないで、何が出来るのかは聞いておくべきね。

 そして、戻ったシェナは魔王さまを連れてきていて……何だかんだの末、三人で寝ることになった。



 ――魔王さまの……ケダモノ。

 三人で添い寝するだけだと約束したのに……。

 絶対に起こしてしまうだろうから、こっそり魔王城に戻ったことは、シェナには内緒だ。

 それを受け入れてしまう私は……ダメな姉だなと反省しつつも、求められる喜びには勝てなかった。


「うぅ……ごめんね、シェナ」

 明け方にこっそりと戻った時、まだぐっすりと眠るシェナの頭に、キスをして詫びた。

 それにね、私、姉である前に、魔王さまの妻だし……。

 というのは、苦しい言い訳だと分かっているけれど。

 今さら無駄に悩みながら、またシェナの隣で少しの眠りについた。



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