06

大陸暦1962年――通り魔


「西区でも殺人事件か。本当、物騒ね」


 新聞を見ながら私は独りごちた。


「どの辺りですか」


 それにそばで紅茶の準備をしていたリエナが反応する。


「新聞、読まないの?」

「読んでいますが今朝は読む時間がなくて」

「なんで」

「少し寝坊しました」

「へぇ。貴女でも寝坊することがあるんだ」

「人並みに」


 いつぞやか甘いものを食べるのかと訊いたときのようにリエナは答えた。気恥ずかしいときにそう答える癖があるのかもしれない。

 いつも落ち着いていてしっかりしているリエナでも寝坊することがあるのだと、勝手に親近感が湧く。完璧な人間よりは一つだけでも欠点があるほうが付き合いやすい。私が欠点だらけの人間だからなおさらに。


「魔法学院の近くみたいよ。普段から人通りがあまりない場所だって」

「あの辺りは学生寮も星教会せいきょうかいもあるので心配ですね」

「だから捜査の人を増やして、巡回も強化するって」

「そうですか。早く捕まるといいのですが」


 リエナが紅茶をカップに注いでこちらに寄越す。


「ありがとう」


 礼を言って紅茶を飲む。すると恒例の如くため息が聞こえてきた。もう誰か言わなくてもわかるだろう。


「本当、どんどん自由になりますねぇ。いえ、以前から自由ではありましたが」


 執務机のほうを見ると、先程から苦虫を噛みつぶしたかのような顔で書類と向き合っていたマクレアがこちらを見ていた。

 そう、私はいつものように午後の治療学の授業中に院長室に訪れていた。

 いつもは手ぶらで来る院長室も、今日はふと思い立って図書館から新聞を取ってきて読んでいる。マクレアがぶつくさ言っているのはそのためだ。

 マクレアは執務椅子から立ち上がると向かいのソファに座った。

 それがわかっていたように、リエナが手早く紅茶を注ぎマクレアに出す。

 私がいるときに書類仕事を諦めるのも、いつものことだ。

 紅茶を一口飲んでマクレアが言った。


「最近はユイと仲良くやっているみたいですね」

「は?」私は新聞を下げてマクレアを見る。「別にこれまでと変わらないけど」

「この間、仲良くお話しをしながら歩いているのを見かけましたよ」

「普通に会話してただけよ」


 普通を強調する。


「その普通の会話を以前はされていなかったように思いますが」


 痛いところを突いてくる。以前に会話にならない的なことを喋ってしまっているから反論もできない。


「……私だって、あんなことを知って邪険にできるほど、捻くれていないわよ」


 部屋の奥に移動して書類を見ていたリエナがちらりとこちらを見た。普段から表情の変化が控目なその顔は、少し驚いている。

 先日、リエナがユイの不眠症の原因を話せないと言っていたのは、それが彼女の過去に関することだったからだ。

 おそらくユイは寝ている間に家族が死んだことが心的外傷トラウマになってしまっているのだろう。もしかしたらその所為で、自分だけが生き残ってしまったとまで考えているのかもしれない。あのときお母様と一緒に起きていれば、自分も一緒に逝くことができたのに、と。

 マクレアもそれに気づいていたから、ユイを心理士に見せなかったのではないだろうか。自覚なく自暴自棄のようなものになっていたユイが、心理士に全てを話してしまうことを恐れて。

 そうなるとユイが心理士にかかるのを嫌がったというのもリエナの嘘だろう。私もあのときリエナが嘘を付くとは考えもしなかったので、彼女を注意深く見ておらずそのことには気づけなかった。


「そうですか」


 珍しく自然な顔でマクレアが微笑む。

 そういう大人な反応をされると、なんとなく居心地が悪い。

 私は紅茶を飲んで新聞に戻る。


「北区の通り魔の記事は読まれました?」


 少ししてマクレアが訊いてきた。


「女性ばかりを狙った傷害事件ってやつ? また出たの?」

「はい」


 私は新聞をめくってその記事を見つける。


「あったわ。ええと、犯行時刻は二十二時から深夜帯。また歓楽街近くか」

「えぇ」

「これで三軒目ね」

「それについて今朝、城下守備隊北区画隊から注意喚起の書が届きました」

「ふうん」

「ですので当分は外出を控えてください」

「えー」


 思わず私は声をあげる。

 最近お店に行けておらず、そろそろ行こうかと思っていた矢先のことだったからだ。


「えーではありません」

「犯行時刻はどれも夜遅いじゃない。それまでには帰るんだから別にいいでしょう?」

「これまでが偶々そうであっただけで、次は犯行時刻が早まるかもしれません。それに犯人だって標的を探すために早くから徘徊している可能性もあります。未然に防げる危険は防ぐべきです」

「……当分てどのくらいよ」

「犯人が捕まるまでに決まっているじゃないですか」

「捕まらなかったら?」

「外出禁止です」

「一年とは言わなくても、二・三ヶ月とか掛かったらどうするのよ」


 下手したら迷宮入りの可能性もある。

 決して星都せいとの治安維持部隊――城下守備隊の頑張りを貶すわけではないけれど、近年の犯罪検挙率はお世辞にも高いとは言えないから。


「そこまではかからないと思います」


 でもなぜかマクレアはそう言いきった。


「なんでわかるのよ」

「神のお告げです」


 マクレアが上を指さす。


「あのねぇ。神の声を聞いたことがあるのは竜王だけでしょう?」


 竜王は隣国、フルテリア竜王国の君主のことだ。

 竜王および竜王家は古代大戦を生き残った星竜族しょうりゅうぞくという長命種族の末裔であり、星教せいきょうが信仰する二神にしんのうちの一神いっしん星蒼神しょうそうじんアルズファルドが自らの一部を分け与えて創造したとされている。

 その際『世界の調和と安定を見守り正すこと』を神から命じられたと言われており、それが最古の神託として有名だ。

 そのため竜王は別名、調停者とも呼ばれている。


「ご存じでしたか」

「馬鹿にしてる?」

「いえいえ、レスト修道院にいたときはそこそこ授業をサボられていたと聞いてましたから」

「自習はしてたわよ」

「そうですか。それでしたら女の勘ということにしときましょうか」

「随分と信憑性が下がったわね」

「あら殿下、女の勘ほど馬鹿にできないものはありませんよ」

「はいはい」


 呆れる私に、マクレアはおどけるように微笑んだ。


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